2 - 22

 石井が瀬崎の探偵事務所を訪れたのは、その日の夕方頃だった。

「よう」瀬崎は軽く手を挙げると、石井を応接ソファに案内し、自分も腰を下ろす。

 伊関は無駄のない所作で三人分のコーヒーを机に並べてから、静かにソファに座る。

 会議は石井と伊関の情報共有から始まる。瀬崎はというと、時々質問をする他は発言をほとんどせず、伊関を見守っていた。伊関が前線で情報を集め、瀬崎がそれを監督し、必要に応じて助言する、というのが二人のやり方のようだ。瀬崎の教え方が良いのだろう、伊関という子は優秀だ。超能力とやらがなくても、いい警官になれそうだと石井は思う。

 一昨日に会ったばかりなので、そこまで重要な新情報はない。犯人――少なくとも、そのうちの一人――の人相がわかったのは大きな進展だったが、そこから先には進めていない。いっそ、全国指名手配できれば良いのにと思うが、相手が相手なので、それも難しいだろう。

 報告が一段落したところで、石井は伊関に訊く。

「答えられる範囲でいいんだが、知っておきたいんだ。これまで凶悪犯の超能力者を消した後、どうやって処理してたんだ?」

 伊関は少しの間俯いて黙っていたが、やがて口を開く。

「そうですね……自殺に見せかけたり、セメントで固めて海に投げたり、でしょうか。……遺体の状態にもよりますが」

「今回はどうするつもりだ?」

「まだ、決まっていません。犯人と接触した時点での状況、無力化した時点での状況に依存しますので」

「じゃあ、こうしよう」石井は宣言する。「伊関さんが犯人を殺した後、俺がその事件を自殺として処理する」

 伊関と瀬崎は目を丸くして、顔を見合わせる。

「本気で言ってるのか?」瀬崎が訊く。「それが何を意味するか、理解してるのか?」

「分かってる」石井はまっすぐな姿勢のまま答える。「その上で言ってるんだ。俺だってここまで関わったんだから、出来ることは最後までちゃんとやらせてもらうよ」

「お前が手を汚す必要はあるのか?」

「それを言うなら、ここまで知った上で、お前たちのやっていることを黙認した、その時点で俺の手は汚れている。それにこんな仕事、伊関さんばかりに背負わせたくないよ」

 瀬崎は腕を組み、黙り込む。

 それから、伊関の方に目を向ける。

「杏子。お前はどう思う?」

 伊関は俯いたまま、しばらく考え込む。

 事務所に沈黙が流れる。

 それから伊関は一言ずつ念を押すように石井に言う。

「これは……本当に危険です。万が一、真相が明るみに出れば、あなたの立場も、命も危なくなる。それでも、ですか?」

 石井は頷く。悩みに悩んで、結論を出してから、この事務所の扉をくぐったのだ。

「伊関さん、あなたにしか出来ないことはある。それは、超能力を使う犯罪者を見つけて、制圧することだ。でも、あなたじゃなくても出来ることだってある。そういうのは、俺に任せてほしい」

「……わかりました」伊関は礼をする。「ご協力、感謝します」

 石井はもう一度頷く。

 そして一呼吸置いてから、口を開く。

「それと、一つ無理を承知で頼みたいことがある。……あなたが犯人を生きたまま捕らえられたら、一度そいつと話すことはできないか?」

 伊関は石井の目を見る。

「危険なこともわかっている。話したところでまず何も変わらないだろうというのも、わかっている。お前たちの、超法規的なやり方に協力する覚悟は決まってる。それでも……犯人は刑事手続に則って罰されるべきだという原則を――俺たちがずっと遵守してきた原則を――諦められない自分がいるんだ。俺自身が納得するために、超能力を犯罪に使う奴と、話さなければ気が済まない。……無茶を言ってる自覚はあるが、頼む」

 伊関は少しの間俯いて思案する。それから石井に顔を向け、答える。

「わかりました。生きたまま捕えられる保証はありませんが、やってみます」

 


 再び、事務所に沈黙が流れる。

 それを破ったのは瀬崎だった。

「そうと決まったなら、今のうちから準備をしよう」

「準備、ですか?」伊関は瀬崎を見る。

「超能力者を捕まえて倒す、そのシチュエーションごとに、どう後始末をするか考えるんだ。どうだ、石井?」

「そうだな」石井は頷く。「じゃあ伊関さん、早速だが、決着のつき方を思いつく限り挙げていって欲しい。それを分類して、可能性の高そうな順に、どうやってそいつの死を隠蔽するか方針を立てていこう」

 三人の夜は、長くなりそうだった。





 家に帰る途中、サラは女性の悲鳴を聞く。

 最初は微かな泣き声で、気のせいかとも思った。しかしその後に響いた、家具が倒れるような大きな物音と、耳を裂くような悲鳴は、聞き間違えようがなかった。

 音の出どころは、サラが今立っているマンションの一室だ。そこで今、何か良くないことが起こっている。

 サラは〈空間認識〉を発動し、マンションの内部を探る。

 音の出どころは、ちょうど今立っているところの真下にある部屋だ。家具の配置が滅茶苦茶になっている。立って動いているのは、4人。それから――4人に囲まれる形で、床に倒れているのが1人。さらに注意を向けると、4人のうちの1人が、倒れている人――どうやら女性のようだ――を足で蹴っている。

 警察に通報すべきだろうか。でも――警察が来るまでの間も暴行が続けば、その女性はどうなる? 後遺症が残る怪我をしたら? 命を落としたら?

