第3話 『睡蓮』


 (「睡蓮」は、ねむる、という字を使うけど、いわれは何だろうか?)

 美術評論家で、公認心理士の資格を持つ、村田真子むらたまこは、ひとちた。


 モネやルノアール、ゴッホ、セザンヌなど、”後期印象派”の絵画は、ポピュラーでファンも多くて、評論も需要が多く、いろいろと勉強したが、そこは盲点だった。


 さっそく、カタカタカタ、とキーボードを弾き、…「睡蓮」。英名” White lily”。 眠る蓮、という和名は、夕方から夜間には花弁を閉じることから来ている。花言葉は「Purity of heart (清らかな心)」。…等々が分かった。


 なるほど、睡蓮は、仏教で”澄んだ精神の境地の象徴”と言われる花で、それでモネが最後にたどり着いた題材と言われているのは既知だったが、花の習性までは知らなかった。


 蓮華座、という瞑想の座法もあるし、ハスは「宇宙で最も美しい形状デザインをしている」花とかも言う。泥の中に咲くというので、余計にその高貴さが際立つ…そういう感じが宗教的で、実際に、エジプトでも「信仰」の象徴のイコンとされていたもたいだ。


 真子も、モネの「睡蓮」の複製を、壁のいちばん目につく場所に架けてあった。


 静謐で、閑寂で、優美な世界…芭蕉の「かわず」の句を連想するような、典雅な風流さ。そういう東洋的なスタティックさに、油絵の伝統的な重層的なタッチならではの色彩のリアリティが絶妙なハーモニーを奏でている。モネならではの細密で繊細な自然描写だった。


「いつ見ても、本当に綺麗な絵ねえ…」真子は、ほっとため息をついた。


 …この絵は、夭折した真子の弟のBirthday present なのだった。

 弟には知的な障碍があって、が、天才的な画才があり、これは、美術館に通ってその弟の”光”が、自分で模写したものなのだった。


 光は、どこまでも純粋な魂が、そのままに無垢に息づいているような、そういう印象の少年で…結局その”少年”の印象が薄れないうちに早世した。


 そのまっすぐで、けがれのない瞳に映っていたこの「世界」は、どんなにか美しいものだったろうか…? この絵には、事実そのままには決して知りえない、その尊いような畸人の芸術家の主観のニュアンスがありのままに表現されている、という気がした。


 睡蓮の花言葉は…「清らかな心」。

「そう、本当に、あの子は清らかな魂そのものみたいな存在だった…」


 …そうつぶやきながら、真子はそっと絵のsignature に口づけをするのだった。


<Fin>


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