閑話 花屋敷瓢仙による灰島駅評価
留置所に、からりと氷が鳴ったような音が響き、
鉄格子がされた扉の前に、ウイスキーグラスを手にした純白がいた。
「
その名を呼べば、白い道服の存在が、愉悦に満ちた笑みを浮かべる。
本来面会など出来る場所ではない。
関係者以外立ち入りも不可能。
にもかかわらず、それは幻のように実在していて。
「やあやあ、これなるは身共の共犯者、灰島尋人研究主任ではないか。そのようなみすぼらしい場所に
「黙れ、ここまでがおまえの計算尽くだろう」
苦々しい表情で尋人が告げれば、花屋敷は「はて」と首をかしげる。
「とんと身に覚えがない。よければその結論に至った過程を、話してくれるかね?」
ずいっと、見得を切るように指差してくる純白に辟易としつつも、尋人はこうなった経緯を口にする。
その程度には、彼は花屋敷を認めていたのだ。
「ボクが企図したのは、イソラド式を用いた過去の歪曲だ。異世界駅によって歴史通りの過去を呼び出し、そこに清十郎の意思を反映させることで、歴史改竄を行おうとした。しかし、これは失敗に終わった」
「ふむ、じつに盛大なやり口で、悪用すれば、世の中をひっくり返すことだって出来ただろう。だが」
「ああ、ボクにそんなつもりはないさ。けれど、こいつを悪用しようとした馬鹿がいた。サグメ製薬から飛ばされてきたあの男だ」
それは、ひしゃく幽霊を用いた自作自演で利益を得ようとした責任者が、内々に辞職を余儀なくされ、功刀重工へと再就職を果たしたという話だった。
問題は、これを斡旋したのが花屋敷――その代理人だった尋人ということであり。
「おかげでボクはやつと関係があると思われてね、根掘り葉掘り、痛くもない腹を探られているわけだ」
「なんと不憫な。さぞかし世が憎いだろう」
「どうかな。どちらかといえば、清十郎の妹関係で発生した変質者との関係まで疑われている方が不名誉なんだけどね」
この警備システムには尋人の開発した技術が応用されていた。
そこから、彼には更なる容疑がかかっていたのである。
「というわけで、しばらくボクはここから出られない。もっとも、清十郎に負担を
「けれども、いささか窮屈ではないかね? なにより冤罪とは肩身が狭いだろう」
親身な表情になった花屋敷が、グッと顔を近づけ、声を潜めて提案してくる。
「どうだろう? 身共が手を貸すので――脱獄するというのは」
「…………」
「おや、疑っているのかな? 無論、可能だとも。この程度の警備の中から共犯者殿を連れ出すことぐらい、身共には造作もない
「それで、ボクになにをさせたいんだ」
「怪異を、世に溢れさせてもらいたい」
花屋敷瓢仙。
純白の仙人が。
初めてその思想を、思惑を、口にする。
「身共は人の驚く姿が好きだ。そこに人生と呼べるものの全てがつまっている。人が恐れ、慄き、喫驚し、神仏に縋る瞬間からのみえられる栄養素がある。身共はただ、それが見たいのだよ」
「……世の中を、オバケ屋敷にしてくれと言うのか?」
「
と、高らかに純白は床を踏みしめる。
「世の全てを神怪妖異で満たし、この世を驚きの坩堝へと変じる。ああ、考えるだけで愉快痛快。道行く人が、暗がりより飛び出すオバケを目にして、ぎゃっと叫ぶ。こんなにも心躍る瞬間があるだろうか? いや、ない」
恍惚と微笑む純白。
一方で灰色の男はどうしたものかと顎を掻く。
「それで、ボクになんのメリットがあるのかな」
「君は異邦人ではなくなる」
「っ」
「異なる世界よりやってきた共犯者殿は、疎外感によって差別を感じ、満たされぬ日々を過ごしてきた。だが、妖怪変化が
「……だから、イソラド式の開発に協力したのか」
「無論、共犯者殿を
真面目くさった表情で、花屋敷は頷き。
こう続ける。
「さあ、どうするね? 君の願いは、すぐさま叶う。世界が神秘に満ちるなら、否応なく――案山子清十郎はその頂点に立つだろう。何せ彼は
「お断りしよう」
「……いま、なんと言ったかな? 聞き間違えか、さすがに年を取って耳が遠くなったか」
