翠眸秘恋
ハル
第一話 市場
むかしむかし、ある大陸の西寄りに、光に満ちあふれ、乾いた風の吹く国がありました。
その国に、ファリドという年若い騎士がおりました。
一日に万の敵兵を
ある日、ファリドは供も連れずに市場をぶらぶらしていました。
王宮にも出入りしているファリドでしたが、
炙り肉や揚げ菓子を売る店。
干した
葡萄や麦からこしらえた酒を売る店。
派手派手しい衣装や、まがいものの金銀や宝石を用いた首輪や腕輪を売る店。
品物の素晴らしさや安さや珍しさを、声を大にして訴える店のひとびと。
品物に見とれたり、
生き生きとした市場の様子を楽しんでいたファリドでしたが、ふとその目に、奴隷商人と奴隷たちの姿が留まりました。
町のいとなみの中でも、ファリドは奴隷の売り買いだけは好きになれませんでした。――いいえ、はっきりと嫌っていました。人間が人間をものとしてあつかうことに、どうしても強烈な忌避感を覚えてしまうのです。騎士仲間には考えすぎだと笑われるのですが――。
ですが、そのときファリドが彼らに目を留めたのは、忌避感のためばかりではありませんでした。
――奴隷たちの中に、並外れて美しい少年がいたのです。
北西の国の出身なのでしょう。秋の朝の光のような淡い金色の髪に、極上の
ですが、いまはその髪には艶も張りもなく、眸も深淵を覗いているように翳っていました。肌も痣や
ファリドが吸い寄せられるように近づいていくと、少年は身をこわばらせてぎゅっと目を瞑りました。まなじりに涙が滲み、唇のあいだから嗚咽が漏れ、足が震えて鎖がカチャカチャと鳴ります。
――どうしても、この子を救いたい。
生まれて初めて、ファリドは「強くなりたい」という願い以外の、切実な願いをいだきました。
どれほど奴隷の売り買いが嫌いでも、少年を救うには買うほかありません。まさか
ファリドは商人の言い値どおりの金を払い、少年の足の鎖を外させました。腰を屈めて少年と目の高さを合わせ、
「安心しろ。おれはおまえを殴ったり蹴ったり鎖でつないだりしない」
できるかぎり優しく言い聞かせます。
「はい……」
まだ怯えきった顔で、それでも少年は頷きました。
「腕に触れてもいいか?」
「は、はい……」
少年の声に戸惑いが混じります。奴隷の身に堕ちてからの少年に、許可を求める者などいなかったのでしょう。
ファリドが肩を貸そうとすると、
「ひとりで歩けますし、わたくしはこのように汚れておりますゆえ……!」
少年は
「汚れるのを厭うていて騎士がつとまるものか」
ファリドはそんなふうに
「そ、その……抱き上げてもよいだろうか」
許可を求めるにしてもひかえめすぎる口調でファリドが言うと、
「ほ、ほんとうにお気遣いなく……!」
少年はふるふるとかぶりを振ります。
「おまえこそ気を遣うな。おれはおまえが百人いても軽々と持ち上げられるぞ」
ファリドがおどけた口調で言って、左腕で力こぶを作って右手で叩いてみせると、少年はゆっくりと目をしばたたきました。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます