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 男が亜由美に向かって突進する。

 その動作の起こりを捉えて、亜由美は〈生成〉した“光の矢”を三発撃ち込む。

 男は体を捻って躱そうとするが、二発は胸部に、一発は頭部に当たる。

 一瞬顔を強ばらせるが、男はそのまま勢いを落とすことなく亜由美に殴りかかる。

 右のストレートパンチ。

 亜由美は鋭く左に跳躍し、男の側面の死角に回り込む。入身転換の体捌きだが、〈身体強化〉を発動させることでより素早く、ダイナミックに動ける。

 男の振り向きざまに亜由美は再度“矢”を3発撃ち込む。男は両腕でそれを受け止める。軽く手で腕を払うと、にやりと笑う。

 こいつ、頑丈だな――亜由美は舌打ちする。全身を装甲で覆っているみたいだ。

 〈クラッキング〉するのも、一筋縄ではいかなそうだ。肌感覚でわかる。もし楽に〈クラッキング〉させてもらえるのなら、最初からそれで済ませたかったが。


「ねえ、あれを使おう」

 “分身”の声が聞こえる。

「あれね」

 亜由美は以前“分身”と交わした会話を思い出す。“光の矢”に、〈クラッキング〉の感覚を“乗せて”発射する方法についてだ。

 “矢”が当たった箇所から、少しずつ身体のコントロールを奪う。巨大な鯨に、銛を撃ち込んでいくように。

「ちょうどそうしようと思ってた」

 亜由美は心の中で“分身”に答える。


 男は再び間合いを詰めてくる。

 亜由美は“矢”を発射する。

 男はそれを躱すと、素早く踏み込んで亜由美に迫る。

 そこだ――亜由美は狙いをつける。さっきのは釣りだ。これから射つ“矢”が本命だ。

 手を介して他者の神経系と“接続”するときの感覚――それをキープしたまま、手の内で“光の矢”を〈生成〉する。

 今度は左のジャブから来る。亜由美は右後方に体を捌き、〈生成〉した“矢”――“遠隔操作の矢”を男に発射する。

 “矢”は男の左肩に命中する。

「ぐっ」男は表情を歪めるが、攻撃の手は緩めない。そのまま右の回し蹴りを放つ。

 亜由美は後方に身を躱し、足を振り切った男の背側に回り込む。

 男は軸足をそのままに体を回転させ、亜由美に向き直る。


 亜由美は手応えを感じる。まだ弱いが――男の神経と“接続”した感覚がある。

 男も違和感を感じているようだ。左肩を回している。私の“接続”が干渉して、神経の伝達が障害されているんだろう。

 亜由美は改めて男を観察する。こいつの〈身体強化〉は相当なものだ。超能力による“外骨格”を全身に纏うことで、物理的な攻撃は無効化されるし、〈催眠〉などの“搦め手”的な攻撃にも耐性を得ているようだ。でも幸いなことに、私の“矢”はこいつに通用している。

 そして、おそらく――この男は〈身体強化〉一辺倒だ。他の種類の技術はない。私の〈クラッキング〉が成立すれば、こいつにはそれを解除できない。この調子で“遠隔操作の矢”を撃ち込んでいけば、あの身体を制御下におけるだろう。


「どう終わらせる?」“分身”が訊く。

「この世界から消す」亜由美が答える。

「……あれを、やるの?」

「証拠ごと消すには、そうするしかない」

 男を〈クラッキング〉で制圧したら、そいつの超能力を暴走させ、〈境界空間リミナル・スペース〉を作る。あとはその中で、男が分解されるのを確かめてから、〈空間〉を閉じる。

 悪夢を、自らの手で再現することになる。



 男の表情からは余裕が消えている。

 亜由美の正面で構えると、腰を低くして飛び出す。

 タックルが来るのを想定し、亜由美は後方に下がる。

 次の瞬間――猛スピードの飛び膝蹴りが顔面を目がけて飛んでくる。

「くっ!」亜由美は咄嗟に身体を反らし飛び退きながら、同時に目の前に“盾”を〈生成〉する。

 驚くことに、男の膝は“盾”を破壊する。そこで勢いを大きく落としたので、亜由美に攻撃が届くことはなかったが、直撃したらと考えると――亜由美は戦いが始まってから初めて背筋に寒気を感じる。

