第11話 飾らぬ言葉

 朝っぱらから小町が私の部屋に来た。

 昨日の約束通りではあるが、それにしても早過ぎる。まだ八時だぞ? 堕落した大学生なら寝てる時間だ。


「もう! 茉莉ちゃん、はやく目覚ましてよ〜」

「……だいじょうぶ。おきてる」

「ベッドにうつ伏せで寝っ転がってるのを、起きてるって言わないんだよ。ほら、顔洗ってシャキッとしてよ」

「んー」


 別にいつもこうじゃない。私だって、小町と同じように大学もバイトもある。いつもはもっと早い時間に起きているさ。

 でも、昨日はさぁ。

 結局あの後、酔い潰れる前に小町は帰らせたけど。一日中一緒だとか、お泊まりだとか、そんなことを言われてしまえば寝付けるはずもなく、妄想しては悶々としていた。

 そのせいで寝不足、というか、一睡もできなかったのだ。私は子供かよ。


 前みたいに戻り始めているのが、信じれない。振られたのに普通に話しかけてくれて、それだけでも十分なのに、お泊まりなんて。

 心のどこかでは望んでいたけど、でもやっぱり諦めていた。流石にそれは、気持ち悪いだろうなって。 

 だから……嬉しかったんだ、寝れなくなるくらい。本末転倒だよ、全く。


「茉莉ちゃーん!」

「起きる、起きるから」


 寝ぼけながらも洗面所まで歩いて、お湯でバシャバシャと顔を洗う。鏡で、瞼が完全に開いたことを確認する。

 鏡は、私だけでなく、洗面所の開いた扉に寄りかかった小町も映している。

 タオルで顔を拭きながら、話しかける。


「恥ずかしいから見られたくないんだけど」

「そんなの今更だよ。すっぴんもおっぱいも見せ合った仲じゃん。それとも、お化粧するところだけは見られたくなかったり?」

「なんか恥ずかしくない? 私にとって化粧は、服を着替えてるのと同じ扱いだよ。それにさ、化粧してる時って人に見せれない顔してることもあるでしょ? 家族にも見られたくないよ、私」

「あー、それはあるかも」

 

 わかったんなら、さっさと扉を閉めて欲しいんだけど。

 もう水滴のついていない顔を、タオルで拭き続ける。

 たしかに小町が言った通り今更ではあるのだが、こちとら恋する乙女。温泉旅行で全てを晒した一年生の時とは、感情がまるで違うのだ。


「おっと、邪魔しちゃったね」


 そう言って、小町はやっと洗面所の扉を閉めてくれた。 

 化粧……と言っても、短時間でシンプルなものだ。すっぴんとの差を意識されたくないから、普段よりも軽く、それでいてばっちり整うように済ませる。


「お待たせ」

「あ、茉莉ちゃん。さっきまで寝てたわけだし、ご飯もまだだよね。ちょうど作り終えたところだから、一緒に食べよ」

「そんな、気を遣わなくてよかったのに……ありがとう」


 冷蔵庫の物を使って料理してくれたらしい。コタツのテーブルにサンドイッチが置かれていた。

 勝手に冷蔵庫開けないで、なんて仲じゃない。互いの冷蔵庫は侵略済みだ。私も泊まりの時は小町の部屋で料理したことあったし。


「もしかして長かった?」

「ううん。早かったと思うよ。茉莉ちゃんが来るまでにオシャレに盛り付けようと思ってたのに、すぐ来ちゃうんだもん。適当に盛り付けちゃったけど見た目、悪くない?」

「そんなことないよ。それに、サンドイッチってだけでもオシャレだよ。手作りだから、不細工なところがむしろ可愛いというか」

「ブサカワってこと? でも、写真撮ってSNSにあげれるくらい綺麗なのにしたかったの。『朝食』じゃなくて『モーニング』って感じの」


 凝り性だなぁ。

 朝食も朝飯もモーニングも、どれも変わらないだろ。

 サンドイッチの中身はたまごで、盛り付けうんぬんを除けば、かなり形は整っている。茶色い紙にでも包めば、一瞬で店の物っぽく見えるだろう。……あ、それが盛り付けになるのか。


