1 - 9
亜由美はその“気配”を察知していた。
昨日の男だ。亜由美は舌打ちしそうになるのを抑える。まだ私のことを狙っている。
何が目的だろうか。
〈催眠〉をかけ返されたことに気づいたというのは、あり得る。記憶の欠落を認識したのだろう。それで、リベンジにでも来たのだろうか。
そんなことなら、もっと徹底的に、リベンジする気も起きないくらいに痛い目に遭わせた方がよかったか?……いや、目立つことはするべきではない。
ただ、もっとしっかり〈催眠〉をかけておくべきだったかもしれない。あの時、店を出禁にする、酒に薬を盛るのを禁止する、私との会話を忘れさせる、という三つを命じた。それだけじゃなく、私の存在自体を忘れさせたり、その日一日の出来事を忘れさせたりした方が良かったか。
いや、後悔しても仕方がない。今考えるべきなのは、ここをどう切り抜けるかだ。
サラに目を向ける。いつも笑顔な彼女が、緊張しているような、険しい表情をしている。この子も、あいつの存在を感知してる。
あいつ、まだアユミに執着してるんだ。どれだけ追い払っても、自分のものにするまで付きまとうのをやめないんだ、あの卑劣漢は。
サラは強い憤りを感じた。力を持つ者が、力を持たない者に、自分の欲求を一方的に押しつけ暴力を振るうことが許せなかった。
いつだってそうだ。力の非対称性があるときに暴力が生まれる。棍棒を持ってる人と持ってない人。銃を持ってる人と持ってない人。そして、超能力を持ってる人と持ってない人。
普通の人は、超能力者の暴力から身を守れない。目の前にいるアユミだって。きっと、何をされてるかすら理解できない。昨日は無事で済んだけど――〈催眠〉の影響も残ってなさそうだ――次はきっとそうはいかない。
アユミは良い人だ。ハンナにも私にも親切だし、真剣に話を聞いてくれた。母国語じゃない言葉できちんと話を聞くのがどれだけ大変か、私には想像できる。彼女が傷つけられるのは、放っておけない。
「アユミ、今日は何時で仕事終わるの?」
サラは尋ねる。
「今日はもうすぐ終わりだよ」
アユミが答える。
良かった。それなら、お店を出てから安全なとこまで一緒に行ける。
「じゃあさ、アユミ、私もそろそろ帰るし、途中まで一緒に帰ろうよ」
アユミは少し考え込むようにしてから、「わかった」と返事をする。
わかった、と答えたものの、亜由美にはどうするのが正解かはまだわかっていない。
とりあえず、サラの会計をしてから席で待っていてもらうことにする。亜由美はその間に着替えをして、他のスタッフに挨拶してから、二人で店を出る。
さて――これからどうするかだ。
今サラが何を考えているかは、100パーセント当てられる自信がある。〈催眠〉使いの男から私を守るために、ボディーガード役を買って出るつもりなんだろう。正直なところ、ボディーガードは必要ないのだが、この状況では断れない。それに、サラが私を守ろうとしてくれているのは純粋に嬉しかった。まだ二回しか会っていないが、この子はきっと優しくて、勇気のある子なんだろう。
問題は、待ち伏せしてるあの男だ。
一番の理想は、あいつが襲撃を諦めてくれることだ。そうすれば、サラも、私も、戦わなくて済む。私が超能力者だということをサラに知られることもない。
じゃあ、あいつが襲ってきたらどうする?
もう超能力を使うつもりはない――昨日の夜、“分身”にはそう話した。でも、あの男に襲われた場合、超能力なしで状況を打開するのはどう考えても難しい。かといって、派手な争いはしたくない。それに、サラのいるところで超能力を使うのも避けたい。
考えがまとまらないうちに、例の男の“気配”が動く。
こちらに近づいてくる。
今仲は周囲に目を配る。路地には人通りはなかった。監視カメラも設置されていないことは確認済みだ。
脳内でシミュレーションを行う。作戦はある。
まず今仲があの女の前に出て注意を引く――〈催眠〉をかけられないように、視線を外しておく――それから、屈強な男たち5人が一斉に車から飛び出し、スタンガン攻撃を浴びせる。確かに超能力者は〈催眠〉は使えるかもしれないが、150万ボルトのバトンタイプ・スタンガン(それも改造して威力を高めている)で攻撃すれば、ダメージは与えられるはずだ。それで動かなくなれば、車に積んで隠れ家まで運ぶ。そこで今仲が〈催眠〉をかけ――相手が弱っていれば、通用するはずだ――自分がこの女に何を話したか、この女が誰に何を話したかを聞き出す。その上で、屈服させるか、始末する。
うん。いけそうな気がする。これであの、正義のヒロインちゃんも終わりだ。
「アユミ」サラが声をかける。
亜由美が振り向くと、サラは亜由美の両腕を掴む。
「今から話すことをよく聞いて」
言語は英語になっていた。真剣な表情で、亜由美の目を見て話し始める。
「信じられないかもしれないけど、本当のことを言うね。暴漢があなたのことを狙って、こっちに近づいてる。昨日あなたのことを襲ったやつだ。そいつは……魔法のようなものを使って、人を操る。とても危険だ。私は、今からそいつを退治してくる。私も、特別な力を持ってるから、大丈夫。だから、あなたはここで隠れていてほしい」
そういうとサラは、路地の奥に走っていく。
うむ。亜由美は考える。
詰んだな。ここで“力”を使うしかないみたいだ。
もうサラのことを無関係だとは思えなくなっていたし、放っておくこともできない。それに、あの子が体を張って私を守ろうとしてくれてるのに、私自身がこのまま“力”を隠して知らんふりするなんてことは、さすがに自分の良心が許さない。ただ“力”を発揮すると、当然、私が超能力者だということがバレてしまうが……仕方がない。
自分の手を離れて事態が進んでいくことが、亜由美をうんざりさせる。あー、くっそ。ばんばん腹立つわ。あの、クソ・デートレイプ・豚野郎のせいで……。
まあ、いい。やると決めたら、徹底的にやる。あいつのことは、ちゃんとシメる。
亜由美はサラの後を追う。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます