第六話 かくて汝の名を違え

 小豆洗あずきあらいとはどういった怪異か?

 そんな質問を受けたとき、磯姫珠々は検索エンジンとしてではなく、知恵の神としてこう答えた。


「危険から人を遠ざけようとする妖怪よ」


 これまで、清十郎は何度となく、珠々から説明をされてきた。

 また、こう言った状況の専門家たる恩師の薫陶くんとうも受けている。

 その論理にのっとれば、妖怪とは、神の零落れいらくしたものらしい。


 はじめに大自然があった。人々はこれを恐れ、神とうやまい、遠ざけた。

 しかし技術が進み、自然を制御出来るようになると、神は居場所を失う。

 だが、どれほど整備されようと、舗装が万全に行われようと、危険というのは潜んでいる。


 たとえば荒れ狂う川に護岸工事をした。

 これで神――完全な自然はいなくなる。

 けれど、子どもや老人ならば、浅い川でも水難事故に遭う可能性は高い。

 そこで、危険を周知するため、その場所から人を遠ざけるために発生する噂こそ、妖怪なのだという。


『小豆洗いは、まさにそのそれね。暗渠あんきょや深みになっているふちの部分。あるいは鉄砲水かしら。ともかく異常を察知したとき、川の危険から遠ざかるよう意識へすり込むために、彼は生まれた。小豆を研ぐ音が山奥の川からするなんておかしいし、小豆ごうか、ヒトとって食おうかなんて歌っているやつがいたらヤバすぎて逃げるでしょ』


 彼女の言うことはもっともだ。

 けれど清十郎には、小豆洗いの本質がそれだけとは思えない。


『こういうときは鋭いのよね、恋心なんて一つも解らないくせに。敢えて怖ろしいことを口にして弱者を遠ざける存在を、あなたたちはなんと呼ぶかしら? そう、賢者よ。人魚姫のルーツにセイレーンというものがいるわ。本来は鳥人間なのだけど……まあ、そこは置いておくとして。彼女たちは歌で人を魅了する。でも、船人達は本当に歌程度で魅了されたのかしら』


 なにが言いたいのかと訊ねれば、珠々は酷く扇情的な面構えで。


『旅人が欲しがるのはね、情報と一夜の宿よ』


 そう告げる。

 つまるところ、セイレーンの歌とは、その地方で必要とされる生活の知恵、常識なのだと。

 民俗学者がフィールドワークを行うとき、現地民からいきなり不思議な話を聞き出すことは難しい。

 それは彼らにとって、不思議は日常にとけこんでいること、他の地域でも当たり前だと判断される材料だからだ。

 しかし、古い時代、人々が生きて行くには、知恵が必要であった。

 特有の風土病を回避し、山賊を避け、関所を通るためには、根回しや事前知識を必要とされたのである。


『そんな話をしてくれる現地妻がいたら、旅人はメロメロになってしまうとは思わない?』


 相棒の言葉に、いわおのような男は是とも否とも言えなかった。

 ただ、考えた末に。


「つまり、小豆洗いとは」

『そう、むしろ警句を発する存在。人間の味方なのよ』


 答えへと、辿り着く。


「しかしだ、珠々。俺たちは怪異を変貌させる術を持たない。花屋敷はなやしき瓢仙ひょうせんなら別だろうが」

『あら、そんなことないわよ。この場に一人だけ、その専門家がいるわ』


 珠々の視線の先には、慌ただしく部屋の模様替えに勤しむ案山子火毬の姿があった。


「華子にゃん、その招き猫どっかやって。代わりに祭壇つくって。ディスコード&ビルド」

「は、はい」

「柚子ちゃんは、収納した鏡全部取りだして。ただし、合わせ鏡にならないように注意。見えなくていいものは、見えない方がモアベターだからね」

「ええ、わかったわ」


 親友と霊能力者へ指示を飛ばしながら、火毬自身も着替えていく。

 数分前、簡易的な潔斎――身を清めてきた彼女は、いまは水干すいかん千早ちはやに身を包んでいた。

 れっきとして神祇官の姿。

 見違えたようだと、清十郎は思う。


「俺も何か手伝うか?」

「兄ぃーちゃんはそのまま和利くんを押さえ込んでて」

「……承知した」


 いま、巨漢の足下には、小太りな男が組み敷かれている。

 ことの元凶である大宮和利だ。

 彼は折りたたまれるようにされ、関節を極められているため、激痛からうめき声一つ発っせないでいる。

 ……過剰防衛と取られるだろうか?

