第3話
家庭科室は南校舎1階の一番端っこ、保健室を通り過ぎて下駄箱を通り過ぎて右に曲がってそれから職員室を通り過ぎて…さらに走ったら見えてくる。
家庭科室のドアを開ければ、チョコレートの甘い香りがふわっと鼻の中に入って来るから…
ここが小鳩結都が所属するチョコレート研究会の部室。
「失礼しますっ」
ガラッと勢いよく開けて、そのまま足を踏み入れようと思った。だけどあまりに夢心地のような香りに包まれてそれ以上中へ入って行くことを忘れちゃった。
すごくいい香り、甘くてとろけるような…
「何ですか?」
あ、しまった!イメトレまでして先手必勝を打とうと思ったのに計画失敗した!
水色のエプロンを着けた小鳩結都が超不機嫌な顔でこっちを見てる。
「…あのっ」
やばい、言おうとした言葉も忘れちゃった。あんなに準備して来たのに。
「部活中なんで邪魔しないでもらえますか?」
有無を言わせないこの状況、睨みを効かせた視線が痛い。
「忙しいんですけど」
えっと…、でもここでこのままドアを閉めるのも…どうかなぁ?
ここまで来たわけだしね…
そんな私のことなんか無視して作業はどんどん進められて。小鳩結都の細長い指先によってスルスルと艶やかなチョコレートがシリコンモールドへと流されていく、一寸の狂いもなく垂直に流し込まれたチョコレートはまるで自らその場へ向かっているみたいに収まっていく。
何も言葉発さないままじーっと見入ってしまった。小鳩結都から目が離せなかった。
綺麗な手、してるんだなぁ。
毎日チョコレート作ってるとは思えないくらい、綺麗な手。
「いつまでそこにいるんですか?迷惑です」
「えっ!?」
吸い込まれるように見てしまったチョコレートは気付けばすべて流し込まれ、小鳩結都によって冷蔵庫の中へと運ばれて行った。甘い香りだけがふわふわ浮いている。
「あ、あのね!」
せっかくここまで来たんだ、やっぱり言わなきゃ!
でも口を開いた瞬間、小鳩結都の目の色が変わったから。これはまたあの話だろ?と言わんばかりに、威圧感飛ばして来たから。
「チョコレートって昔は王族や貴族の贅沢品だったんだね!」
全然思ってることと違うこと言っちゃった。会話のセンス絶対ミスった。
もっと上手に、こう…なんか言い感じな流れを作った上で、最終的にチョコレートを作ってもらえるようお願いするはずだったのに。
「……。」
「…。」
「…その話興味あります?」
見透かされている。そんな目で見ないで、余計辛いから。
「チョコレートは海外では大人の
私から視線を逸らした小鳩結都が絞ったふきんを持った。作り終わった直後から片付けを始める手際のよさ、テキパキと動きも早かった。
「しこうひん?」
「どんなものを嗜好品って呼ぶかわかりますか?」
「え、まっ…待って!調べるから!」
「いや、わざわざ調べなくてもいいですけど」
ここで知らない!とは答えたくなくて、制服のポケットからスマホを取り出してすぐに“しこうひん”で検索した。
漢字で書くと“嗜好品”なんだ、それはなんとなく見たことあるかも。
「あ、出て来た!嗜好品!えっと…、栄養をとるためでなくその人の好みによって味わい楽しむ飲食物…?」
「そう、つまりは娯楽なんですよ」
「娯楽の…食べ物?」
「チョコレートもそのひとつです」
確かにお菓子だし、栄養とかそーゆうのは考えてないなぁ。おいしいから食べるが最大の理由だと思うし、カロリーとか気にしてたら食べられないよね。
あんなに広げてあった道具や材料は瞬時に片付けられ、机の上はゴミひとつなくキレイになっていた。もう一度ふきんを水で絞った小鳩結都がキリっとした目で私を見た。
「食べてみますか?僕の作ったチョコレート」
予想外の言葉にドキッとする。
「え、いいの!?」
こんなにも早く願いが叶うとは思わなかったから。
