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腕を掴んだのは杏子だった。
渋谷で調査を行なっている最中に超能力の“気配”を感じ取り、追跡したところ、この男に辿り着いたのだ。
杏子は男をホームの内側に誘導しながら、観察する。確かにこの人から、超能力の“痕跡”を感じる――それも、今仲が殺された現場で感じたものと同じ“痕跡”だ。しかし、使い手というよりは、超能力の影響下に置かれた被害者のようだ。
使い手本人でなかったのは残念だが、それでも有力な情報を得られるかもしれない。
杏子は軽く息を吐き、全身の力みを抜く。呼吸を全身に通し、内側をクリアにすることで、触れた相手の持つ様々な情報が流れてくるのを――そして、自分の意思やエネルギーが相手に伝わっていくのを感じる。
そうして杏子は相手と〈接続〉し、相手を〈制御〉する。
石井に対して使用した時みたいに、触れずに発動することもできるが、直接触れた方が〈制御〉の性能が上がる。すでに超能力――おそらく〈催眠〉系統だろう――の影響下にある人に対して、それを解除するには、直接触れて〈制御〉した方がいい。
男は捕まれた腕と杏子の顔を交互に見ている。戸惑いを隠せないようだ。自分が“力”を使われたことも、杏子が今それを解除しようとしていることも、認識できていないのだろう。
「これから何をするつもりだったんですか?」
杏子がそう尋ねると、男は首を横に振る。
「何って別に……関係ないでしょう」
杏子はもう少し〈制御〉の強度を上げ、もう一度尋ねる。
「これから何をするつもりだったんですか?」
「何って……自殺ですよ」
男は何気ない風に答える。
杏子の表情が険しくなる。なるほど、そういう“命令”か。
「誰かに命令されたんですか?」
再度男に質問する。
「ええ、されましたよ」
「誰に?」
「忘れました」
「忘れろ、と命じられた?」
「ええ、はい……そうです」
質問しながら、杏子は相手との〈接続〉から情報を感じ取る。
男の精神の内奥に、“力”の存在を捉える。男に与えられた“命令”の正体を。
それは空間的に定位できるものではないが――杏子はその“命令”を目がけて、自分自身の“力”を伝達する。
男の腕を掴んだ指先。そこに纏った“力”が男の内部に潜り込む。それに引っ張られるように、杏子の“力”全体が男に浸透していく。
それは男の精神を縛る“命令”に届き――その構造を崩す。
“命令”は結び目を解かれた縄のように、男の精神から滑り落ちて、形を失い、消滅する。
杏子はふう、と息をつく。何とか、男の〈催眠〉を解除できたか。
「まだ自殺しようと思う?」杏子は男に訊く。
「いや?」
そう答えてから、男の顔が青ざめていく。自分がされたことを思い出したようだ。
「ちょっと待って、俺、何で死のうとしてたんだ?」
「大丈夫ですか?」杏子が声をかける。
「ちょっと待って、ちょっと待って、うわー、俺借金させられたんだ……!」
男は頭を抱える。杏子は肩をさすってやる。
「あーあ、あーあ、時計も携帯も、財布も渡しちゃったよ……嘘だろ……何でそんなことしちゃったんだろう……」
男はその場でしゃがみ込む。駅員が心配そうに近寄ってくる。
「この人なら大丈夫です、体調が悪いわけではないので」
杏子は駅員にそう伝えてから、男の体を支えてやる。
「あなたの助けになります。だから、起こったことを全部話して下さい」
杏子は男の背中をさすりながら、繰り返し言う。あなたの助けになる、大丈夫だ、と。
「はい……場所変えますか」
やがて男はそう言って、何とか体を起こす。
山手線のホームはまだ混んでいて、二人は人の流れの妨げになっていた。
二人は改札を出て、深夜まで営業している喫茶店に場所を移す。
コーヒーをすすってから、男は大きくため息をついた。
男は梶本典之と名乗った。免許証など身分を証明するものは全て奪われてしまっていたが、フェイスブックで検索すると確かに同じ人物のアカウントがあった。
杏子は自分のスマートフォン――何台か持っているうちの一つ――を貸してやる。梶本はそれを使い、クレジットカードの利用停止の手続きを済ませると、少しだけ安心した表情を見せる。
男が落ち着いたのを確認してから、杏子は了承を得た上で録音アプリを起動し、録音を開始する。このアプリではバックグラウンド録音が可能で、メモを取ったり他の作業をしながら録音を続けられる。
「まず、何があったんですか?」
杏子が尋ねる。
「その……」梶本は決まり悪そうにする。「ちょっと女の子と揉めちゃいまして……」
「その女の子とは?」
「いや……」梶本の声が小さくなる。「風俗の子なんですけど……」
「それで、ケツ持ちの人が来たとか?」
「別にそんな大したアレではないんですよ。……態度もアレだし、嫌々な感じが出てたっていうか……」
「……はい?」杏子は首をかしげる。
「それでちょっと、それはどうなのって、なるじゃないですか、こっちはお金を払ってるんだし。で、それを言ったら、向こうも逆ギレっていうか、わーってなって……それでこっちもまあ、ちょっとまあ、お酒も入ってて、それで、押したというか……」
