秋葉千晴は退屈している
牛捨樹
Stage1 VS 霊媒師になった青年
第1話 偉そうな事務員
俺、
大手の出版社に勤めている俺は、毎日身を粉にして編集の仕事に従事している。そんなキッツイ毎日のちょっとした息抜きとして素敵な女性に声をかける。
あー、ちがうちがう。そんなチャラくて無理やりな感じじゃない訳よ俺は。ちゃんと色々同意の上だって。俺と遊んでくれるって女の人だけよ。遊びなのはちゃんと伝えて、それでもいいって人と遊ぶ。俺も既婚者だしな? もちろん嫁は容認してるから余計なお世話は仕舞っておいて欲しい。
とにかく、異性と遊ぶのは俺も相手も楽しいのが一番だ。
だから俺はその日声をかけた女の人も、いつもみたいにオールオッケーな感じだと勘違いしていた。いや、厳密に言うとオールオッケーだったんだ。本人は。だけどオールナッシングな存在が背後に居た。
もちろん、旦那だ。
それ自体はよくある事だ。だから俺もまあまあ場慣れしてる。
とにかく謝ったこともあるし、逆に旦那の方を言い負かしたこともある。だってほら、奥さん悩んでたから。
そんな場慣れした俺でも流石に初体験には弱い。
たとえば怒り狂った旦那が自分の部署の主任だった、とかな?
あとは修羅場。
怒鳴る甲斐性ナシと怒鳴られる迂闊な部下、知らないフリでタバコをふかす色っぽいご婦人。
悔むべきは未遂だった事だ。……悔むべきか? まあいいや。
俺はスーパーフォーミュラもビックリな速度で他部署へ飛ばされた。私怨なんて最低だぜ。流石嫁も満足させられない甲斐性ナシオヤジだ。
翌日自分の部署に席が無かった俺は、他部署を徘徊し自分のデスクを探しまわった。
堅めの週刊誌部署にあった筈の俺のデスクは、なぜだかオカルト雑誌部署の窓際に配置されていた。しかも外を向いて。拷問かっての。
上下ともに太々しさに自信のある俺は数日間を窓から車を数えて過ごしたが、このままでは職を失くし嫁を養えないし女性とも遊べないという事に気づいてしまい、渋々オカルト誌の編集として働き始めた。
正直に言うと俺はオカルトなど全く興味がない。
幽霊もUFOも大予言も俺の人生には必要のないものだ。関わりすら持った事が無い。そんな俺がオカルト誌でやっていくには詳しい人間に頼る他ない。
俺はたまたま仕事先で出会った霊媒師を名乗る人物の下へ相談に行きまくった。
しかし、実は心を入れ替えて真面目に働こうとした訳じゃない。
その霊媒師は美女だった。
背が高くてスラっとした長髪美女である彼女に会う為俺は事務所へ足繁く通い、足繁く口説いたが口説くのは普通に失敗した。身持ちの固い美人だったわけだ。最高だな。
それ以降から彼女の事務所へ向かう理由が"仕事を助けてもらう為"に変化した。フラれても気にしないがしつこくしないのが俺の信条だから、フラれたらビジネスモードに切り替えている。
そんな美人霊媒師の
『その日私は居ないから、留守番してる事務員に引き継いでくれ。まあ、
何気ないその呟きの中に俺は光をみた。
あの事務所に事務員が来た。恵比寿さんは留守が多いからこれで話を通すのが大分楽になる。しかしそれだけではない。
千晴。
ボソっと呟かれただけのその名前から、俺は明るめで少しおバカっぽい可愛い女の子の幻影をみた。いや、幻影じゃないかもしれない。
幻影か実物かを確かめる為、俺は相談を受けた案件の資料を片手にスキップ気味で恵比寿さんの事務所へ向かっていた。ぶっちゃけ千晴ちゃんがどんなタイプでもいい。よく行く場所に女性が増えるってだけで最高だ。てかそしたらあの事務所、花園じゃん。入り浸ろうかな。
じいさんとその奥さんが営んでる一階喫茶店の前を通り過ぎて階段を上がればそこには目的の事務所があった。
この事務所は特に看板のようなものも掲げておらず、外に備えついたポストにも住所と『恵比寿綾香』の名前があるだけだ。恵比寿さんは空きさえあれば誰の依頼でも受付けるらしいが、パッと見何もわからないこの事務所を尋ねるには誰かの紹介が必要だろう。やっぱり他人に理解され辛い商売だからか上手いことやるよな。
俺は見慣れたドアをノックしてから、足取り軽く事務所の中へ入っていった。
「こんにちはー。芦原ですー」
