この「ひとみ」

みすてりぃ(さみぃ)

この「ひとみ」

人に平等に与えられるもの、それは「時間」である。


なんていう言葉をよく目にすることはないだろうか。


生きている人には、誰にでも同じように

「時間」が与えられている、と。


しかし、僕はこう思う。


人に平等に与えられるもの、それは「時間」である。

などという人は、決まって恵まれた人である、と。


この部屋から桜を見るのも、何度目だろうか。

満開に咲き誇る様は美しいが、僕の心は決して晴れない。


この部屋は真っ白で、無駄なものは何もない。


塵一つないと言っても過言じゃない。


おまけに、部屋に入る時には全身を消毒して大仰なエプロンにマスク姿というのがお決まりだ。


それでも、僕はここに来る。


ここでなければ、彼女には会えないのだ。


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僕が彼女と出会ったのは、大学生のとき。

別にロマンチックなエピソードがあるわけでもない。


単に、バイト先が同じだったと言うだけだ。


だが、その出会いは僕にとって衝撃だった。


いわゆる一目惚れというやつだ。


少しづつ距離を縮めて、6ヶ月もかけてはじめて二人で遊びに行った。

更にその6ヶ月後に、恋人になった。


彼女にとってはどうなのか分からないが、僕にとっては初めての恋人だった。


一気に人生が充実した気がした。


たまには喧嘩をしたりすることもあったが、ほとんど毎日が楽しかった。


彼女の声が聞ける、彼女の笑顔が見られる。

それだけで幸せだった。


だが――


そんな幸せは長く続かなかった。


その日も僕は彼女といた。


しかし、その時は幸せないつもとは違った。


きつい、だるい、体調が悪い。

起きることさえ出来ない状態だった。


そのまま病院へと向かい、色々な検査をした。


彼女の顔は不安そうだった。大きな瞳がうるんでいた。

そんな彼女を見たのは、初めてだった。



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病院に運ばれた数日後。


ようやく僕は彼女と再会した。


彼女は、安心したような、少し泣きそうな。

そんな顔で僕を見た。


それから、時間の許す間、沢山話した。

と言っても多分30分くらいのものだと思う。


内容は殆ど覚えていない。


最初に聞いた言葉以外は。


もうすぐ会えなくなるかもしれない、と。

その言葉だけがやけにはっきり聞こえた。


聞き間違いだと思った。

いや思いたかった、が正しい。


なんで、どうして、何があったの、と色々な言葉が頭の中をよぎったが

それらが口から出ることは無かった。


出たのは、嗚咽と涙だけだった。


しかし、不思議なことに、彼女の目から涙がこぼれることはなかった。


とても綺麗だけれど、どこか寂しそうでもある……

そんな目をしていた。


全てを見透かしているような……

だけど、どこかで見たことがあるような。


だめだ、思い出せないや。


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散々泣き腫らした目を擦り、僕は図書館にいた。


病院から出た足は自然にここへ向かっていた。


彼女が言ったことを改めて知った。

知るべきことも、知らなくてもいいことも。


彼女の病気は、血液のがんとも呼ばれていること。

その中でも極めて稀な症例だということ。

発症初期の治療が大切だということ。


――もう既に、初期ではないということ。


彼女が、とても無理をしていたということ。


思えば前兆はあったのだ。


顔色が悪い時もあったし、熱っぽいと言っていたこともあった。


それなのに。


僕は何も気づかずに、

自分だけの幸せを謳歌していたという訳だ。


いや、違う。

正しくない。


気づいていた、わかっていたのに。

無視をしていたのだ。


自分が楽しいから、幸せだから。


自己嫌悪、後悔、怒り。


そんなものが心の中を渦巻いて、僕の心は真っ黒になった。


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それからの日々は早かった。


僕は何度も病院に通った。

何度も何度も彼女にあった。


彼女は次第に変わっていった。

だんだんと部屋から出る機会が減った。


だんだんと歩く姿を見られなくなった。


だんだんと起きていられなくなった。


だんだんと声が聞こえなくなってきた。


それでも、変わらないものもあった。


彼女の瞳は変わらなかった。

相変わらず、儚げな光を宿していた。

全てを見透かしているようだった。


僕はただ隣に座って、時々開くその瞳を

時々笑うその顔をただひたすらに目に焼付けていた。


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ある日もまた、真っ白な部屋を訪ねた。

彼女は高熱を出して、やっと落ち着いたところだと聞いていた。


だが


部屋の中には窓際に座る彼女がいた。


「今日はとても調子がいいの。」


そう言って微笑んだ。


久しぶりにゆっくりと話した。

二人で見に行った絶景、一緒に食べたレストランの食事の話。


色褪せない思い出。

話は尽きなかった。


面会時間が終了する寸前。


彼女は言った。その時もあの目をしていた。

いつもより澄んで見えた。より儚く見えた。


それはいけない。

ダメなことなんだ。


ためらう僕に、彼女は更に言った。


「新しい思い出が、ほしいの。」と。


そして、たった一度。


最初で最後。

僕達は唇を重ねた。


ああ、願わくばこの数瞬が

永遠に残りますように。


そんな願いを込めて。


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この部屋は真っ暗だ。

今はもう、本当に何も無い。


ここから桜を見ることも、ここに来ることももう二度とない。


少し前、彼女の母親から電話があった。


予想通りの悲報だったが、不思議と涙は出なかった。


何故か。


簡単だった。もう終わっていたからだ。

あの時、この場所で。


僕と彼女の物語は終わったのだ。


最初で最後の、最愛を描いたのだ。

僕の心は、もう何も感じなくなっていた。


早く、行かないと。

そう思って、足早に車に乗り込んだ。


しばらく車を走らせてたどり着いたのは、思い出のひとつ。

絶対に穢れない彼女との輝き。


ふとバックミラーに目をやる。

そこに移った僕の目は、なぜか見覚えがあった。


ああ、そうか。

ようやく気がついた。

この「ひとみ」は……。


やけに軽いアクセルを踏みながら思った。


――また会えるって。

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この「ひとみ」 みすてりぃ(さみぃ) @mysterysummy

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