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2019年5月8日
0時18分、今仲涼太が衣服を喉に詰めて窒息しているのを巡回の看護師が発見した。
発見された時点で今仲は心停止状態だった。コードブルーが発令され、心肺蘇生が行われたが、心拍再開はせず、両親到着後、当直医によって死亡宣告が行われた。異状死として警察署に届出され、検視が行われたが、犯罪性はないと判断された。結局、緊張病性興奮による衝動的な自殺との結論に至った。
朝一番に報告を受けた石井は、すぐに瀬崎の携帯に電話をかける。
「どうした」瀬崎の声が聞こえる。
「緊急事態だ。会って話したい」
「わかった。うちの事務所に来れるか」
「ああ。伊関さんは?」
「外出してるが、すぐ呼び戻す」
「頼むよ」
電話を切り、支度をしながら石井は考える。今までの自分なら、この報告から殺人を疑うことはなかっただろう。だが、常識の通用しない世界を知ってしまった以上、報告を鵜呑みにして流すことなどできない。
捜査の中で、今仲の正体が暴かれつつあった。女性問題、示談になった性加害、半グレとの交際。この青年を殺したい奴は少なからずいるはずだ。
刑事としての直感は囁く――これは殺人だ、と。
これまでなら“手段がない”と一蹴したであろう考えだ。
でも、今は“手段”があることを知っている。
探偵事務所で瀬崎と伊関が待っていた。
すぐに石井は経緯の説明を始める。瀬崎は話を聞きながら、事実関係の確認のために質問を交える。そのやり取りの中で、事件の見え方が一層クリアになっていくように石井は感じる。伊関は視線を落とし、一言も発せずに聞いている。説明を受けながら、それ以上のことに考えを巡らせているようにも見える。
「現場を見せてもらえませんか」
石井が話し終わるのを待って、伊関が言う。
「こっちもそれを頼みに来たんだ」
石井は答える。あの時みたいに、直接見て――感じて、と言った方がいいのか――もらうのが一番だ。
二人が支度をする間、石井は大学病院に電話を入れる。本当の目的は言えないので、その代わりに、今仲の件について主治医からも事情聴取をしたいので病棟に伺いたいと依頼する。文書での回答ではいけませんか、との返答があったが、そこはベテランの話術で押し切る。病棟に入れてもらわなければ意味がない。一番早い時間でのアポを取り、石井は二人に言う。
「今から行こう」
「ありがとうございます」
伊関が一礼する。
瀬崎は車で待機し、石井と伊関の二人で病棟に入る。
初めは面接室で、今仲の主治医から事情聴取を行う。もっとも、こっちはおまけのようなものだった。
「ありがとうございます。一応、中の方も見せて頂きますね」
石井はそう言い、伊関とともに“自殺”のあった病室に向かう。これからが本番だ。
病室を観察するふりをしながら、石井は伊関の様子を見る。あの時と同じで、どこを見ているのかわからないような表情で部屋の真ん中に立っている。リラックスした自然体で、掴み所がないように見える。
もう一つ気づいたのは、呼吸だ。座禅を組んでいる時のように、鼻から吸って口から吐く深い呼吸を続けている。そういえば、渋谷の路地裏でもそうしていた。これは超能力を発動させるための儀式か何かなのだろうか? 彼女は座禅や瞑想などの修行を続けることで、こんな力を得たのだろうか?
伊関が十分と判断すると、次の場所に移る。病室から廊下へ、廊下から病棟出入り口へ。伊関は歩きながら、何度も監視カメラの位置を確認する。
最後に監視カメラ映像を確認して、病棟を去る。
「これは、超能力者による殺人です」
瀬崎の待つ車に戻ると、伊関は言った。
「そうか……」
やはりな、と石井は思う。
心の準備はしていたつもりだったが、それでも動揺を抑えられない。今まで当たり前に思っていた世の中の土台が信じられなくなっていく。得体の知れない“力”で完全犯罪が遂行される、そんな世界に自分が生きていることを受け入れることは簡単ではない。
「精神を操作したのか」瀬崎が訊く。
「そうです」伊関が答える。
「その超能力は……どれくらい遠くまで届くんだ?」
石井が質問すると、伊関は少しの間黙り込む。話すべきか逡巡しているようだ。
「どこかから、遠隔で操作したんじゃないのか?」
「いえ」
伊関は言う。
「信じられないかもしれませんが……犯人は普通に病棟に入って、病室の前まで来ていました」
石井は声も出せないほど驚愕する。
俺たちが調べたあの場所に、超能力を操る殺人鬼が来ていたのか?
カードキー式の電子錠で施錠されたあの空間に、何の証拠も残さずに出入りして、人を殺せるのか?
