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一人暮らしのマンションに帰宅した今仲は、大急ぎで服を脱いで、小便をちびったパンツを含めて全部洗濯機にぶち込み、シャワーを浴びた。それからソファーベッドにどかっと腰を下ろし、缶ビールを一本一気に飲み干し、大きく息をついた。やっと人心地がついた。
新手の超能力者に遭遇したのは久しぶりだった。危ないところだったが、〈催眠〉が通用したから何とかなった。
ていうか、〈催眠〉で何とかなったのなら、あんなに逃げ惑わなくても勝てたんじゃないか? そう思うと、不必要にビビったことが恥ずかしく思えてきた。
今仲は臆病だった。超能力で他人より有利に立てるときは気にならないが、それが通用しない場面ではどうしても逃げ癖が出てしまう。
自分の目には特別な力が――他人に言うことを聞かせる力が――あると最初に気づいたのは、中学生を卒業するくらいの頃だった。それは徐々に強くなり、目を使って相手を捉えると、相手の行動をより具体的に変えることができるようになった。
今仲は女遊びをよくしていて、実際にモテる方だった。ただいくらモテるといっても、口説いた相手を100パーセント自分のものにできるわけではないのが当たり前だ。それでも今仲は100パーセントを求めた。
〈催眠〉では相手の心まで支配することはできない。でも、〈催眠〉を使って既成事実を作ったり、弱みを握ったりすることで、相手を支配することができた。
今仲は専ら性欲を満たすために超能力を使った。他の点では現状に満足していた。実家が太いからお金はあるし、勉強もそこまで頑張らなくてもそこそこ良い私大に入れた。勉学で上を目指し過ぎると、超能力が使えないところで敗北感を味わわされるかもしれないのが嫌だった。
大体が自分の思い通りになった。一度女性に訴えられた時は胃に穴が開くような思いをしたが、父親が示談にしてくれた。司法だってどうにかなる、ということをこのとき学習した。それ以降親の視線が冷たい気がするが、さほど気にしていない。親と揉めたときは、最悪〈催眠〉を使って言うことを聞かせれば良い。
二本目のビールを飲み干そうかという時に、今仲の携帯が鳴った。通話内容が暗号化されているメッセージアプリでの着信だった。
“あの人”からだった。この世で一番恐ろしい存在だ。映画でやってた『ハリー・ポッター』のアレじゃないが、今仲はそう呼んでいる。名前は教えてもらっていない――初めて会った時に一度名乗ったが、間違いなく偽名だろう。
“あの人”に出会ったのは今仲が大学に入った年だ。たまたまダンスパーティーで声をかけたのが彼女だった。後から振り返ると、その時点で罠にかかっていたのかもしれない。
それから二人きりになり、いつものように〈催眠〉をかけようとした時に異変に気づいた。全く通用しなかったのだ。気づけば反対に、自分の身体の自由を完全に奪われていた。これまでの人生で、ぶっちぎりで一位の恐怖体験だった。
良いものを持ってるね、と彼女は優しく話しかけてきた。あなたに選択肢をあげる――このまま“自殺”するか、私のために働くか、と。
実質的な選択肢は一つだった。それから、司法の通用しない――司法よりも恐ろしい、アウトローの世界に足を突っ込むことになった。
彼女との約束はこうだ。超能力を好きに使って良い代わりに、〈催眠〉で女性を嵌めて、彼女が仕切っている性産業の店に斡旋するように、ということだ。その他にも、単発で裏の仕事が回ってくることがあった。基本的に、誰かを嵌める仕事だった。
今仲はそれらをうまくこなしていた。身の安全のためでもあるし、こなした仕事に対する報酬も中々のものだった。少しずつ、その組織の中でも顔が効くようになった。彼女達のシマのクラブでVIP席に陣取り、シャンパン(と、たまーにコカイン)を嗜むのは、悪い気持ちはしなかった。
“あの人”からの電話は、近況報告を求めるものだった。今仲は求められる通りに報告した。
ただ、今しがた新手の超能力者に追い回されたことは言えなかった。報告すれば、対処してくれるだろう――多分“あの人”の方が強い――が、自分の失態を報告するのが恐ろしかった。
電話は手短に終わった。
報告しながら今日一日を振り返った時、微かな違和感を感じた。微かだが、無視できない違和感だ。
もう一度一日を振り返る。
午前中は……大して何もしていない。
午後も……街を彷徨いていたくらいだ。
夜になって、今日オトすつもりだった女と食事をして、バーに行って、逃げられて、もう一度捕らえた。〈催眠〉で少し意地悪をして、次の命令を下した。
それからあの女バーテンダーに会った。
それからあの超能力者に追いかけ回され、今に至る。
……おかしい。
あのバーテンダーと何を話した?
〈催眠〉をかけたと思うのだが、何を命じた?
思い出せない。記憶が薄れていっているどころじゃない。
思い出したくないほど恐ろしい体験は何度もしてきた。でも全く思い出せないのはそれよりも恐ろしかった。
何故だ?……知らない間に超能力を使用されていたのか?……しかし、誰に?
俺を追い回した奴か? いや、多分違う。あれはもっと、何かこう、脳筋な感じがした。
他の奴か? でも、あの場には誰もいなかった――俺と女バーテンダー以外は。
その瞬間、今仲は叫びそうになった。
まさか……あの女バーテンダーが、超能力者なのか。
今仲は思わず立ち上がっていた。ソファーベッドに座り直し、何が起こったかを考える。
まだあいつが超能力者だと確定したわけじゃない。でも、可能性は大いにある。
恐らく、こちらが〈催眠〉をかけたと思った時に、〈催眠〉をかけ返されたのではないか。
一体俺は、〈催眠〉で何をさせられた……?
最悪なのは、全てを喋らされていた場合だ。今までしてきたこと、バックについている“あの人”のこと、彼女のビジネス。
“あの人”は秘密主義だ。万が一情報が漏れて、自分がタレ込んだと思われたら、死は免れない――それも、とびきりの苦痛と恐怖に溢れた死だ。
今仲は決心する。明日もう一度あの女に会って、何をしたか問い詰めなければ。場合によっては消さなければ。
今日は油断していた。だから術に嵌った。次は同じ失態は犯さない。
恐怖がないわけではない。でも決心がつくのは、“あの人”の方が余裕で怖いからだ。
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