 男は膝を躱されたことでバランスを崩す。亜由美はそこを見逃さずに、“遠隔操作の矢”を男の左大腿に撃ち込む。

「ぐおっ」男は苦悶の表情を浮かべる。これで左腕と左足を封じられたことになる。

 それでも男は怯まなかった。まだ動く右手でストレートパンチを放つ。だが、足に力が入らず、スピードもパワーもない。

 亜由美は転換の体捌きで男の右側面に踏み込みながら、左手で男の腕を取って崩し、前のめりになった男の後頭部を右手で押さえる。合気道の回転投げという技の動きだ。

 この体勢に相手を抑え込めれば、そこからは形稽古通りに投げなくても、どうとでも料理できる。地面に倒して制圧してもいいし、膝蹴りを入れてもいいし、〈クラッキング〉で脳を破壊してとどめを刺すこともできる。

 生かすも、殺すも、私次第だ。

 その時、亜由美は気づく――自分の心の中に“生かす”という選択肢が発生したことに。

 相手を殺すつもりで戦っていたはずだった。なのに、いざ無防備になった敵を目の前にすると、“殺す”という選択肢を選ぶことが躊躇われる。

 ――本当に、殺さないといけないのか?

 男は全力で亜由美を振り払おうとする。

 亜由美は男の右側頭部に“矢”を撃ち込んでから、膝蹴りで男の右腕を折り、そして体当たりで突き飛ばす。

 男は地面を勢いよく転がってから、ビル屋上の柵にぶつかる。そしてすぐに、膝に左手をついて、柵にもたれかかりながら何とか立ち上がる。大きく肩で息をしている。悪鬼のような形相で亜由美を睨むが、右目は開いていない。

 亜由美は軽く呼吸を整える。ここまでで、時間にして1分も経っていないのではないか。この調子なら、こっちは5分5ラウンドでも戦えそうだ。


「分かったやろ。お前は私に勝てない」

 亜由美は男に話しかける。

「その子の治療費と慰謝料は、右腕一本で勘弁してやる。そっちが今後金輪際ウチらに手を出さないなら見逃してやるから、今すぐ消えろ」

 男は亜由美の顔を見る。

 そして――にやりと笑う。

 亜由美は動揺する。そして次の瞬間、自分がミスを犯したことに気づく。

「その子って……この子か?」

 男はそう言って横を見やる。そこにはサラが横たわっている。

 亜由美は男を、サラのそばに突き飛ばしてしまっていたのだ。

「やめろよ」亜由美は男に凄む。

「何を?」

 男はそう言って、サラに近づく。まだ少し自由が利く左手で、サラの首を掴んで持ち上げる。

 サラは喉を締められる激痛に反応し顔を歪め、男の腕を払おうと両手をばたつかせる。

「やめろ!」亜由美は叫ぶ。「殺すぞ!」

「強がりを言うのはやめとけ」男は笑う。「お前に人は殺せない」

「殺せるよ。早くその子を放せ」

「ほーう?」

「放せよ!」

「放すって……こうか?」

 男は柵の外にサラを投げ落とす。

 亜由美は、男が何をしようとしているか分かった時点で飛び出していた。限界まで〈強化〉した足で地面を蹴り、宙に躍り出る。

 身体を上下反転させ、空中に〈生成〉した“足場”を蹴って、地面に向かってダイブする。

 落ちていくサラに追いつき――その体を両腕で抱き留める。

 そして、落下地点の手前に何重にも電子の“安全ネット”を〈生成〉する。“安全ネット”は二人の体を受け止め、十分に落下の衝撃を緩和する。亜由美はサラを抱きしめたまま体を捻り、自分が下になるようにして、背中から地面に着地する。