 アユミならきっとこう言うだろう――デアデビルみたいな真似はやめろ、と。

 わかってる。……でも、あんな現場を見てしまったら、何もしないわけにはいかない。

 他者にない“力”を持ちながら、それを他者のために使わないのは、フェアじゃない。

 いや――それだけじゃない。

 要するに、助けたいんだ。他人が傷つけられるのを見たくないんだ。

 サラは持っていたタオルをバンダナのように顔に巻き、目から下を隠す。そしてマンションの屋上からベランダに降り立つと、〈念動力〉を発動して外側から鍵を開け、部屋の中に入る。

 窓の開く音に反応し、4人が同時にサラの方を見る。全員男で、派手な服装と髪型をしている。倒れている女性は結束バンドで手と足を縛られていた。顔は腫れ、鼻と口から血を流している。

「いや、ちょ、何入ってきてんだよ」男の一人が動揺しながらも凄もうとする。

「楽しいか?」サラが問う。

「いや、何が?」

「暴力振るって、楽しいか?」

 男4人は顔を見合わせ、小声で話す。

 ――何こいつ? 知らね。でも見られたよな。こいつもやっちまうか。

 そんな話をした後、男達はにやにやしながらサラの方に向き直る。

「楽しいよ、暴力振るうの」男の一人が笑いながら言う。

「そう」サラはつぶやく。

「お前もわざわざ痛めつけられに来たみたいだしな。……楽しませろよ」

 男はサラに掴みかかる。

 サラは〈身体強化〉を軽く――相手を殺さない程度に――発動させて、前蹴りを男の腹に突き刺す。

「うげっ」と呻き声をあげて男は後方に吹っ飛び、床に転がる。

 一丁あがり。

「なるほど、確かに楽しいな」サラは残り3人に告げる。

「このっ」2人目の男は、蹴り飛ばされた男を見て真剣になったようで、ボクシングの構えを見せる。残り2人はその後ろにスタンバイしている。部屋が狭いから、戦う時は実質一対一になる。サラには好都合だ。

 男が殴りかかるが、サラは難なく躱す。超能力の影響だろうか、相手の動きが止まっているように見える。カウンターのレバーブローを入れると男は倒れ伏し、勝負は終わる。

 3人目はタックルを仕掛けてくる。これも、超スローモーションに見える。サラは膝蹴りを顎に叩き込み、力の抜けた男を横に投げ捨てる。4人目は包丁を持ち出してサラに突きつけたが、結果は変わらない。包丁をはたき落とされた上に頬に張り手を見舞われ、その場に蹲る。

 そして、部屋の中で立っているのはサラだけになった。

 サラは床に落ちた包丁を拾い、女性の手と足の結束バンドを切る。包丁はタオルで指紋を拭いた後、シンクに溜まった食器の中に突っ込んでおく。

「大丈夫ですか?」

 サラが声をかけると女性は顔を上げる。

「誰ですか?」女性は訊く。

「私は誰でもない。動ける?」

 女性は啜り泣きながら頷く。

「ここはあなたの部屋?」

「ううん、レンくんの部屋」

「レンくんって、どれ?」

「普段はね、とっても優しいんだよ」

「気のせいだよ。人縛って殴る奴が優しいわけない」

「でも、ジュンちゃんと電話したらね、すごく怒るの」

「いいから、病院に行こう」

 サラは会話を切り上げる。スマートフォンの地図アプリで調べると、少し離れたところに救急病院が見つかった。

「今から病院まで連れてく。診てもらってから、警察に相談したらいい」

「ううん、でも……」

「目を覚ませ。クソみたいな奴らにコントロールされるな」

 サラは女性を抱え上げ、ベランダから出る。背後の窓を〈念動力〉で閉め、鍵をかける。

「私が助けたことは内緒にして」サラは女性に言う。「これから私がすることも、誰にも言わないで」




 武政陸斗の携帯が鳴る。着信元は蓮という源氏名のホストだった。

「社長、助けて下さい」

 電話に出た途端に蓮は言った。

「何だよ、いきなり」

「友達と4人で家にいたら、いきなり窓から女が入ってきて、襲われたんです」

「は?」

「本当なんです、そいつめちゃくちゃ速くて強くて」

「……だから?」

「いえ……社長もめちゃくちゃ強いって聞いたんで」

「それがどうしたんだ?」

「いえ……」

「つまりあれか、強い奴に喧嘩でやられたから、俺に“お礼参り”をしろと?」

「いや、まあ……」

 こいつ、自分じゃ何も説明できないのか――陸斗は苛立ちを感じる。

 蓮は武政の傘下のホストクラブに所属していたホストだ。暴力の常習犯で、これまで傷害罪で2回服役したことがある。女にはモテるのか、売上はまあまあ良いので店に置いていたが、去年肝炎になってから復帰できずにいて、今はヒモ生活をしているようだ。

