第28話 塩原 天子
「ハァ……ハァ……」
半分沼みたいな泥の道。その中を掻き分けるようにして私は進んだ。背の高い葦みたいな植物の陰、倒れた木の下、狭い岩の隙間、変化した私の体はどんな狭い隙間でもニュルリと通り抜けられる。
私は誰にも見つからないように、汚れた道をただ突き進んでいった。
※ ※
「はあ?決まってんだろ?私達のカードと交換すんだよ!ほら、さっさと渡しなよ。全くトロいんだから」
「あっ……」
私の手から天使のカードが取られ、代わりに変なカードを渡された。
私は塩原
昔から自信が無くて自分の意見も言えないし、嫌な事も嫌と言えない。そんな自分は本当に嫌いだけど、かといって直すこともできない。
中学生時代もいじめてくる子はいたけど、今はこの
いじめる理由なんて私が人見知りとかそういう些細なものだった、と思う。でも捌け口としては丁度よかったんだろう、抵抗しない私を執拗にいじめてきた。
周りも助けてくれる人はいない。確かに学校ではあんまり目立つことはしてこないけど…誰か助けてくれてもいいじゃない。こういう時顔が可愛くないのは本当に損だ。
そんな時にこの騒ぎ。
変な状況なのに天使さんは変わらず私…と、もう一人のいじめられっ子に絡んでくる。カードも無理やり交換させられた。そのカードは何の意味があるのかよく分からないから別にいいんだけど。
その後に阿鼻叫喚の地獄が展開された。
泣き叫ぶクラスメイト。私の中に混じってくる友人。そして告げられる男の人の言葉。
「それじゃ、ゲームスタートだ」
※ ※
そして今、私は見たこともない場所にいる。
生い茂る木々、周囲に広がる足首まで浸かる泥水、そこは一言で言えば劣悪環境の湿地帯だった。
私の手元にあるのは泥まみれの皮袋だけ。中身は水と吹き矢と回復薬っていうやつ。吹き矢は宝箱に入っていたけど、こんなもの使ったことないし使うのも怖い。
「あの塔に行けばいいのかな…」
遠くに見える高い塔。きっとそこに行けば助かるんだ。
そう信じて、私はこの気持ち悪い湿地をゆっくりと進んで行った。
「よーう、塩原!あんたとこんなところで会えるなんてツいてるわ〜」
そして私はクラスメイトと出会した。私が一番会いたくない相手、天使 雫。最悪だ、まさかこんなところでこの人に会うなんて…。
「おい、何とか言えよコラ」
「は、はい、あの…蹴らないで…」
私のことを蹴りながら迫る天使さん。こ、怖い。とても逆らえない。
「でもホント最悪。こんなきったねえ場所に飛ばしやがって、あの男ぜってー許さねえかんな。なあ、塩原」
「あ、は、はい…ですね」
急に話を振られたので慌てて話を合わせる。
「まあいいや、そんじゃ出しな」
「えっ…な、何を?」
「あんた本当にバカ?全部に決まってんだろ、持ってるもん全部。カードも全部だよ」
「えっ…」
確かこの試練ではカードを取られると死ぬって言ってた、気がする。そもそも水だって無くなったら死んじゃうし、もしかして天使さん私のこと…。
「あ、あの天使さん、カードを渡したらその、私は死んじゃうから…」
「そうだよ、だから死ねって言ってんだよ。お前みてーなクズ死んでも誰も悲しまねーから」
私は絶句した。この人は人間の心がない。いや、こんな状況だから弱い私から奪うのは間違っていないのか。でもそんな判断をすぐに出来るこの人はやっぱり恐ろしい。
「何してんだよ、早く出せって言ってんだろーが!痛い目みねーと分かんねーのか?」
そう言うと、天使さんの背中からバサリと片方だけ翼が生えた。うっすら光っていて神秘的な感じがする。こ、これが天使の力なの。
「私の【天使】はな、魔法が使えんだよ。ビームとかも出せるようになるんだ、すげーだろ」
自慢そうに言ってるけど、それ元々私の力なんだけど…。
でも確かにすごい力を感じる。これじゃ余計に逆らえない。
震える手で私はベルトからカードを取り出した。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
