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 2019年4月28日


 すっかり明るくなってから、サラはベッドの中で目覚めた。上体を起こし、大きく伸びをする。

 昨日の夜、不審な超能力者の男を取り逃したことで、もやもやを抱えながら疲れた体を引きずって帰宅したサラは、もやもやを抱えながらシャワーを浴び、もやもやしながらベッドに入ったが、その瞬間に寝落ちし、朝まで爆睡した。おかげで体力はすっかり回復し、コンディション最高だ。

 ダイニングにはもうみんな揃っていて、朝食を食べ始めていた。ハンナに、父さんに、母さん。サラもそれに加わる。シリアルに牛乳、パンケーキ、ベーコンに卵、ナッツの乗ったサラダ、最近ハンナがハマっているスムージー。シリアルもミルクも、日本だと種類が少ないが、その中でも美味しいやつを選んで買ってきている。

 食べながら、昨日のことが気になり始める。あの男、何者だったんだろう。私に対して使った能力――〈催眠〉とでも言えばいいのか――を使って、悪いことをしているんだろうか。アユミ以外の女性にも、同じことをしているのだろうか。また今日も、肉食獣のように、次の獲物を狙っているのだろうか。

 そして、アユミのことも気になる。無事に家に帰れたんだろうか。男がアユミに使った超能力の影響は解除されたんだろうか。後遺症が残ったりしないだろうか。


「サラ、聞いてる?」

 ハンナがサラの顔を覗き込む。

「うん?」

「聞いてないじゃん。……今日どう過ごすかって聞いたの」

 ゴールデンウィークは、5月に入ってから一家で沖縄の離島に旅行に行く予定だが、それまでは各自で自由に休日を過ごす感じだ。両親は美術館に行ったり、仕事関係の人に会ったりするし、ハンナは『ストレンジャー・シングス』を一気見するつもりだ。


「私は……ちょっと街を色々見てみようかな」

 サラはアユミのお店に行くつもりでいた。顔を見て、無事を確かめないといけないような気がしたのだ。



 亜由美はその日、人生初の、寝坊そして遅刻をやらかした。

 目を覚ましたとき、それが現実のことだと理解するのに時間を要した。カーテン越しに漏れる強い光、既に正午を過ぎていることを示す時計、店長からのたくさんの着信履歴。事態が飲み込めてきたとき、亜由美は呟いた。

「うむ、やってもうたな」

 こんなときは、気の利いた台詞は思い付かないものだ。

 すぐに店長に連絡し、真摯な謝罪をした。姿を見られているわけでもないのに、ベッドの上で正座をしていた。かしこまった感じがウケたのか、店長は電話越しで爆笑した。それから、すごく店が繁盛してるから早く来てくれ、と言った。


 大急ぎで身支度をする。焦りや申し訳なさを感じる一方で、どこか清々しい気分でもあった。

 昨日は結局明け方まで起きていたのは覚えているが、どのタイミングで眠りに落ちたかは全く記憶にない。何の気なしにベッドに転がったまま寝たのかもしれない。それから今の時間まで寝ていたので、8時間くらい寝ていたことになる――それも、途中で起きることなく。

 だからだろうか、状況は大ピンチなのに、気分が良い。眠れたことの嬉しさが亜由美を満たした。睡眠は偉大だ。


 店に着いた亜由美はすぐに着替え、カウンターに出る。客の目に入らないところで、他のスタッフ一人一人に謝罪する。その頃には平常心を取り戻し、仕事モードにギアを入れている。

 昼食の時間のピークは過ぎたが、まだランチセットを頼む客は多いし、食後のコーヒーを求めて来店する客も増えてくる。エスプレッソマシンをフルに稼働させて、オーダーに応えていく。マシンは水道直結式で、マルチボイラー、ミルクフォーマー機能の付いた、なかなか高性能のやつだ。亜由美は夜のシフトに入ることが多く、お酒を作る方が慣れているが、コーヒーも一通り用意することはできる。