可愛い千晴ちゃんとの最高のファーストコンタクトを取るべく爽やかな笑顔を作っていった俺が最初に受信した情報は、年老いた女性の声だった。
「うちのネコすっごい食べるのよ最近。水もご飯も。食べてすぐどっか行っちゃってね? 上京した娘にそっくりなの。取り憑かれてるんじゃないかって」
思わず聞き返したくなるような質問をしていたのは一階で喫茶店を営む女性だ。たしか恵比寿さんにもよく世間話をしに来ていた。
この質問もたしかにヤバいが、俺にとって問題なのはご婦人の向かいに座る存在――
そこに座っていたのは若い男だった。
中肉中背で
つり目の男は半ば天を仰ぎながら女性に聴取を行っている。
「ネコが取り憑かれてるんですか? 娘さんに? 因みに娘さんが亡くなったのはいつですか?」
「やだ。亡くなってなんかないわよ失礼ね」
「はあ……。では取り憑かれてないと思いますよ? もしかしてお腹が大きくなっているんじゃないですか?」
「そうねえ。最近歩くのサボっちゃったから。でもね千晴ちゃん、そういうのは女性に言わないのがマナーよ」
今、千晴ちゃんって言った。
「貴女じゃありませんよ。ネコです。飼ってらっしゃるネコ。お腹、大きくなっていませんか?」
「ああネコね。元々太ってるから……ってええ……赤ちゃんいるかもって事? 千晴ちゃん、それはちょっと困るわ」
千晴ちゃん!?!? すっげえ馬鹿な会話の中で2回も千晴ちゃんって言った!!
「困られましても……。あ、どうもこんにちは。所長の恵比寿よりお話聞いております。どうぞこちらへ」
幻聴幻覚の類でなければ「千晴ちゃん」と2回も呼ばれたつり目の男は、扉の前で呆然とする俺に声をかけてくる。
随分愛想笑いの得意な野郎らしく、傷とつり目のキツい印象が和らぐ笑顔を浮かべているが今は何もかもがどうでも良かった。
「スミレさん。お客さんが来ましたのでコーヒー2つお願いします」
「はいはい。でも今度からスミレちゃんって呼んでね」
「よろしくお願いしますスミレさん」
スミレちゃんという名前らしいご婦人はため息をつきながら俺の横を通りすぎていく。さぞ綺麗だったであろう彼女は20年早けりゃ声をかけたいところだった。が、今はそれどころではない。
俺は一縷の望みにかけてつり目の男の方へ向き直った。
「初めまして。先日、恵比寿の助手兼事務員として雇用されました
爽やかな愛想笑いをする男を真っ直ぐに見据えた俺がやっと絞りだした言葉はもちろん一言だけだ。
「千晴ちゃんは……?」
目の前の男は少し驚いた後で片眉を上げて不快感を露わにした。
「…………初対面の方にちゃん付けされる理由が見当たりませんが、俺の下の名前が千晴ですね」
「なわけないだろ」
「はい?」
なわけないだろ。
じゃあこいつの名前って
そんな怒りを込めて俺は半ば呆れている様子のつり目を睨みつけた。
「俺の千晴ちゃんはどこだ!?」
「貴方の所有物になった覚えはありませんが千晴は俺です」
淡々と突きつけられた事実に俺は膝から崩れ落ちた。もう認めるしかない。いくら見渡してもこの事務所には、このムカつくつり目しか居ないんだから。
「男……男……千晴ちゃんが……俺の……」
「……あの。早く仕事の話がしたいので、さっさと名乗っていただき本題に入ってもらえます? 事と次第によっては俺にも仕事が発生しますので」
顔を上げた俺は35にもなって涙目になっていたと思う。
「俺はお前を秋葉って呼ぶからな……。絶対名前では呼ばねえぞ……!」
「好きな様になさってください。名前だけで女性に間違われた事なんて初めてですよ。思い込みの激しい方ですね。……ではお話を聞かせていただきたい」
ため息とともに吐き捨てた秋葉は、崩れ落ちた俺を平気で見下しながら足を組んでいた。どうやら奴の接客モードは終了したらしい。
ムカつくつり目が接客モードを終了させたように俺も対女性ちやほやモードを解除する。恵比寿さんに会うときよりも多少雑に座った俺は、とりあえずつり目よりも上の立場であるというのを解らせに動くことにした。
「偉そうな事務員だな。お前いくつだよ」
「今年19ですがそれが何か?」
「19!? 19って……大学生?」
「ええ。バイトです」
はああ!? バイトで大学生でこんなに偉そうなのコイツ!? さっきあからさまに俺の事見下してたのにバイトなの!?