梶本の言い訳を杏子はうんざりしながら聞く。要は男が酔った勢いで風俗嬢に手を上げたってだけの話だ。知りたいのはそこではない。
「それで、ケツ持ちの人が来た?」
「まあ、そうです」
その“ケツ持ち”が超能力者か――そう杏子は推測する。
「その人のことで、覚えていることを教えて頂けませんか」
「覚えてること……」
梶本は顔をしかめて顎を触る。
「何ていうか……見た瞬間から、“この人に逆らってはいけない”という感じがしました。恐いっていうのとはまた違って……何だろう、“この人に逆らう”ことが、とんでもなく恥ずかしくて非道な、考えたくもないことのように感じられて。ほら、例えば……自分の子供が拷問されるのを想像しろ、なんて言われても、そんな想像できないじゃないですか、おぞましすぎて。そんな感じです」
確かに〈催眠〉の影響だろうと、杏子は考える。〈催眠〉をかけられた人間は、このような訴えをすることがしばしばある。
梶本は話し続ける。
「でもそのうち、そんな違和感もなくなって、その人の言うことを聞くのが当然みたいに感じるようになりました。自分の意見がなくなるというか。……それで、預金を下ろさせられて、サラ金とか闇金で金を作らされて、財布も携帯も時計も取られて……ああそうだ、どうしよう」
梶本はテーブルに突っ伏す。
「お金って取り返せないんですか? こんなの、恐喝にあったようなもんじゃないですか」
「金銭が戻ってくるかは確実なことは言えませんが、警察に相談することはできます」
「えっ、あなた違うんですか」梶本は目を丸くする。「てっきり警察の人かと……じゃああなたは一体誰なんですか?」
「詳しくは話せませんが、警察の協力者です」
「警察とは連絡取れるんですか?」
「はい。ただ、普通に交番に行っても、あなたの話は信用してもらえるかわからない。でも話が通じる刑事さんもいる。私が紹介します」
「ありがとうございます」
梶本は頭を下げる。少し安堵したら、今度は疑問が湧いてきたようだ。
「というか、その……そもそも僕、一体何をされたんですか?」
「これも詳しくは話せませんが、催眠術にかけられたと思っておいてください」
「催眠術?」
「そうです」
杏子はそれ以上情報を与えないことにする。この男が超能力の存在を知っても何も良いことはない。その代わりに質問をする。
「警察に行く前に、最後に協力して頂きたいことがあるのですが」
「はい、僕にできることなら……」
「そのケツ持ちの人の容姿や背格好を教えて下さい。使ったお店の名前、場所、サービスを受けた時刻も。それから、お金を下ろさせられた場所、借金させられた店の名前も」
梶本は思い出しながら、一つ一つ説明する。杏子は質問したり、内容を整理したり、脱線しかかるのを戻したりしながら、彼の話す内容をスマートフォンのメモに入力していく。確認しながら、犯人の似顔絵を作成する。
“力”を使ってこの男を〈制御〉すれば、わざわざ丁寧に聞き取りをしなくても済む。だが、それをやるのは杏子の主義に反していた。
必要な情報を揃えたころには日付が変わっていた。梶本は気を張っているが、疲労の色が濃くなっている。杏子は背筋を伸ばし、肩甲骨を回して、深呼吸をする。
「長時間話して頂き、ありがとうございます。今から警察に連絡します」
「ありがとうございます。……あの、いいですか」
梶本はかしこまった口調になる。
「どうしましたか?」
「僕の命を救って下さったんですよね?……あなたが催眠を解いてくれなければ、僕は自殺してたんですよね?」
杏子は男の問いには答えずに、黙って肩をすくめる。
「どうお礼をすればいいでしょうか」
梶本は神妙な面持ちだ。杏子は首を横に振る。
「礼は受け取れません。強いて言うなら、この件を口外しないで頂けたら」
「そうですか……本当、ありがとうございます」
梶本は深く頭を下げる。
杏子は軽く微笑む。そしてふう、と息をつく。今のところ、文句のない収穫だ。情報は集まったし、一人の男の命も救うことになった。
そして、これからすべきことを考える。まず、この男の対応を石井に引き継ぎ、情報を共有する。向こうでも一から調書は作るのだろうが、一応杏子が聞き取った内容も伝える。それから、街頭防犯カメラシステムのデータを提供してもらえるように依頼する。いくら超能力が使えても、全てのカメラから逃れることは難しいはずだ。どこかに写っている可能性が高い。
それから颯介とコンタクトを取る。梶本が使った風俗店のバックについている組織について、調べるのに協力してもらう。颯介は仕事が早いし、向こうも有力な情報を仕入れているかもしれない。
杏子は手応えを感じる。まだすべきことは多いが――今仲殺しの犯人に、確実に近づいている。
「そうだ、最後の最後にもう一ついいですか」梶本が言う。
「何ですか?」
「その……風俗の子と揉めたことも、警察で言わないと駄目ですかね」
杏子は全身の力が抜けそうになる。最後に聞くことがそれか。
「好きにすればいいと思いますけど……まあ、言った方がいいんじゃないですか」
ため息混じりに答える。
「そうですよね……すいません」
梶本は縮こまって苦笑いをする。
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