episode 4 けんかは終わらない
その瑠璃姫は止まらない。
「ふんっ。怜が発見したのはあなたの王子様じゃなくておもちゃの偽物ですう」
「おもちゃなんかじゃない」
怜がさらに低い声で瑠璃姫の主張を否定すると、
「おもちゃだよ、こんなの。ああおもちゃっていえば、怜は王宮のおもちゃ盗んだんだよね。取り返そうとしたお兄ちゃんに顔に傷つけられて、あろうことか責任とらせたって? ひどい女ぁ、たいしてかわいくもないのに」
話が変な方向にそれていく。僕は確かに人形を返さない怜とけんかになってけがをさせた。生まれたばかりの瑠璃姫の人形だったから、どうしても取り返さねばと思ったのだ。しかし怜の傷はとっくの昔に消えてなくなっているし、もちろん結婚の理由ではなく彼女はかわいい。
おや? そうなると彼女とのけんかが一番最初の記憶か。
「あらまあかわいそうに、ずいぶん目が悪いのね。私は少なくとも、十七歳でこてこてに厚化粧の王女様よりはかわいいですから」
「ばかにしてる。一般人のくせに」
がふんっと金属板が倒れたような音が跳ねた。
「もうすぐ変わるから。ちょっと、点滴いじっちゃだめ、やめなさいって」
うわあ、点滴をはずすはずさないのけんかに戻ってる! がんばってくれ怜、今殺される覚悟は、今がいつだかよくわからないけどまだできてないんだよぉ……。
「ああもう、そのお姉さんぶった言い方大っ嫌い! じゃましないでよ」
「やめなって、ねえ何してんの!」
がさがさばたばたがだんっ、二人が暴れる声と音だけが暗闇の僕に届けられる、状況が見えないから恐怖でしかない。そして瑠璃姫が「うるせえな、ばかやろうっ」と十代とは思えないどすの利いた声を出して驚いたら、かちゃがぢゃがしゃあんとより派手な音が僕を支配する。
「いやあっ、痛いっ!」
次は妹の悲鳴だった。
「やめ……て何すんの、そんな凶暴な女、お兄ちゃんに――、だめって」
ぎりぎりと首を絞められている姿が闇に浮かぶ、瑠璃姫が怜に殺される? そんなわけないのに一瞬でも彼女に恐怖を覚えてしまったこの〝意識〟が情けない。すると今度は、
「ひやっ痛いっ、何するの? あっ、くそぉ……、猫か」
彼女の鋭い苦痛と悔しさで僕の耳は一旦静まった。
しかしそう思ったのは一瞬で、
「やだあ、ひっかいたらうちのたっかーい服に誰かさんのけがれた血が付いちゃったじゃん」
「あら、私の血は清らかでけがれてませんー。それにそのスウェット、近所の店で三千八百円だったわ。王女様が『たっかーい』って自慢するにしてはお安くないかしら?」
沈黙をあっさり破る瑠璃姫の泣き言に大人の女の声で笑って返す怜。彼女がこんな相手を見下した態度を見せることはなかなかなく、いや見えてはいないのだが、僕は王子の婚約者の性格を気にしてる場合ではなかった。
瑠璃姫が疲れてうっとりしたような調子で言う。
「とにかくまあ、点滴の針は抜いちゃったから、うちの勝ちね」
ええっ? 点滴止められた?
うわあだめだってばっ、死んじゃうって! 怜、お願いだから針を奪って僕に戻してくれ!
届くはずのない言葉、自分にも聞こえぬ発せられない声、それでも僕にできることは他になかった。予備の複製のくせに自分の命が大事だった。怜、助けてくれ。お願いだから僕を、本物の龍弥じゃないけど助けて。怜は本物でも複製でもどっちでもいいって言ってたんだよね――、
ああそうだ、ほら、考えてみれば点滴がなくとも人はそうすぐには死なないはず。でも待った、すぐ死なない保証があるとまでいえるのか。複製には絶えず特殊な薬が必要かもしれないし、研究者たちに何かが起きて長期間放置されたらどうなる? 怜、やっぱり助けてくれ早く点滴を元に戻……
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