第三章 黒い卒塔婆

第16話

 透けた黒い影めがけて、一振り。


 斬り伏せた怪異が西日の中に消えていくのを見やりながら、ヨサリは刀を鞘に納めた。


 不意に、板張りのテラスをゆったりとした風が通り抜けていく。


 と同時に感じる、日に日に増すばかりの、肌にまとわりつくような蒸し暑さ。鼻を掠める、コーヒーの匂い。


 振り返ると、背後に立つカフェテリアから、一人の学生が出てきたところだった。右手には紙コップを、左腕には教科書やファイルをいっぱいに抱えた学生は、刀のつかを撫でる着物姿の男などには目もくれず、テラスから続く渡り廊下へ足早に歩いていく。


 その背中を見送りながら、あぁ、頑張っているのだな、と思う。


 七月に入った北城きたしろ大学では、講義が終わった後も校内に残り、机に向かっている学生たちを見かけることが多くなった。


 なんでも、月末に行われる定期試験に備え、皆が勉強に追われているのだという。学びに熱心なものは勿論、普段は遊びやサークル活動に精を出しているものも。


 当然、初めての試験に臨む一年生たちも例外ではない。


 夕日を映したガラス窓の向こう、いくつもの椅子と長机が並んだカフェテリア。そこには、教科書やノートを広げた机を友人達とともに囲み、頭を悩ませているハルの姿があった。




 一沙岬での一件以来、ヨサリは「黒い卒塔婆そとば」について調べていた。


 どういう訳か、亡者の気配が消えた後も、ハルの元には怪異が集まってくる。だがやはりテルの存在は原因の一つだったようで、怪異が現われる頻度は目に見えて減っていた。今は、怪異たちが活発な夕方だけ警戒していれば、問題なさそうである。


 かくして護衛役から解放されたヨサリは、その分、港町周辺の怪異退治に精を出し、黒い卒塔婆が現れやしないか異変に目を光らせているのだった。


 ……今のところ、目立った成果は無いが。




 カフェテリアの壁に背を預け、緑が濃くなってきた夏らしいキャンパス内の景色を眺める。


 すると。


 ――チチッ、チチッ。


 頭上から、高く軽やかな鳥の声したかと思えば、ヨサリの左肩の上に雀が降りてきた。


「ヨサリ~! ビッグニュースよ~!」

「サザキか」


 狭い肩の上を、小さな足でちょこまかと動き回る、丸くふっくらとした栗色の体。パクパクとせわしなく開いては、よく通る高めの男の声で話す、小さな黒いくちばし。


 ヨサリの顔馴染みの妖怪、サザキである。


 サザキには、黒い卒塔婆の調査に協力してもらい、あちこち飛び回って情報を集めてもらっている……のだが。


「何か分かったのか?」

「えぇ、分かったわ……今日もお嬢がカワイイってことが……!」

「……それは昨日も聞いたな」

「ハァ~分かってないわねアンタ! 昨日とは違うのよ!」


 そう言うやいなや、サザキはヨサリの首筋をつつきながら、今日の蓮見がいかに可愛かったかを熱弁し始める。お昼ご飯のピリ辛担々麺を、辛さとの死闘の末に完食したお嬢の、あの健気さ可愛さといったら。相変わらず楽しそうで何よりだ。


 まぁ、くちばしを開いた瞬間の浮かれた声色で、蓮見の話だろうと見当はついていた。


「それで? 黒い卒塔婆についてはどうなんだ」

「収穫ナシよぉ、残念だけど。……強いて言えば、鳥妖怪連中の間で『美鷹みたかの森の近くで怪異同士のいざこざがあったらしい』って噂になってたくらいかしら。まぁ、アンタが気にするほどのことではないでしょうけど」

「そうか」


 確かに、直接は関係なさそうな話だ。


 現状、黒い卒塔婆について分かっているのは、「生者をあの世へ誘うように現われる」ということだけ。怪異が暴れただけで、生者を脅かすような事態になっていないのであれば、有力な情報とはいえないだろう。