【
『軟体』の力。柔らかい体で物陰に潜む。大量の粘液と酸を分泌する。
同期率:32%
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そんな内容の貧弱なカード。私が躊躇しながらそのカードを差し出そうとしたその時。
「ぐへっ」
天使さんの首筋に矢が突き立った。続けてもう一発がお腹のあたりに刺さる。
目の前で突然人が死んだ。その衝撃に私は尻餅をつき、下半身が泥水に埋まった。
「やったぞ!あの翼は天使のはずだ、星3だぜ!」
「こりゃ大当たりだな、ツいてるぜ」
そんな声が聞こえて、そちらを見ると弓を持った男の人が二人立って騒いでいた。あ、あれがハンター。天使さんはあのハンターに…。
「が…こ…の…クソが…アアァアアア!!!」
でも天使さんは死んでいなかった。
首とお腹に矢を生やしながらも、ピキピキと音を立てて体が変わっていく。
白い鎧みたいな肌が出てきて、何だか半分機械みたいな気持ち悪い感じになっていく。翼が四枚に増え、頭の上にはボンヤリと輪っかみたいなものが浮かび上がってきた。ば、化け物…もう完全に人間じゃない。
「ぎイ”イ”イィイイィィアァーー!!!」
人間とは思えない、金属質な甲高い声。頭が痛くなるそんな声を出した天使さんは、ハンターの方に顔を向けた。
機械みたいなその顔には、口くらいしか人間らしい部分は無い。その口を大きく開け、その口内が眩く光った。
「くそっ、死んでねえ!このバケモンが!」
その光と同時に撃った矢が天使さんの胸に刺さる。胴体はまだ人間の部分が多い、矢が抵抗なく刺さったから、あそこはまだ人間の部分なのかもしれない。
そして矢を撃ったハンターを見ると、その下半身は全て焼失していた。さっきの光…あ、あれがやったの?まさかあれがビームみたいな魔法…?
「この野郎!早く死にやがれ!!」
そして天使さんの胸にもう一発矢が刺さる。完全に心臓の場所だ。
「ゴ…ガ……ギイ”イイィィ!!!」
でも天使さんはまだ倒れない。撃ったハンターの方に顔を向け、またカッと光が走る。ハンターの頭が消し飛び、その体がずるりと倒れた。
「ギ…ギ……ギイィ……!!」
声を出しながら天使さんがふらつく。
ま、まずい、次は私だ。は、早くここから逃げないと…いや、間に合わない。どこかに隠れるんだ!
私は無我夢中ですぐ側にある倒木の下に潜り込んだ。ここしか隠れる場所が無かったけど、何とか私でも入れる隙間だったのはラッキーだ。
私は祈る気持ちで息を潜めた。
早くどこかに行って…お願い。私に気付かないで!
…でも何の音も聞こえない。暴れてる様子もない。どこかに行った?も、もう大丈夫なの?
そして数十分隠れていた私は、そろそろと倒木の下から這い出して様子を確認した。
そこには2mほどの天使の化け物が倒れていた。
変身途中に受けた矢の攻撃に体が耐えられなかったんだろう、完全に絶命していた。
これが天使さんの成れの果て。私をいじめていた女の最後なんだ。
「…ざまあみろ」
とりあえずそう言ってみた。でも何か違う感じがした。何かが虚しいだけだ。もしかしたら私が直接殺したかったのかもしれない、とも思ったけど、それも違う気がした。
「分かんない…分かんないけど、私は生き延びられた」
結局死んだら終わりなんだ。どれだけ虐げられていても、最後に生き残った人の勝ち。そういう風に世界は出来ているんだ。
私は天使さんのベルトからカードを取り出し、ハンターのカードも回収した。星は金色と銀色で色が分かれてたけど、数は何と全部で7枚になった。試練の条件は余裕でクリアしているから、あとは生きてゴールまで行くだけだ。
「私は絶対に生き延びてやるんだ…」
そうして私はナメクジのように柔らかい体で隙間を進み、静かに塔を目指した。
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