第12話

その日から、勇は夜遅くに帰ってくることが多くなった。

早ければ夜の十一時、遅ければ朝方近くまで。

きっと死ニカエリの聞き込みを行っているんだろう。

何か力になりたいと思いつつ、夜は危ないから九時頃までには帰らされる自分にもどかしさを感じていた。

「てことで、どうしたら良いんだろう?」

「それ、私が聞いて良いんですか?」

「うん」

たまたま立ち寄ったラムネ屋にいた椿に相談する。

「つまり、柚ちゃんは好きな殿方の力になりたい…ということで宜しいですか?」

「好きな人じゃないよ、居候させてもらってる人」

きちんと手を振って訂正する。

「あら、そうなの?」

「うん」

飲み終わったラムネの瓶を店裏で叩き割り、ビー玉を取り出す。

それで空を見たらキラキラしていた。

椿は少し何かを考えていたが、何やら思いついたらしく微笑んでいた。


椿について来て下さいと言われ、ノコノコついて行くのは良いけれど…

「ここが神楽坂ですわ!」

人力車で神楽坂まで運ばれるとは思わなくて、一気に不安になる柚。

緩やかな坂の両端に並ぶ軒並み。江戸時代から残っている商店の軒が連らなっている。

「何で椿ちゃん、ここに来たの?」

「どんな殿方か私は知りませんが、美人に目がない殿方の方が多いですわ」

「つまり…?」

「ここでお綺麗になって、その殿方にぎゃふんと言わせましょう!」

「え…と?」

椿は何やら勘違いしているようだ。別に柚は恋煩いではない、多分。

坂の途中には、沢山の料亭が並んでいる。柚は料亭に直接お世話になったことはないが、格子から漂う良い匂いに柚はうっとりする。

「美味しそう…」

うなぎも美味しいですわよ」

「う、鰻!?」

「でも、何時か鹿鳴館ろくめいかんの夜会に出席してみたかったですわ」

「…ろくめいかん?」

「あら、知りませんの?砂糖菓子のような純白の外壁に半円のアーチ窓、きらきら眩い光の中で美しく着飾った人達が踊っているんですの!」

目を輝かせ、想像の中に旅立っている椿の説明を聞き、柚はその鹿鳴館とやらを思い描いた。

(きっとその舞踏会らしき場所には美味しい物が沢山…)

じゅるりと柚は食べ物のことばかり考えているのは何故だろう?

「でも、閉鎖したらしくて」

「え、何で!?」

「何でも、夜会による風紀の乱れや欧米文化反対の人達が多かったらしいですわ」

「そうなんだ…」

しばらく坂を歩いていると、民泊のような場所に辿り着いた。

「ここは私の姉がお世話なっている場所なんですの」

「そうなんだ!」

軽口を交わしながら、建物の中に入っていく二人。椿について行きながら柚はますますこの場所が何なのか分からなかった。

学生寮のような施設だろうか。

狭い階段を上り、長い廊下を歩いたのちに椿はひとつの部屋に入る。六畳一間には鏡台に長持ながもちが置かれている。

「ここは?」

「私の姉の部屋なんですが、今は何処かへ出かけているらしいですわね。残念ですわ」

聞けば椿のお姉さんは芸者らしい。芸者というのは分からないが、大道芸人のような人かなと柚は心の中で結論付けた。

椿はごめんね!とかなり謝りながらその日は別れた。

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