見れば見るほどその態度は学生アルバイトなんかには見えない。本当に大学生なのかコイツ。
「マジかよ恵比寿さん……。学生バイトなんか雇う程事務仕事が嫌だったのか……」
思ったことをそのまま口にだした俺に対して秋葉は気に入らない様子で鋭いつり目を細めた。
「失礼な事を続々と言い続けてらっしゃるなか悪いんですけど、俺はまだ貴方の名前も知りませんが。まあでも構いませんがね? お話だけ置いて行ってくだされば」
「慇懃無礼な野郎だな。俺は
ああ言えばこう言う、なタイプらしいつり目野郎の前に俺は名刺を叩きつける。
秋葉は俺の名刺を受けとり、デスクの中へしまうとにっこり微笑んで見せた。
「よろしくお願いします芦原さん。俺はオカルト大好きです。気は合いそうにありませんね」
「だろうな。なんかお前いけすかないし。じゃあ遠慮なく話だけ置いて行かせてもらうよ」
こうなったらさっさと帰るに限る。
事務員の女の子は居ないし、美人霊媒師の恵比寿さんも不在だ。そうとなったらこの事務所に長居しても全く面白くない。さっさと話を置いて帰ろう。
なぜ恵比寿さんがこのムカつく事務員を雇ったのか全く理解できない。何故だ恵比寿さん。せっかくの事務員なのに何故女の子を雇わなかったんだ。
「はい、おまたせしました~」
苦悩する俺の背後からスミレちゃんの声が事務所に入り込んできた。一緒に入って来たコーヒーのいい香りは俺の横を通って、秋葉と俺に配膳される。
コーヒーを受け取った秋葉は「ありがとうございます」と微笑みながらスミレちゃんに代金を支払っていた。
「つーか、話を置いてくって具体的にどうすりゃいいの? 資料だけ置いていけばいいのか?」
スミレちゃんが出て行く横で俺が質問すると、秋葉は慇懃無礼な態度のままにこやかに応答した。
「いえ。普段しているように全て話して行ってください」
「お前に? それで恵比寿さんに伝えるのか?」
「本物であればそうします」
「本物?」
「本当に心霊が絡む案件であるかという事です。所長は多忙でして。心霊の絡まない案件にまで出向く時間はありません」
「心霊ね……」
オカルト誌に配属になってわかったことがある。
確かに俺の人生に全く必要ないまま関わりもなくここまできた『オカルト』だが、俺が思っているほど非現実的な話ではないらしい。
超のつく女好きである俺が、フラれたあとも足繁く通わないといけない程度にはこの世に"心霊案件"は存在する。
そしてこの事務所の主である恵比寿綾香さんは、紛れもなく本物の霊感と能力の持ち主だった。
たまたま出会ったときも、俺が持ち込んだ仕事へ同行したときもその仕事ぶりを目撃したが彼女の能力は凄まじいものだった。
なんつったって何も無い場所を刀で切りつけてたからな。刀使ってるってだけでビックリなのに切った場所から音やら匂いやらヤバいときは謎の液体なんかも出るんだからそりゃあ俺だって信じるよ。あの現象はプリンセスなんちゃらでも再現できないだろう。
オカルトの案件を持ち込んでは本当に幽霊が関わっているかを聞きまくって特ダネを探していた俺にはもちろん霊感なんてものはない。そんなものがあればこの事務所へ来る頻度ももう少し減ったかもしれない。
「本物かどうかなんて……そんなの解るのあの人だけだろ? お前にも霊感だかなんだかがあるってのか?」
「いいえ霊感はありません。しかし案件の見定めも俺の仕事内容に入っていまして」
「へぇ……忙しいとはいえ恵比寿さんもまた変わった事始めたな。俺は話通してもらえりゃそれでいいけどよ。……で、お前に偽物と判断されたらどうすんだよ。俺は仕事を持ち帰るのか? 学生アルバイト事務員の独断と偏見で?」
嫌味をたっぷり込めて言ってやったが、いけすかないつり目の余裕たっぷり笑顔が変動する事はない。穏やかに笑う秋葉は、俺の嫌味なんかでは感情を動かさないまま淡々と自分の役割について説明した。
「言ったでしょう? 俺は"助手"兼事務員です。心霊の絡まない案件であると判断した場合、俺がその案件を引き受ける事になるんですよ」
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