 ひとまず、念のため見に行っておくか、と頭の隅に留めておくことにする。


 肩の上で羽づくろいを始めたサザキに、ヨサリは小さく頭を下げた。


「すまないな。貴殿には苦労をかけるが……」

「いいのよ。巡り巡ってお嬢のため、ってね!」


 栗色の羽をくちばしでつつきながら、サザキはさも何でもないことのように言う。


「アタシはただ、あの子のためなら何でも出来るだけ。それだけよ」


 そうしてひとしきり羽を整え終えると、今度は、ヨサリの耳の前に垂れた長い黒髪をついばみ始めた。


「おい、引っ張るな」

「いやぁ~、アンタも人間に化けられたらねぇ、と思って。どう? やってみない?」


 聞けば、サザキは時折、人に化けて聞き込み調査をしているらしい。


 ヨサリが知っているサザキの姿は、二つ。

 今ヨサリの肩に乗っている、雀の姿。それから、栗色の短髪に千鳥柄の手ぬぐいを巻いた、水鶴神社に現われる「作務衣姿の幽霊」の姿。それらはどちらも妖怪としての姿で、この世のものの目には映らない。


 ……ハルのような、この世のものではないものが見える目を持つのであれば話は別だが。


 それとは違って、人と同じように化けた「人間としての姿」があるのだ、とサザキは誇らしげに言った。この姿ならば人間たちの目にもはっきりと見え、声も届く。肩叩けばすり抜けるともなく、呼び止めて話を聞くことも出来る。


 生者から情報を集めるには有用だ、とは思うが。


「……獄卒には不要な技だろう」

「そんなこと言わないでさ! 便利よ~? 今度教えてあげるわ!」


 ウキウキと羽を揺らすサザキに、ヨサリはふと気になってたずねる。


「そこまで言うなら、さっさと蓮見に姿を見せたらどうなんだ?」

「え?! イヤよぉ!」


 小さな体が飛び上がった拍子に、ぐいっと強く引っ張られる黒髪。


 曲がったヨサリの首から、ポキ、と小さな音が鳴った。


「大手を振って手伝えなくなるかもだし……げ、幻滅される、かもだし……」

「……」


 そういうものか。ややこしいな。




 進展があったのは、それから数日後の金曜日。


 夕焼け空の下、クラブハウスの軒先から、活動を終えて帰路に着く美術部員たちを眺めていた時だった。


 前触れは無かった。


 ――肌に突き刺さるように鋭い、敵意に満ちた強い怨念。それを皮切りにあふれ出した、怪異の気配。


 全身に悪寒が走って総毛立つ。口から心臓が出そうなほど鼓動が激しくなる。


 これは、二十年前の――あの世と、同じ……?


 途端、ヨサリは立ち上がり、着物の裾をひるがえして屋根の上を蹴る。


 少しうわずった、名前を呼ぶ声を背中で聞いたような気がしたが、振り返る余裕はなかった。




 気配を辿り、茜色に染まった町を駆け抜ける。


 北城大学が位置する、港町の南にある高台から、さらに南へ。雑木林と工場らしき建物が隣接する、町と山との境目へやってきたところで、ヨサリははたと思い至る。


 鳥妖怪たちの間で噂になっていたという、怪異同士のいざこざがあった美鷹の森の近辺。丁度、この辺りだった。サザキから話を聞いて一通り見回った時には、怪異も何もおらず、特に変わったことは無かったのだが。


 そう考えを巡らせながら、林の中に敷かれたボロボロのアスファルトの細道を登っていくと、不意に視界が開ける。


 道の脇、林を切り開いたであろう奥まった場所に、古びた建物があった。


 窓と排気口が均等に並んだ、四角く無機質な平屋。錆びたトタン屋根。汚れた壁面に掲げられた看板は掠れていて、辛うじて読めるのは末尾の「工業」という文字だけ。何かの工場だった場所なのだろう。


 ヨサリは、その雑草だらけの敷地に足を踏み入れ――下駄を履いた足首を掴んだ浅黒い腕を、刀を抜きざまに斬り伏せた。


 やはり、この廃工場が気配の出所か。


 直後。


 ――ガコッ、ガシャンッ!!


 それを肯定するように、建物の中で響き渡った、何かがぶつかって崩れる音。


 駆け出し、次々に現われる人体の一部位のような怪異たちを斬りながら、入り口の分厚い鉄の引き戸の前へ。そうして、扉の向こう側に耳をそばだてながら、そっと手を伸ばして。


 次の瞬間、扉は内側から蹴破られた。

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