 そこは建物と建物の隙間の、人が入らないようなスペースだった。

「サラ……サラ!」亜由美はサラを地面に寝かせてから、肩をさすり名前を呼ぶ。

「うう……げほっ」サラは呻き声を出し、それから喉を押さえて咳き込む。

 サラはまだ生きている――亜由美は胸を撫で下ろす。


 男もビルを飛び降り、亜由美の背後に着地する。

 後ろから掴みかかってくる“気配”を感じる。

 首筋に男の手が触れる。

 亜由美は即座にその場で体を反転させると、右手で男の左手を取り、左手で顔面を鷲掴みにする。〈クラッキング〉を発動させ、男の脳神経を侵す。ダメージを負い、体力の尽きかけた男を支配するのは容易かった。

「う……ぐおおっ!」男は叫び、後退りしながら亜由美の手を振り解こうとするが、徒労に終わる。

 亜由美は男と“接続”したまま、その精神の深部をまさぐり、掻き分けていく。探しているのは、超能力の制御に関する“部位”――それは解剖学的に同定できるものではないが、感覚的にわかる。

 男の足から力が抜け、膝立ちになる。まだ抵抗の意志は失っておらず、絶叫しながら首を左右に振り続けている。

 よし、そこだ――亜由美はその“部位”に到達し、掌握する。これでもう、男は“力”を使えず、その“力”は私のものになる。

 今度はそこで躊躇しない。その“力”の源泉――〈オルタナティブ・レイヤー〉――と繋がる“伝送路”を探り当て、強引にこじ開ける。

 亜由美が手を離し一歩後ろに下がると、決壊したダムの奔流のように“力”がオーバーフローするとともに、“伝送路”は急速に拡張し、〈境界空間リミナル・スペース〉――〈オルタナティブ・レイヤー〉と、自分たちが生きる〈時空レイヤー〉が重なり合った空間――に変貌を遂げる。

 男を中心に出現した〈境界空間リミナル・スペース〉がその全身を包み込む。それを確認したと同時に、亜由美は自身の“力”で〈境界空間リミナル・スペース〉の成長を抑え込む。あとは男を置き去りにしてこの〈空間〉を“閉じ”ればいい。そうすれば時空の重なり合いは消え、男は〈オルタナティブ・レイヤー〉側で死を迎える。

 〈境界空間リミナル・スペース〉内に取り残された男の身体が不規則に震え始め、その輪郭が少しずつ不明瞭になっていく。男は目を剥いて自分の手を見つめる。己の身体に尋常じゃないことが起こり始めていることを察知している。亜由美からすれば、この時点で男に意識があることがむしろ驚きだった。

「お前!」〈境界空間リミナル・スペース〉の内側から、男は叫ぶ。「何しやがった!?」

「死ね」亜由美は答える。そして〈境界空間リミナル・スペース〉を“閉じ”始める。

 右手をかざしたそのとき――〈境界〉の内側から男が手を伸ばして亜由美の手首を掴む。

 まだ動けるのか――亜由美は驚いて男を見る。男は歯を剥き出し、全身の力を込めて亜由美の腕を引っ張る。

 そうか。こいつは私を道連れにしようとしているんだ。

 亜由美は“光の矢”を次々に〈生成〉しては、男の肘関節に突き刺していく。

 もう男には防御手段が残っていない。

 “矢”が撃たれるたびに腕の肉は焼き切られていき――前腕が切断される。

 亜由美は力の抜けた男の腕を手首から引き剥がすと、それを〈境界空間リミナル・スペース〉内に投げ入れる。

 男は跪き、自分の身体が崩壊していくのを見つめる。

 そして――笑い始める。

 今度こそ終わりだ。亜由美は〈境界空間リミナル・スペース〉を“閉じる”作業を完結させる。

 最後に〈境界〉の内側を覗いた時、男と目が合う。

 原形を失いながらも、男は化鳥のような声で笑い続けていた。

「地獄で待ってるぞ、クソ女ッ!!」

 叫び声を残し、〈境界空間リミナル・スペース〉は消える。

 男の身体も消滅する。

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