「いただきます」

「召し上がれ」


 二人でサンドイッチを食べて。

 ゲームをした。映画を見た。他愛のない話をした。空が赤くなって、そして暗くなるまで、二人してずっと笑っていた。


 こんなことを思ってはいけないんだろうけど、まるで恋人みたいだ。

 私が理想としていたのは、きっとこういう関係だったんだ。なんでもない日常みたいなことを二人でできるなら、それだけでも幸せだったんだよ。

 ただ、それ以上のことを望んでしまったわけだけど。いつまでも隣にいるための名目が欲しくって。

 バカだよね。知ってるよ。


「あれ、もう十二時だね」

「小町、明日はどうなの? 休み?」

「ちょっと待ってね。……うん、明日までは休み。まぁ大学はあるけどね」

「なら、そろそろ寝よっか」

「えー」


 普段から規則的な生活をしている小町は、日を跨いで起きていることなんて少ないだろう。きっと、年越しの時くらいのはずだ。

 今だって、本人は眠そうではないが、さっきから欠伸が止まっていない。私もだけど。


「コタツとベッド、どっちがいい?」

「一緒に寝よーよー」

「何言ってんの」


 ダメに決まってるでしょ。

 小町がよくても、私が。


「じゃあ私コタツでいいから、小町はベッド使いなね」

「うん、ありがとう。風邪ひかないようにね、茉莉ちゃん」


 お風呂も歯磨きも、既に終えている。寝る準備は万全だ。

 リモコンで電気を消す。二人とも小っちゃい明かりを必要としないため、真っ暗になる。街灯の弱い光が、カーテンの隙間越しにぼんやりと照らすだけだ。

 互いに頭の高さも違うが、そんなこと関係ないと言わんばかりに小町が話しかけてきた。


「茉莉ちゃん。今日、楽しかった?」

「そりゃ、もちろん」

「よかった。実はね、少し不安だったんだ」


 不安。それを感じているのは、私だけだと思っていた。小町が、あまりにもいつも通りすぎたから。

 だが、そんな態度が嘘ではなくても、誇張した演技であることくらいには、気づいていた。それでいて、気づくべきではないとも、思っていた。


「茉莉ちゃんは掘り返されたくないと思うけど。クリスマスのことがあって、やっぱり何か思うところはあるわけじゃない? 例えば、振っちゃったけど、そのまま友達でいましょうって言うのは傷つけちゃうのかな、とか」

「…………」


 たしかに、掘り返されたくない話だ。この話を聞いた後、私はきっと、小町への気持ちが後ろめたいものへと変わるだろう。

 だが、聞かないわけにはいない。これは、私が始めてしまったのだから。


「私が想像している以上に、辛い思いをしているのかな。私が案じている以上に、傷ついているのかな。私が思っている以上に、あなたは想ってくれているのかな。まぁ、わかるはずもないんだけどさ。考えてたよ」

「……そっか」


 やっぱり、言うべきではなかったんだ。

 小町は、傷つけたことに気づいて傷つくような、優しい女の子だ。そんな子に振らせてしまうくらいなら、いっそのこと言わない方がずっとよかった。

 

「でも……うん、よかったよ。振り出しまで戻ってやり直すなんて、不器用な私たちじゃ到底できないだろうけどさ。ちょっと足踏みしてから、また進み出すことくらいはできたみたい」

「…………そうだね。……本当に、その通りだ」


 それも全て、小町のおかげだ。

 私は何もしていない、何もできなかった。これ以上の悪化が怖くて、何もしないことにした。

 踏み止まった私の手を取って、前へ進む為の歩き方を思い出させてくれた。


「ありがとう。今はただ、これしか言うべき言葉が見つからない」

「こちらこそ。今だけは、この言葉だけで伝わってほしい」


 他に言う言葉なんて、ないもんね。


 互いにくすりと笑った。見えない相手への距離を、笑い声で感じる。中途半端に近く、でもこれ以上は近づけない。

 二人の笑い声が止まると、一時的に会話が途切れた。恥ずかしい話をした後だし、今となって後悔しているのか、それとも純粋に寝てしまったのか。


 そう考えて、聞いているのなら、答えてくれてもくれなくてもいい。寝ているならそれでもいい。そんな質問をした。

 答えを求めたものではなく、聞くこと自体が目的の質問を。

 今までの違和感への、答え合わせを。


「ねぇ、小町。変なこと聞くけどさ」


 返事はない。構わず続ける。


「タイムリープしてる?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る