「しかし……どうやって? 夜勤の看護師は超能力で欺けても、監視カメラはどうなる?」
瀬崎が伊関に訊く。
石井が瀬崎の方を見ると、険しい表情をしている。いつも飄々としているこの男の、こんな表情は滅多に見られない。
「超能力者が通常の物理法則を超えて干渉できるのは、他人の精神だけではありません。程度の差はあれど、電子機器などを操作することもできます」
「じゃあ……電子錠も、監視カメラも、超能力で操作したのか?」
「電子錠を開けるのは容易です」伊関は説明する。「監視カメラですが――他に動くものがないので、一見普通の映像に見えますが――おそらく犯人が通る一瞬、映像が止められています」
「待てよ、もしそのタイミングで、看護師や患者が通ったら、瞬間移動したみたいになるんじゃないのか?」
石井がやっと会話に加わる。
「はい。だから、そうならないタイミングを狙って、監視カメラを潜り抜けたんだと思います」
「それに、病室のあるエリアに入るには鍵が要っただろ。それはどうしたんだ?」
「看護師に〈催眠〉をかけた状態で、奪って使ったのでしょう。それで“用事”を済ませたら、元の場所に戻した。そのやり取りは、監視カメラの死角で行われたはずです」
「信じられん……」
石井が呟く。
「いくら超能力があったって、そんなことが簡単にできるのか?」
「簡単ではありません」
伊関が答える。
「今回の場合、監視カメラを止めるタイミング、鍵を奪う位置、一つ間違えただけで証拠が残ります。それを完璧に遂行するのは、ただ超能力があるだけでは無理です。知能と胆力がなければ不可能です」
「じゃあ、犯人は……」
「相当優秀な人だと認めざるをえません」
石井は伊関の顔を見る。驚いたことに、落ち着き払った顔をしている。
「伊関さん……怖くないのか?」
「恐ろしい犯罪だと思います」
「そうじゃなくて……あなた自身は脅威に感じないのか?」
「私が負けるかもしれないと?」
伊関は意外そうな顔をする。
石井にとってはその反応が意外だった。
「いやそういうわけじゃないが……あんたはあれより上なのか?」
「あれくらいなら、やろうと思えばできます」
それを聞いた石井は、少し悩んだ末、伊関に頼む。
「なあ、今ここで、力を見せてくれないか」
伊関は黙ったまま石井の顔を見る。
石井も見つめ返す。伊関の眼は深い湖のようだった。澄んでいるが、底が見えない。
自分の頼みが、大きな間違いだったのではないかという疑念が石井の中に湧いてくる。だが、言ったことは取り消せない。もう後には引けない。
「病棟に忍び込んできましょうか? 日中だし難易度は上がりますけど、やれますよ」
伊関は微笑んで言う。石井はそれが冗談かどうか判断しかねた。
「そこまではやらんでいい。今ここで見せてほしい」
伊関は少し考えるそぶりを見せてから「わかりました」と答える。
「仕事以外で披露するのは控えているのですが、特別にお見せします。失礼します」
何を失礼するのか、石井は疑問に思う。
ふと、石井は伊関がスマートフォンを手にしていることに気づく。
次の瞬間、石井は目を剥く。
伊関が持っているのは、石井のスマートフォンだ。
伊関はそのスクリーンを石井に向ける。
誰も触れていないスクリーンが明るくなり、ロックが解除される。
カメラが起動され、スクリーンに伊関が映る。
伊関がもう片方の手をカメラにかざすと、次の瞬間には画面内から消えている。ただ、車の内部と窓の外の風景がスクリーンに映し出される。
「失礼しました」
そう言って伊関はスマートフォンを石井に返す。
石井は言葉を失う。全身が熱くなり、汗が出る。
「一体……どうやった?」
「そうですね……」
「念じるのか?」
「いえ……念じてはいないと思います。そうですね…………」
伊関はゆっくりと言葉をつないでいく。
「念じたり祈ったりというよりは、手先を動かすのに近いです。知恵の輪を外すときのような」
「知恵の輪……?」
「私たちが何かを操作するとき、まずその対象を認識して、その中で触れられるものを操作しますよね。超能力者は、その“認識できるもの”と“触れて操作できるもの”の範囲が広い。他者の神経や電子回路まで含まれます。それをどの程度操作できるかは、超能力の知識や技術、経験に依存しますが……それを身体で例えるとするなら、知恵の輪の解き方とか、柔術の寝技の逃げ方みたいなものになるのでは、ということです。……言葉にすると、かえって難しいでしょうか」
「つまり……超能力は身体の延長、ということか?」
「はい。私の感覚としては、そうです」
頷く伊関の言葉に、微かに熱がこもるのを石井は感じる。言いたいことが伝わった、ということだろうか。
石井自身も、ほんのわずかにだが、この超能力者のことを理解できたような気がした。
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