第22話 大ヒット
ねえ、ちょっと聞いてよ奥さん!
帝都で英雄叙事詩BLが大ヒットしたんですって!!
……興奮のあまり口調がおかしくなった。失礼。
先日、数カ月ぶりに本屋が要塞までやって来て、このニュースを伝えてくれたのだ。
私もリリアも、居合わせた他のメイドたちも大興奮。
男性同士の熱くたぎるような、それでいて甘く切ない恋が帝都の御婦人方の心をも捕らえた!
こんなに嬉しいことはない。
しかし本屋は良いニュースばかりを持ってきたわけではなかった。
「写本の手が足りないのです」
「というと?」
ユピテル帝国は古代文明の国。当然、活版印刷技術はない。
だから本を増やすには人の手で写本をしないといけない。
誤字を少なく正確に写本するのは一つの技術。
多くは写本奴隷という技能を磨いた奴隷たちの仕事である。
奴隷というが、技能持ちの奴隷は値段が高い。
目の前の彼、移動本屋のように小さな版元では、自分の奴隷を持つのは不可能なので、大きな版元から人手を借りることとなる。
しかし今回、英雄叙事詩BLは爆発的な大ヒットとなった。
それゆえに大量の写本を求められたが、本屋が雇える奴隷の数は少ない。
需要は山ほどあるのに、供給が足りない!
そしてユピテル帝国は著作権の概念が未熟で、人気作は勝手に写本されて出回ってしまう。
「このままではせっかくの商機が、他の版元に取られてしまいます」
本屋は悔しそうだった。
けれど私は、帝都でBLが受け入れられるならそれでいいかという気持ちもある。
私の最大の目標は布教そのもので、個人の名声とかお金とかは二の次なのだ。
だって住み込みで働いていれば、衣食住には困ってないし。
「フェリシアさんへの報酬も、あまり用意できていません。本当に申し訳ない……」
本屋はそう言いながらも、金貨三枚を渡してくれた。
私の物語を買い取るときにお金をもらったので、これは臨時ボーナス兼、次回作の報酬だろう。
「いいんですよ。むしろこのお金はもらえません。資金繰りが苦しいのなら、私のお金は後回しで構いませんから」
それよりもこのお金を使って一巻でも多く写本して、BL布教を進めてほしいものだ。
本屋は真剣な顔で首を横に振った。
「なんて無欲な人なんだ……! でも、これは受け取ってください。フェリシアさんの才能と苦労に対する正当な報酬です」
結局、金貨は受け取ることになってしまった。うーん、なんか悪いな。
本屋は続ける。
「それであの、こんな話をして申し訳ないのですが。フェリシアさんのお知り合いで、融資をしてくれそうな人はいませんか。今が一番のチャンスなんです。フェリシアさんの名前とうちの版元のブランドを売り込むには、今を逃してはならない」
「そう言われましても、心当たりはありません……」
私はしがないメイドだ。
仲間のメイドもカンパはしてくれたけど、小銭の域は出ない。
――ふと。
『フェリシア。ねえ、フェリシア』
私の心の奥で声がした。
そっと内心に意識を向けると、この体の本来の持ち主……小さなフェリシアがこちらを見ていた。
『どうしたの?』
『お金が必要なら、お母様の形見のネックレスを質入れしたらどうかしら』
『え』
私は絶句した。
確かに実家から持ち出した実母のネックレスは、相当な高級品。売るか質入れするかすれば、かなりの金額になるだろう。
けれどこれは『フェリシア』のお母さんの形見だ。
私が彼女として目覚めたとき、母は既に亡くなっていた。
だから私は母を肖像画でしか知らない。
だが『フェリシア』にとっては、間違いなく大事な家族。
ずっと辛い思いをしてきた小さな『フェリシア』の、数少ない幸せな思い出につながる品なんだ。
『駄目よ。あなたのお母様でしょう。大事な思い出の品でしょう』
『平気だよ。思い出なら心の中にあるもの。それでフェリシアの夢が叶うなら、わたしは目一杯応援するから』
『でも』
『いいの! 決まりね!』
「――あの、フェリシアさん?」
本屋に声をかけられて、私は我に返った。
それからまるで操られるように、こんな言葉を言ってしまった。
「いくばくかのお金であれば、用意できます。二、三日お待ちください」
「本当ですか! 助かります!」
本屋はとても喜んで、その日は帰っていった。
『フェリシア~~~。やってくれたわね』
本屋が帰った後、メイド部屋にて。
私は軽く目を閉じて、小さいフェリシアを問い詰めた。
『私のこと、操ったでしょう。形見を質入れするつもりなんてないのに!』
『ふふっ。だってフェリシアは言ってたじゃない。『いつだって体を交代するよ』って』
『うっ。そりゃあ言ったけど、そういうことじゃなくてね……』
『無駄だからね、抵抗しても。明日はしっかり質屋さんに行って、お金をもらってこよう』
『ううーっ』
小さいフェリシアは聞く耳を持たず、とても楽しそうにしている。
『英雄たちの物語が帝都で人気だなんて、とっても素敵! わたしとあなたのためだもの、お母様も許してくれるよ?』
どうにも説得は無理そうだ。
私はため息をついて、受け入れることにした。
『でも、他にお金ができたら、真っ先に質草を取り戻すからね』
『別にいいのに。まあ、もしお金に余裕ができたらね』
話がついたので目を開ける。
急に黙り込んだ私を、リリアが心配そうに覗き込んでいた。
「フェリシア先輩、大丈夫ですか?」
「ええ、何でもないわ。明日はちょっとお出かけするから、外出許可を取らないと」
高価なネックレスを持ち歩くから、誰かに付き添いを頼んだほうがいいかもしれない。
この要塞町は治安はいいが、絶対に平気とは言い切れないので。
+++
今年の投稿はここまでになります。来年は1日1話ペースで投稿予定。
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