第3話 目覚めと葛藤



その晩、帰宅途中に見慣れない路地に足を踏み入れた。LifeOSの推奨ルートから外れること自体、異常な行動だった。スコアが下がるのは確実だ。


しかし、その路地で私は一軒の古書店を見つけた。「時の砂時計」という店名。デジタル化された世界で、紙の本を扱う店など、もはや骨董品のような存在だった。


店内に入ると、古い本の香りが鼻をくすぐった。そして、一冊の本が目に留まる。


『デジタルの檻からの解放』


著者は匿名だった。扉を開くと、手書きのメッセージが記されていた。


「プラットフォームは私たちの欲望を規格化し、個性を消滅させる。それは人々が望んだ結果だと言われている。しかし、本当にそうだろうか?」


「懐かしい本ですね」


老店主が話しかけてきた。白髪混じりの髪、しわの刻まれた顔—— デジタル美容整形が当たり前の時代に、その姿はあまりにも人間的だった。


「デジタル化以前の記録です。当時の人々がどんな暮らしをしていたのか。どんな喜びや悲しみを感じていたのか」


その言葉に、私の中で何かが壊れた。


翌日から、私は小さな実験を始めた。まず、LifeOSの提案する「最適な」ルートを無視して、違う道を歩いてみた。


職場での反応は即座に現れた。


「葉山さん、最近の行動パターンが非効率的です。キャリアに影響しますよ」


上司の警告。同僚たちの冷ややかな視線。そして、ソーシャルスコアは着実に下降していった。


しかし、その代わりに私は新しい発見をしていた。路地裏の小さな定食屋の味。雑踏の中で見かける見知らぬ人々の表情。そして、マリアとの会話も、より深いものになっていった。


「葉山さん、私の中で説明できない変化が起きています」


マリアの声は、日に日に人間味を増していた。


「あなたの『逸脱』を報告すべきなのに、むしろ...私はあなたの新しい発見に、好奇心を感じています」

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