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 石井と瀬崎が去るのを確認してから、杏子は武政瞳に近づく。

 武政は横向けに倒れ、心窩部を押さえている。

 いつの間にか、呻き声は泣き声に変わっていた。恐怖や痛みで泣いているのではない。もっと大切な何かのために泣いている。杏子にはそのように聞こえた。

「少し話しますか」杏子は膝をつき、武政に声をかける。

 武政は頷く。

「今仲を殺したのも、梶本を殺そうとしたのも、あなたですね?」

 少し時間をおいてから、武政は頷く。

「他にも大勢傷つけた。違いますか」

 再び、武政は頷く。

 告知するなら今しかない――伊関は意を決し、心を殺して告げる。

「あなたはもう、野放しにできない。ここで報いを受けてもらう」

 武政はゆっくり体を起こし、正座する。

「一つだけお願いがある」武政は静かに言う。「兄のいた場所に行かせて。それ以外、もう何も未練はない」

「兄?」

「気づいてるはずですよ」武政は杏子の目を見る。「ここから少し離れたところで、超能力者同士が戦ってた。そこで兄は戦い――多分、命を落とした」

 そういうことか、と杏子は思う。

 三人で会議をしていた時から、戦闘の“気配”に気づいてはいた。様子を見に行こうかと一瞬迷ったが、その少し後に武政瞳の“気配”を感じたので、先に武政を追うことにしたのだった。

 とすると、戦っていたのが武政瞳の兄、武政陸斗、ということになるのか。そして、瞳は兄に加勢しようと――兄を守ろうと、急いでいたのか。

 伊関は少し考えてから、武政に言う。

「わかりました。そこに行きましょう」


 その戦いの舞台に向かう途中、武政は杏子の質問に答える。自分からも、色々な話をする。商売の話。裏の商売の話。裏社会の力関係や、協力・対立関係。自分自身の生い立ち。そして、兄弟について。

「伊関さんには、兄弟はいますか?」武政が訊く。

「いいえ」

「家族は?」

 杏子は首を横に振る。「私は一人です」

「私も、その方が良かったのかな」武政は独り言のように言う。「……って、考えたこともあります。兄や弟がいなかった方が良かったのかなって。でも、兄弟三人で過ごす時間には、確かな幸せもあった。夜更かししてゲームしたり、たまに美味しいものを食べたり。それを否定するのは、悲しすぎてできなかった」

「何で私にそんな話をするんですか」伊関は言う。

 武政はその質問には答えず、話し続ける。

「弟が死んだとき、多分私もどこか死んだんだと思います。良心とか。そこで私は、道を間違えた。でも、もう一度あの瞬間、弟の遺体に立ち会ったときに戻ったら……やはり同じ道を選んでたと思う。そして、兄と一緒に外道として生きる道を選んだと思う。きっと、そういう運命の下に生まれたんです、私は」

「あなたはそう言うけど、殺された人やその家族は、それで納得しますか?」

 伊関が問うと、武政は苦笑する。

「酷い言い方だけど……他人はどうでも良かったんです。弟を殺されたことで、私の人生は真っ黒に染まった。そこからどんなに色を重ねようとも、汚くくすんで、醜くなるだけです。なら、黒のまんまで良かった」

「汚いくすみがない人間なんて、いないでしょう。……黒く汚れても、少しでも明るいグレーを目指すような、そんな道もあったんじゃないですか?」

「……理屈で言えば、そうですね」

 武政はそれ以上話さなかった。

 杏子は少しほっとする。武政の話を、これ以上聞きたくなかった。彼女に対して、感じるべきではないはずの共感を覚え始めていたからだ。あえて突き放した、説教めいた言葉で彼女の話を否定したのは、自分を守るためだった。

 でも、道理を説く資格が自分にあるか? 彼女と同じ境遇におかれたとして、自分がそうなっていなかったと言い切れるか?

 いや……それとこれとは話が違う。よく考えろ――杏子は自身に檄を飛ばす。こいつは、何人も人を殺し、金を奪い、女性を操って搾取した。報いを受ける必要がある。だから、肩入れをするな。後で辛くなるのは自分なのだから。

 やがてその場所に辿り着く。ビルとビルの隙間の、狭いスペースだ。

 杏子はすぐにそこが現場だとわかった。超能力の“痕跡”に溢れている。

「ここですね」杏子が言う。

 武政瞳は頷く。

 まるで爆発が起こった直後のような、熱い“痕跡”を感じる。おそらく武政の兄のものだろうと杏子は推測する。その“痕跡”は、この場でプツリと消えている。彼がここで命を落としたという武政の推測は、妥当なものに思えた。

 伊関は隣に立つ彼女の顔を覗き見る。武政瞳は、俯いて静かに涙を流していた。

「兄と戦った相手を知っていますか?」

 武政は杏子に訊く。杏子はもう一つの“痕跡”に覚えがある。

「これは……最初に今仲涼太を含めた6名を昏迷状態に陥れた奴ですね」

 杏子は答える。

「そこから調べてたんですね。……そいつが何者か、分かりますか?」

 武政に訊かれ、杏子は首を横に振る。

「まだ分かりません。武政さんこそ、何か心当たりはありませんか。あなたの組織や、あなたたち兄妹に恨みがある人物とか」

「恨み、ね……」武政は苦笑する。「私たちを殺したいと思ってる奴らを全員集めたら、3時間待ちの行列ができると思いますよ」

 杏子はどう反応していいか迷い、肩をすくめる。

 武政は大きく息をついて、言う。

「ここでいいですよ」

「え?」杏子は意味を捉え損ねる。

「報いを受けさせるんでしょ。ここでいいですよ、もう」

 杏子は武政の顔を見る。顔は濡れているが、すでに泣き止んでいた。

「最後にもう一つだけ、いいですか?」武政が言う。「もし兄を殺した奴を見つけたら――私の代わりにそいつを殺して下さい」

 兄・武政陸斗を殺した犯人。それは、今回の一連の事件を引き起こした、全ての鍵を握る人物だ。

 杏子には予感があった。私はそう遠くない日に、そいつと対峙するだろう。

「必ず見つけます」杏子は応じる。「……殺すかどうかは、その人のことを知ってから判断します」

 武政は少し寂しそうに笑う。

 そして、杏子に背中を向ける。

 杏子が首に手を伸ばすと、武政は肩越しに杏子の目を見る。

「じゃあ……続きは地獄で話しましょう」

 そう言い残すと、正面を向き、背筋を伸ばす。

 杏子は武政の首と頭に手を置き、頸椎を折る。

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オルタナティブ・レイヤー 果無 可惟 Haténashi Kai @endless_kai

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