第五話 病院のち、ヒルコ
ここを訪ね、保険調査員であることを名乗った清十郎は、担当医から幾つかの証言を受ける。
依己乃に雷撃傷が見られたが即座に回復したこと。
リヒテンベルク図形とよばれる、樹状図状の傷痕が確認されたこと。
また、もう一点、極めて気になる事柄があったが、父親に対して黙秘するようお願いされたことなどを医師から念押しされ、清十郎は承諾。
皆木希人の元へと向かう。
スケジュールをチェックしたところ、希人は大学で教鞭を執っていたため、許可証を発行してもらい、そのまま講堂へと向かう。
入室すると、講義は既にはじまっており、話は希人が得意とする怪異学へとさしかかっていた。
「ヒルコという神がいる。日本神話において、イザナギとイザナミの間に生まれた最初の神だ。しかし、これはすぐに
流暢に説明をしながら、希人は手元のPCを操作。
背後のスクリーンに、幾つかの画像を表示させた。
「
彼の冗句に聴講生達が失笑する。
「とかく、身近にいられては困るもの、自分たちとはルーツの異なるもの、信条思想が違うものを放逐するための方便として、我が国は異形の存在を用いてきた。真っ当な学会のお歴々なら、ここでそれは口走りが過ぎると
遠ざける、うとまれる、排斥される。
それは、自分たちとは異なるものという烙印。
「ヒルコの特徴は先に述べたね。それは神々にとって異なるものだった。違うものだから遠ざけようとした。ここからは論理の飛躍だから話半分に聞いて欲しいのだけど……たとえば、別の種族であったとするなら、理屈は通らないかな? 人のルーツとなった神々とはまったく異なる、元よりこの土地にあった何か。それがヒルコという形で、産まれ堕ちたのではないか」
彼は静かな言葉で。
しかし奇妙なまでに確信に満ちた熱の入りようで、話を続ける。
「現代において、ヒルコは多くの物語の登場する。クリエイティブの世界であれば、姿を自由に変えられる、なんて設定もあるね。人や動物に自在に姿を変え、我々の生活へとけこむってやつだ。これは受容史……つまり神話が時代ごとにどのような受け容れられかたをしてきたかの分野になるので、別の授業で是非聞いて欲しいのだけど、怪異の本質は、この情報の伝達にある」
清十郎にしてみれば、最も身近な理屈。
現代に適応出来た怪異だけが生き延びるというシンプルな論理を、目の前の眼鏡の准教授は語っていく。
「その上で、かつて遠い海の果て、南の海へと流れたヒルコが現代へ舞い戻っているとすればどうだろう。きみの隣にいる誰かはヒルコの血を引いてはいないだろうか? ぼくらの隣人は、本当に人間だろうか? 一瞬でも生じたこの疑心暗鬼に、その隙間に、怪異というのは宿るものだ。どうかそのことを、よくよく覚え、今後の講義を受けて欲しい」
そこで、授業終了のベルが鳴った。
「では、今日はここまで。次回は僕が実際に取材を行った島での、ぬっぺふほふを
講義を切り上げた希人が、清十郎へ向けて右手を挙げてみせる。
彼は首肯し、そのまま二人で研究室へと向かった。
准教授として与えられた希人の部屋で、二人はいつぞやかと同じようにチャイを囲んで話をはじめた。
「そうか。依己乃がそんなことを言ったかい」
「はい。保険を満額で受け取れるはずだと」
「眼球の調査結果は?」
「間違いなく彼女のものだと」
「なら、あの子のいったとおりになるんだろうね」
どこか寂しげな表情で、怪異学の准教授は遠くを見詰める。
彼の視線の先には、かつて見た雷獣のミイラと同じものが置かれていた。
「ああ、知っての通り
「現存するものは稀少でしょう」
「うん、こんなものばかり買いあさっていたからね、妻には怒られっぱなしで……まあ、彼女は依己乃を生んですぐ、姿を消してしまったが」
「…………」
「おっと、悲しんでなんていないさ。そういう性分なだけだよ、妻は。それよりも娘のことだ。きみ、ぼくに隠していることが二つあるね?」
抜けているようでいて、ハッキリと人の心裡を理解しているかただと。
数年ぶりに清十郎は、恩師の直感の鋭さに驚く。
もっとも、人の心の機微に聡くなければ、このような学問に精通することなどできないだろうと、頭を振った。
「先生に隠し事はできませんね」
「妻だったら言う前に暴いていたよ」
「娘さんは妊娠しています。そして、保険の受取人は――」
「――そうか。これからすぐ、依己乃に電話をする。きみは」
話を聞き終えて、神妙な表情で頷いた皆木希人は。
「発想を飛躍させたまえ。まだ真相に至っておらず、そして辿り着くつもりがあるならね」
論理の怪物のような声音で、清十郎へと、そう告げたのだった。
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