 ティータイムには遅すぎる、でも夕食をとるには少し早い時間、ちょっと客の入りが落ち着いてくる時間になる。空はもう暗くなっている。亜由美は照明を調節して、店内を落ち着いた雰囲気にする。今日はシフトの関係で、もうちょっとしたら上がりだ。

 そのとき、サラが店にやって来る。

「こんにちは、アユミ」

 サラは日本語で話しかける。

「あら、こんにちは」亜由美も日本語で返す。「また来てくれたんだ」

「この時間ならいるかなと思って」サラは笑顔を見せる。

「私に会いに来たの?」亜由美はおどけた風に流し目を送る。

 サラは照れ笑いする。

「昨日のやつが美味しかったから、また飲みに来た」


 サラの元気そうな顔を見て、亜由美は少し安堵する。昨日あの後、そう酷い目には遭ってなさそうだ。

さて、問題はここからだ。どう対応したものか。私の“力”のことを探りに来たのだろうか。

「最近、元気?」サラが訪ねる。

「超元気やけど、どしたの?」マンゴーのヴァージン・モヒートを作りながら、亜由美は笑って答える。

「いや……気になっただけ」

 そう言うサラだが、まだ何か言いたそうにしている。

 もしかして、純粋に私の体調を心配してくれてるのだろうか。超能力を使われた影響が残っていないか、様子を見に来てくれたのだろうか。

 だとしたら、良い子なんだな。

「昨日さ」サラがゆっくり言葉を選びながら話し出す。「あの後もう一回この辺りまで来たんだ。ランニングしてて。……そしたら、あなたに似た人が男に絡まれてるのを見つけて。私が大っきい声出したら、逃げてったけど……あれってやっぱりアユミだったのかな?」

「ああー」そう訊かれた亜由美は曖昧な声を出す。探りを入れているようではあるが、かなりストレートに確かめに来るな。それでいて、超常的な部分は省いている――相手に怪しく思われないための保険だろうか。ふむ、どう答えようか。

 人違いです……は違う。サラはあれが私だったと確信してる。そう答えたら、疑惑が深まるだろう。

 覚えてないです……も駄目だ。そう答えたら、サラはきっと超能力の後遺症を疑う。

 結局、うやむやにする感じの返答になる。

「そういえば、なんか来たなあ。タチの悪いナンパみたいだった。しつこく食い下がるからどうしようって思ってたら、別の人が助けてくれたような。凄い勢いでどっか行っちゃったから、どんな人かよくわかんなかった。私も酔っ払ってて若干ぼんやりしてたんだけど……じゃああれがサラだったんだ?」

 答えながらサラの顔を窺う。サラも亜由美の顔を見ている。サラの眼はちょっと丸めのアーモンドアイで、黒目が大きい。それで、目力が強く感じる。

「じゃあ、やっぱりアユミだったんだ。あれから大丈夫だった? 変わったことはない?」

「別に何もないよ。絡んできた奴が逃げてっただけだし」

「そうなんだ、良かった」

 サラは少し安心したようだった。

「助けてくれてありがとう」亜由美はサラに微笑む。「それに、次の日にも様子を見に来てくれたんだ。優しいね」

「いや、別に」サラが照れ臭そうに俯く。「ちゃんとご飯も食べに来た」

「そっか、じゃあすぐにフードのメニュー持ってくるね。それと」亜由美はサラに出したドリンクを指差す。「これは私の奢りにしてあげる。助けてくれたお礼」

「やった!」サラは喜ぶ。



 こんな感じでいいかな。注文したパスタを美味しそうに頬張るサラを眺めながら亜由美は思う。

 この子は善意で私を守ろうとして、男を追い払った。そして、私が超能力者だってことは多分知らないままだ。

 それでいい。サラには自分の正体を知られたくない。今後私は超能力者としてやっていくつもりはないし、他の超能力者と関わっていくつもりは尚更ない。

 サラは良い子そうだし、また店に遊びに来てくれると嬉しいが、あくまで客と店員の関係にしておくべきだ。この子にはこの子の人生が、私には私の人生が、それぞれ別にある。

 この件はこれにて終了。

 きっとそうだ。

 そうだけど……何だろう。

 店の外が騒がしくなってきている気がする。

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