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 亜由美は男の背後に倒れているサラの状態を観察する。仰向けに横たわるサラに目立った体の動きはない。表情に生気はなく、意識は失っているようだ。胸と腹に目を凝らすと――微かに上下に動いている。

 呼吸はある。まだ死んではいない。まだ助けられるかもしれない。

 そのためには、目の前にいるこの男を何とかしないと。


「お前のこと知ってるぞ」男が亜由美に言う。「うちの連中を病院送りにしただろ?」

「お前誰やねん」亜由美は答える。

「俺は身内をやった奴に落とし前をつけたいだけだ。正直に答えろよ、お前がやったんだろ」

 なるほど、と亜由美は考える。こいつが今仲の言ってた“上の奴”か。

「私がやったよ。その子じゃなくて」亜由美は言う。「でも先に手を出してきたのはお前の手下やぞ」

「誰に頼まれた?」男は亜由美を睨む。「言えよ。お前どこと組んでるんだ?」

「襲われたから反撃したんや。“組んでる”って、何それ? 何言うてんの?」

「じゃああれか、あれはただの正当防衛でした、とでも言いたいのか?」

「そう言ってるやんけ。何回も言わせんなよ」

 亜由美が言うと、男は拍子抜けしたような表情になる。

「本当に、他の誰とも関わってないんだな?」

 男に訊かれ、亜由美は頷く。

「そうかそうか」

 男は笑顔になる。

「じゃあ――ここでお前らを殺せば、それで万事解決ってことだ」


「は?」

 亜由美は顔をしかめる。

「ここで、ウチらを、殺す?……誰が?」

「どう思う?」男はまだ笑っている。

「もっと上のやつを呼ぶんやろ?……まさかお前ちゃうよな?」

 亜由美は男を挑発する。男の意識をこちらに向かせておきたい。間違っても、先にサラにトドメを刺そう、なんて気を起こさせないように。

「試してみるか?」男が言う。

「やめとき」亜由美は微笑む。「今仲みたいな廃人になるで」

「ははっ」男は笑い声を上げるが、目は笑っていない。

「今すぐここから消えろ」亜由美は言う。「さもないと殺すぞ」

「よしっ」男は声を張る。「上等だ!」

 そして肩と首を回しながら、ゆっくり亜由美に近づく。

「そういう感じで来てくれた方が、こっちとしても気兼ねなくやれる。泣いたり命乞いしたりするような奴らよりも、殺し甲斐がある。だからさ、頼むから、最後までそんな感じでいてくれよ」

 亜由美は男の目を見る。肉食獣のような目の奥がぎらりと光る。地獄の炎が瞳に映りこんているようだ。私を喰いたくてうずうずしているのが伝わってくる。

 でも――私は負けない。そんなことはあってはならない。私はサラを助ける。

 亜由美は深呼吸して半身に構えると、〈身体強化〉を全身に発動する。“矢”も“盾”もいつでも〈生成〉できるようにスタンバイする。

 男も全身に“力”を纏うと、両拳を上げてボクサーのように構える。

 戦いの火蓋が切って落とされる。





 兄の“気配”が変わったことに瞳は気づく。本気になった時の“気配”だ。

 そして――もう一つ、別の“気配”を認識する。今まで感じたことのない、新たな超能力者のものだ。

 いや……違う。これには覚えがある。

 今仲を処刑した時、あいつから微かに感じた“痕跡”に似ている。

 兄さんは、あの日6人を昏倒させた犯人と対峙している。

 瞳は腹心の部下の一人に電話する。

「兄が揉め事に巻き込まれた。私も助けに行く。もし私に何かあれば、後のビジネスは任せる。それから猫の世話もお願い」

 それだけ伝えると、瞳は家を飛び出す。





 異変が起こったのは、石井が今後の動きをまとめようとした時だった。

 ふと伊関を見ると、口元に手を当てて中空の一点を見つめている。いつもどこか超然としている伊関の顔に、一瞬逡巡の色が浮かぶのを石井は見逃さなかった。

「杏子、どうかしたか?」瀬崎もそれに気づいていて、伊関に声をかける。

「犯人が動き出しました」

 伊関は石井と瀬崎の方を向く。

「報告の途中ですいません、行ってきます」

「行くって、どこに?」

「犯人のところです。今行けば、捕まえられるかもしれない」

 伊関は立ち上がる。

「俺も行く」石井も腰を上げる。

「だめです」伊関は静かに、しかし強い口調で言う。「本当にごめんなさい、でも危険すぎます。ここで待っていて下さい。捕まえられたら、必ず連絡しますから」

 そう言いながら、伊関はコートハンガーに掛けてあったアークテリクスのシェルジャケットを素早く羽織る。

「伊関さん」

 石井の声に、伊関は振り向く。

「勝ってこいよ」石井が言う。

「私は戦いはしません」伊関は答える。「仕事をするだけです」

 そして伊関は二人に背を向け、旋風のように事務所を飛び出す。

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