後編・メンタルケアも大事なお仕事です。
* * *
早く役に立ちたいとは思いました、が。
「新人、お前
ピリピリした現場に息をのんでいると、指揮長が近づいてきた。返事もろくにできず乾いた口が、かすれた音を吐く。音になっていないと気づいて慌てて頷いた。
歯を食いしばった顔の試験官が、指揮長を睨む。
「待ってください、新人って
「虚星0――時渡りにさせる仕事じゃありません。他の虚星2以下はもう編んでいる。保護はそこの班長がやっている。あと、これは初読み推奨なんでね」
「、えっと、な、なにを」
動揺が声に出ている。大丈夫だ、と指揮長がこちらの背を叩いた。
「お前の先輩がいないとこで悪いがな、先輩の綴りではある。お前古綴術で論文書いていたよな」
「は、はい」
「古綴術に綴術を編み込むのが通常だが、今回のは綴術を流しているからな。その綴術を重ね読むんだ。飛んだ箇所は自分で埋めろ」
「えっ」
先輩がよく示していた穴埋め問題を思い出す。そういえば、この試験の話がでてからやけに増えていた。
「大丈夫。あくまでこれは戻らないようにするまじないみたいなもんだ。異層から連れ戻すのはそこの試験官。溶け混ざらないように管理するのは他の連中。お前がするのは、時間軸の固定だよ」
「……はい」
こちらが頷いたことで、試験官もそれ以上は言わなかった。この移動元と移動先には唱術課と綴術課、それから
先輩は試験に同席できないとのことだったので、自分がその穴を埋められるのなら僥倖。
読むだけだ。綴り変えるのではなく、読むことで綴術の強化をする、道理の基本を重ねるもの。唱術にはならない、その手前。
「馴染んだ古綴術は流すだけにして、敢えて若い語を使っているからそれを追え。前後を見ていれば新旧の間違えはしないだろう。頼んだぜ、
「はい!」
今度の声はしっかり出た。
意識を文字に向ける。
音もない世界に、意識を埋めた。
* * *
「お疲れ様、新人君」
「しんぞうがばくはつするかとおもいました、ばくはつしました」
「うーん、本当に疲れ切っているね! よしよし頑張った頑張った」
「おわった、おわりました、よかった、しんぞうがない」
「あるある、心臓あるよぉ」
ひんひんと鳴き声を上げる自分に、先輩が優しい。もう勢い余って抱き着いて頭撫でてほしいくらいだけれど流石にそれはやばいと理性が言うので留まっている。でももうそれくらいしんどい。心臓ないなった。
「体感どころか体験になりました、あああ良かった……終わって良かった……」
「ごめんねぇ、成功すれば体感で終わったんだけどね。あの基本術式を知らない人が読むのに向いているからだいたい若手になるんだ。自分がやるって思うとどうしても意識を向けちゃうから、まったく関係ない顔でだまし討ちみたいになりがちなんだよね」
「確かに、聞いていたら知らないままでいるの難しいのはわかりますしずっと心臓ばくばくしていたでしょうし、でも、しんぞうなくなった……」
「心臓あるよぉ」
律儀に同じ言葉を重ねてくれる先輩優しい。可愛い。それはそれとしてまだ胸が痛い。終わったけど痛い。とはいえ呼吸ができる程度だ。
こんなプレッシャーを先輩たちは最初から感じていたのか。死んでしまう。生きている。ありがとう世界。
「新人君、新人だけれど体質的に適性があったし、古綴術で論文書くくらいだったし、正直めちゃくちゃ適性があってね。真面目で仕事の呑み込みも早いし。だいぶ助かったよ、そばにいられなくて悪かったね」
「いえ、適性の問題、ですし」
先輩は、綴術士にしては珍しいタイプだ。唱術適性が高いので今回のような虚の影響が強く出る可能性がある現場は控える決まりとなっているらしい。
心細くなかったかというとはちゃめちゃに心細かったけれども、でも、先輩の助けになったのなら凄く嬉しいし、現場で言われたようにそこまで難しい仕事でもなかったのは確かだ。心臓はなくなったが。爆発した。多分三個くらい爆発した。
「そういえば、今回受験した方は残念な結果になりましたけど、また受験されるんですか?」
「一応、受験する話はあるね。だいぶ先にはなるとは思うけれど。
「すごいですね……」
唱術士は、
ただの好奇心なら異族や
「凄いよ、うん。尊敬する。……そんな人を支えたのが新人君だよ。何度も言うけれどお疲れ様、おめでとう。尊敬するよ、誇らしい」
丁寧に柔らかい声で賛辞が重ねられる。厚いレンズの奥の瞳が柔らかく、甘くすら見える。どぎまぎしてしまう。心臓が生える。
先輩、実のところ自分のこと好きなのでは? そんな願望が浮かぶが、好きではいてくれているだろうけれど恋愛ではないです理性を保て。保ったうえで先輩を見る。はい、めちゃくちゃかわいい。世界の道理。
「こんなに立派ならダンジョンも安心だね。私以外と組んでも大丈夫」
「まだまだひよっこなので先輩とがいいです」
「うーん頑なぁ。イマジナリー先輩を貸し出してあげるよ?」
「本物がいいので」
「はは、頼りにしてくれるのは嬉しいよ」
けらけらと先輩が笑う。まあ、今はこの距離がちょうどいい、とも言えるだろう。下手に何かやって職場環境変えたくないしな。先輩関係なく仕事楽しいし。先輩いて世界は華やぐし。綴術課は自分にとって誇らしい職場だ。
とはいえ。
「あれだけ大変なことしているんだから、もう少し注目されてもいいと思うんですけど……あの試験でこんなに綴術課が動くの、勤めて初めて知りましたよ」
「まあまあ、仕方ないよ。事前準備は人目に触れず、トラブルは表に出さず。受験者を一番に考えて動くから仕方ないね。我々は目立たず騒がず、縁の下の力持ちってわけさ。……今回ので言えば、古綴下かな?」
「出来るだけ機会がないといいですね、古綴下は」
思わず大きなため息と一緒に答えると、それはそうだと先輩が楽しそうに頷く。やりがいのある仕事は好きだが、人の命は、ほんっと心臓が足りない。
「お疲れ様ってことで食事でも奢るから報告書頑張ろうか」
「有難うございますめちゃくちゃ頑張ります」
「はは。君、本当に人と一緒の食事が好きなんだねぇ」
それは先輩だからです、までは言わないで頷く。はー、いつかなにも関係なく
願望はとりあえず内側だけでしまい込む。隣でなにもわかっていない先輩の跳ねた寝癖が笑い声と一緒に揺れるのを見て、ようやくほぐれた四肢を書類との戦いに向けるのだった。
(2024/12/22)
綴術課も大変なんです!【試験編】 空代 @aksr
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