 そんなこと清十郎が危惧している間にも、準備は進み、終わる。


 マンションの一室が、祭殿と化していた。

 簡便に組み立てられた祭壇には、清酒と餅、乾物、野菜などが供えられている。

 ソファーや合わせ鏡などは部屋の隅へ追いやられ、換気は全開。

 焚かれたお香の煙漂う中で、清十郎と和利以外の三名が、祭壇に向かって正座をする。


 ゆるりと立ち上がったのは、神官としての格好をした火毬。

 普段のぱやっとした顔つきはそこにはなく、ただひたすら凜々しく。

 彼女は、床を踏みならすように一歩を踏み出すと、ゆっくりと祭殿へ頭を垂れた。


「隠し事なく、清らかな心で申します。このもりたる家鳴やなりさま。本日まで佐々木柚子を見守り戴き、まことに感謝の念に堪えません」


 平易な言葉である。

 同時に、本来神へと捧げる言葉を、現代文へと訳したものを、平然と火毬は口にする。

 かしこくも――そんな一文から始まる大祓祝詞おおはらいののりとを即興で崩したアレンジしたものだった。


「しかしながら、あなたさまを家鳴りとお呼びいたしますことは正しいのでしょうか。我々は愚かにて、迷えるものにて、ときに過ちを犯します。果たしてこのままでよいものか、教えを授かりたいのです」


 ドンと、入り口のドアが鳴った。

 足音、赤ん坊の泣き声。

 来訪ブザー、壁を擦る音、目覚まし……現代を生きる上で、多くの人間にノイローゼを与え得る騒音達。

 繰り返されることで精神衰弱を起こし、その心身を摩耗させる音色。

 家鳴りによる攻撃、怒りと憎悪と怨みの念。


 これを――火毬は逆手に取る。


「華子にゃん」

「――はい」


 指示を出されるままに、川屋華子が携帯電話を手にする。

 そうして、架電。

 通話先は……柚子の電話。


「……火毬ちゃん」

「柚子ちゃんが、あたしちゃんをヒーローだと思ってくれているなら、信じて。きっと、助ける」

「うん」


 怯えたように携帯を手にした親友へ、厳粛な面持ちのまま火毬が頷きかければ。

 意を決して、柚子は端末を耳に当てる。

 霊能力者が、囁いた。


『小豆研ごうか、ヒトとって食おうか』


 室内の空気が変わる。

 同時に、ぴたりと騒音がなりを潜める。

 なぜ? 疑問はすぐに、解消される。


「お答えを頂戴しました。あなたさまは家鳴りにあらず。始まりの忠告をここに全うしたとして、正しき御名みなたてまつります――小豆洗い。それが恩名おんなと、確定いたしまする」


 佐々木柚子に対する一連の怪事件。

 その発端には、自称霊能力者からの電話があった。


 だが、その電話すらも怪異の仕業であったのなら?


 この部屋を襲った異常現象とは、全て物音に関連するものだ。

 ならば、他者の声を真似ることも容易かったのだろう。


 ゆえにそれこそが、決定打となる。

 同じ声を持つ川屋華子が、自分は小豆洗いであるとする代名詞を口にした。

 そうなってしまえばもはや、怪異に逃れる手段はない。


 いま、正当な手続きを持って。

 古来より連綿と続く人と神の橋渡し――神祇官じんぎかんの承認の元。

 怪異の名前は決定した。


 小豆洗い。

 人を危難から遠ざける、決して危害を加えることはない、優しき妖怪であると。


「火毬、よくやった」


 ねぎらいの声をかければ、案山子家の末っ子はゆっくりと振り返り。


「ぶい!」


 花が咲くような笑みで、ピースサインを決めたのだった。

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