 正直身内だと思ったことはないし、助けるメリットはないような奴だ。ただ、その“めちゃくちゃ速くて強い女”というのは気になる。

 今仲を襲った犯人については、妹と手分けして調べてはいたが、手がかりを掴めていなかった。もし蓮を殴ったそいつが超能力者だとしたら、捕まえれば何か知っているかもしれない。

「そっちに行くから、家にいろよ」

 陸斗はそう言うと電話を切る。


 部屋の中にいるのは、蓮一人だけだった。

「他の奴は?」

「その、帰っちゃって」

「帰るか、普通?」

「すいません」

「俺に会うのがそんなに嫌なのか」

 蓮は固まる。

 実際のところ、陸斗としては、蓮もその友達もどうでもよかった。

 重要なのはこの部屋に残る“痕跡”だ。

 確かに、ここに超能力者がいた。窓から入ってきた“女”とやらが、そうなのだろう。

「そいつ、どんな奴だった? ここで何をしていった?」

 陸斗の質問に蓮はおどおどしながら答える。

「背の高い若い女だったと思います。ジョギング中みたいな格好で。髪はショートで、口と鼻をハンカチか何かで隠してました。めちゃめちゃ打撃が重くて、俺ら全員一発で動けなくなって……」

「それで、そいつどこに行った?」

「わかんないっす。俺の女を連れて窓からどっか行きました」

「女もいたのか?」

「はい……一緒に遊んでたっていうか」

「これで縛って遊んでたのか?」陸斗は足元に落ちている結束バンドを見やる。

「まあ……そんな感じっす……」

 どうせまた、交際相手を殴って遊んでたんだろうと陸斗は推測する。それでまた、近いうちに警察の世話になるんだろう。まあ、会社に皺寄せが来なければどうでもいいが。

 何も生み出さない暴力を振るう人間のことが、陸斗には理解できなかった。暴力は何かしらの目的を達成するために振るうべきだ。例えば、金銭を得るために。恐怖を与えるために。規律を守るために。復讐するために。

 それに、演出も大事だ。陸斗は自分の〈身体強化〉をむやみに見せびらかすことはしない。誰に、何を目撃させるかを常に考える。そして、その目撃者が誰に、どう語り継ぐかを予想する。適切に語り継がれることによって、暴力は“伝説”になる。“伝説”は身内に畏敬の念を抱かせ、敵の闘争心を折る。

 この状況で“力”をどう使うか、陸斗は考えを巡らせる。そして考えがまとまってから、口を開く。

「とりあえず、その女のことは任せろ」

「あざっす」蓮は頭を下げる。

「それだけか?」

「えっ」

「俺はお前のために体を張ると言ってるのに、あざっす、だけか?」

 蓮は体を強ばらせる。

「お前も俺のために何かやるのが普通だろ。違うか?」

「もちろんっす」蓮の声が震える。

「今からお前がやることを教えてやる」

 陸斗はベランダに出る。

 塗装の剥げた金属製のベランダの柵を掴むと、〈身体強化〉を発動させて引きちぎる。

 蓮はその場から動かず、目を見開いている。

「お前がベランダの柵にもたれかかる。すると柵が壊れる」

「……はい?」

「柵が壊れたせいで、お前はベランダから転落する」

「ちょっと……それは……」

「大怪我を負ったお前は、家主を訴えて、治療費と慰謝料をもらう。ろくに働けないお前が金を稼げる方法といえば、それくらいだろう」

「ここ、4階なんですけど」

「そうだ。死にたくなければ、ちゃんと足から落ちろよ」

「そんな……それだけは勘弁してください」蓮は顔を歪める。

 陸斗は蓮に近づき、顔を見据える。

「その女にどこ殴られたんだ?」

「腹です」蓮は肝臓のあたりを押さえる。

「そいつのボディーブローと、俺のボディーブローと、どっちが痛いか試してみるか」

 蓮は目を固く瞑り、首を横に振る。

「選べ。さっさと自分で飛び降りるか、俺にもっと痛い目に遭わされてから突き落とされるか」

 陸斗はそう告げる。

 蓮は上目遣いで陸斗を見るが、やがて顔をくしゃくしゃにして泣き始める。

 泣きながら、ゆっくりベランダに向かって歩いていく。

 陸斗はその時すでに次のことを考えている。

 さて――その“めちゃくちゃ速くて強い”超能力者の顔を拝みにいくとするか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る