夏休み中ずっと思い続けたチョコレートが…やっぱり図書室で勉強して来た甲斐があったかも、あの土下座だって意味があったのかもしれない。心臓がドキドキして来た。
「もうすぐ完成しますから」
噂でしか聞いたことないチョコレートに、会えるの?本当に…
「早いんだね、固まるの」
「薄く広げられるモールド使ってるんで20分ほどで固まります」
すぅっと息を吸って呼吸を整える、ちょっぴりドキドキする胸を押さえて一歩踏み入れる。
今、初めてチョコレート研究会の部室に入った。
「もうすぐ出来ますからお待ちください」
小鳩結都がエプロンを外した。手慣れた手つきでささっとコンパクトに折りたたんで、何をするにも無駄がないんだなと思った。
まぁまぁ広い家庭科室の隅っこで、ぽつんっと作業してるのはちょっとだけ違和感だったけど。
「ねぇ、チョコ研って小鳩ゆ…っ、くん1人?」
「…気遣ってくん付けとかいりません」
「そう?じゃあ、小鳩…1人なの?部長やってるの?」
「2人です、部長は先輩がやってます」
「そうなんだ、だから研究会なんだね」
チョコレート研究会、通称チョコ研。
うちの高校では部員が3人以上なら部活で、2人以下の場合は研究会としての活動になる。活動内容的にはこれといって差はないけど、マイナス面と言えば部費が格段に安いこと。帰宅部の私にはあんまりわからない話だけど、それはそれは大きな差らしい。
「部長は今日はいないの?」
「……。」
「え!?何っ」
なんとなく気になったから聞いてみただけだったのに、顔をゆがめた小鳩がこっちを見ていた。
「そんな知りたいですか?」
「知りたい!ていうか、会話の流れじゃない!?」
ちょっと心を開いてくれたのかもって、調子に乗ってどんどん聞いちゃったのがいけなかったっぽい。急に不機嫌な態度で睨まれた。
普通に会話してるだけなんだからもっと笑ったりとかできないのかな、愛想なさすぎだよ?せっかく顔がいいのにもったいない。
「…毎日活動してるわけではないので、今日は自由活動日です」
本当はこのまま、なんで敬語なのかも聞きたかったけどもう教えてくれそうにない雰囲気に負けてしまった。無言の時間がなんとも言えない。小鳩、難しい。
「20分経ちました、完成しましたよ」
最後の方ちょっとだけ気まずくなりかけたけど、図書室で学んどいてよかったどうにか間が持った。完成する前に追い出されるかと思ったね、危ない危ない。
小鳩が冷蔵庫からチョコレートが流し込まれたシリコンモールドを取り出した。はやる気持ちが抑えられなくて、つい小鳩にくっつくように隣に並んでしまった。
邪魔そうな目で睨まれたから、サッと離れて距離を保った。ちょっと笑ってみたけどそれは無視された。
シリコンモールドに敷き詰められたチョコレートが小鳩の手によってテキパキと外されていく。そのスピードも早い、どんどんチョコレートが並べられていく。
……。
これが小鳩結都が作った魔法のチョコレート…
すごい、キラキラしてる。
なんだか胸がいっぱいで、瞬きするのも忘れてしまった。
「さぁ、どうぞ」
小さなお皿に乗った、一口サイズの長方形に模もされたチョコレートが目の前に出された。
おぉ、ついにこれが…
ごくんっと息を飲んで、1枚手に取った。
「…いいの?」
「今更いらないんですか」
「いる!いるますっ!」
あぁっ、思いっきり嚙んじゃった。
だってこんなに早く手に入れられると思ってなかったからー…
どんな味がするんだろう?どんな風に溶けていくんだろう?
すぅっと息を吸って、深呼吸をする。
「…いただきますっ」
パクッと一気に全部放り込んだ。
カカオの香りが口の中に広がって、舌の上で滑らせれば一気に世界が変わる。
わぁ、すごい…
これが小鳩結都のチョコレート…っ
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