「断ると言ったのさ、花屋敷」
ぴしゃりと誘惑をはね除ける灰色の男を見て。
花屋敷瓢仙は、雷に打たれたような、有り得ないという驚愕の表情を浮かべた。
「な、なぜだ? 願いは叶う。祈りも聞き届けられる。野望も成就する。これで引き下がるとは、無欲などという形容では足りない。機会損失を見逃しているような――」
「残念だが、ボクはとっくに、隣人で友であると認められていたんだよ。いまさら、世相を混乱に陥れる理由なんてないね」
「――――」
純白が、初めて余裕を失った。
ブルブルと全身を震わせ、あちらこちらに視線を転じ、それから濁流のような説得を浴びせかける。
「待て待て待て。そうではない、そうではないはずだ。初志貫徹。人間というのは飽きやすいものだが、いや、共犯者殿に限ってはそうではなかろう? もっと大きなことが出来る。そう、この世をオバケ屋敷に置換すれば、それこそ異界へと来訪することも出来るだろう。寝ながらにして夢の国、異境を旅することとて可能になるのだ。それは君の理念にも通じるな? 合わせて案山子清十郎のそのすぐ傍、最善に居並ぶこととて望むままだ。怪異を生みだし続ければ……そう、彼の敵になることも出来る! つまるところそれは、恋人よりも、相棒よりも、ずっと憎み合いされ、魂魄の深いところで結びつき合う唯一無二の関係ではないかな? そうだ、そうなってみようと、一瞬たりとも考えなかったとは言わせな――」
「考えたこともないよ。だってボクは、彼の友達だからね」
「――あああああああああああああああああああああああ!!!!」
純白が絶叫した。
子どものように地団駄を踏み、袖を振り回し、頭をかきむしる。
そのさまを見て、灰島尋人の明晰な頭脳は、一つの答えを導き出した。
彼はニヤリと笑って、告げる。
「さてはおまえ、人が悪戦苦闘した挙げ句、路頭に迷うのを見るのが趣味だな?」
ぎくりとする花屋敷。
尋人はさらに詰める。
「ボクに協力したのも、人を驚かせたいというのも、必死で頑張った人間の諸々が水泡と帰していくところが見たいという欲求ゆえだ。違うかい? でなければ、あんなにも多くの犯罪者予備軍に手を貸すのはおかしい。いや、おかげで合点がいった。だったら手伝ってもくれるわけだ。なにせ一等席で、ボクの破滅を観覧出来るのだからね」
「――――」
「だが……残念だったな。このボク灰島尋人には無二の親友達がいる。人生とやらは
ブルブルと、ブルブルと花屋敷瓢仙は身を震わせ、白い顔を憤りに紅潮させ。
やがて、がっくりと。
本当に失意で一杯になった表情で、うなだれた。
「……そうかい。だったら君には興味などない。共犯者としての関係も、今日このときまでで打ち切らせてもらうが、構わないかね?」
「好きにすればいい」
最後の抵抗も虚しく終わり、純白は盛大に肩を落とす。
その姿が、徐々に、ゆっくりと薄くなって、消えていく。
完全に消え去る前。
花屋敷は、捨て台詞のように、こう言い残した。
「だが、きっと君は後悔するだろう。なぜなら、案山子清十郎の未来は、艱難辛苦に満ち満ちて」
「それでも、彼は踏破するとも。迷い、惑い、道を逸れ、それでも最後には、真っ直ぐに」
「……はっはっは。眩しい祈りだ。気恥ずかしいほどに白い信頼だ。まったく、目が、潰れそうだとも」
から笑いをした純白は。
そして、留置所からいなくなった。
代わりに、独房の前には一日あのウイスキーが置かれており。
灰島尋人は、それをじっと睨み付け。
「そうだね、人の目は容易く
手を伸ばす。
彼は盃を取り、乾杯の要領で、中身を捧げた。
遠く、今も誰かのために行動を続ける友達へと向けて。
「なあ、そうだろう、清十郎……?」
その保険調査員、オカルト特約専門につき ~現代に適応した神秘・妖怪・都市伝説、その真贋を、いまよりここで判定する~ 終
The Beginning of Occultic Op. 了
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