日本昔ばなしのつづき『カチカチ山』

はいの あすか

第1話

『カチカチ山』ちゅうのはみんな知っとるのう。実はな、ありゃわしらの村の言い伝えなんじゃ。いたずら好きの狸を兎が懲らしめる話は有名じゃな。でも、お前んらが知っとるのと、村の言い伝えには違うところもある。


 お前んらが教わったのはこうじゃろう。

 

 むかしむかし、ある所に爺さんと婆さんがおった。二人は何度も畑を荒らしに来る狸が悩みの種じゃった。ちょうど隣村でも狸どもが村人を追い出して乗っ取ったっちゅう噂もあった。うちの村ではそうはさせん、と痺れを切らした爺さんは、何とかとりもちで狸を捕まえて、台所の梁に吊るして見せしめにしたそうな。

 

 爺さんが山に出かけた後、婆さんが餅つきをしようとしているのを梁の所から見た狸は、婆さん、おいらが手伝ってやろう、と申し出た。疑うことを知らない優しい婆さんが狸の縄をほどいてやると、たちまち狸は婆さんを殴り殺してしもうた。

 

 爺さんは悲しみに暮れた。以前二人に餌を与えてもろうた兎は、爺さんから話を聞いて、婆さんの仇を討つことに決めた。

 兎は考えた末、わざと狸の通り道で萱を集めた。すると狸が通りがかって、手伝ってやろう、と萱を半分背負った。狸は兎から萱を奪って、それで自分の家を建てようという魂胆じゃった。

 兎はそれを見計らって、カチカチ鳥が鳴いている、と素知らぬ顔で言いながら、狸の背中の所で火打石を打ち鳴らしたんじゃ。すると背中の萱が燃え上がり、狸は丸焦げになって走り去った。


 次の日、仕返しに来た狸を、兎は変装して待っておった。背中の火傷を見た兎は親切そうに、火傷の薬をやろうと言って、蓼の葉入りの辛子味噌を塗りたくった。火傷の痕はまた火を噴いたように痛みだし、狸は泣きながら逃げ出した。


 また次の日、変装した兎は一緒に魚を獲ろうと狸を誘った。兎は、自分は小さい木の舟に乗り、狸には魚を大量に積めるからと言って、大きな泥の舟に乗せた。


 二匹は深い川に漕ぎ出した。すると兎は、泥舟、泥舟、ボロボロ砕けろ、それ、砕けろ、と歌った。すると狸の乗った舟は歌の通り、水に沈んで砕けていき、狸は二度と浮かんでこんかったそうな。


 こうして兎は、婆さんの仇を討ち、爺さんと抱き合って喜んだ。そして、村人や山の動物たちは『悪いことをすれば必ず報いを受ける』という教訓を得たのじゃった。

 めでたし、めでたし。

 



 わしらの村では、話はここで終わらんのじゃ。続きがある。

 



 狸がいなくなった後、里山の家で爺さんは今日も兎に餌を与えとった。婆さんのために狸を懲らしめてくれた兎に菜っぱやきゅうりをやって、その恩を返していたそうな。

 ただ、仇を討ったとはいえ、婆さんが亡くなってしもうたのはまことのこと。やり切れない爺さんに、兎も同情しておった。餌をもらうたびに、大丈夫、婆さんも爺さんが元気にしていたら喜ぶはず、と励まし慰めた。

 

 だが、徐々に兎は黙って餌だけついばんで、帰っていくようになったそうな。爺さんが思い出に浸って、婆さんのついた餅にこの味噌を塗ればじゃな、それはそれは頬が垂れるほど……、と語っているうちに、もう兎はいなくなっておった。

 それでも爺さんは、別にええ、あの兎がわしの恩人であることは確かじゃ、と気にはしなかった。良くしてもらった者を大事にせねばいかん、それは婆さんがよく口にしていた言葉じゃった。

 

 そんな爺さんの懐の深さっちゅうか、鈍感さみたいなもんにつけ込んで、兎は更に横柄に振る舞うようになっていった。軒先で小さい赤い鼻をくんくん、と動かしては、人参があるはずだ、人参を寄越せ、とせがむ。人参はきゅうりや大葉みたいにたくさん採れないから、爺さんは自分で食うために取って置いていたんじゃ。爺さんは困ったが、兎に強く言い返すこともできず、仕方なく人参も与えるようにしたそうな。

 

 しまいには兎は仲間を何匹も連れてやってきた。

 同じ兎として仇を討った見返りを得る権利がある、とか何とか言い張った。ひとの良い爺さんは、それもそうか、と言いくるめられてしもうたが、兎一族みんなにやるほどの食糧はもうない。困り果てたが、冬に備えて蔵に入れていた、米や味噌や野菜を引っ張り出したんじゃ。兎一族はそれを見ると吊り上がった目を更に吊り上げて、喜んだ。当然、兎らは礼も言わず、テキパキと分担してさっさと持って帰ってしもうた。

 

 村人たちはそれまで爺さんを不憫に思いこそすれ、そっと静かにしてやることが先も短い爺さんのため、とわざわざ手を貸してはこなかった。だが、兎らにいいようにされる爺さんを見るに見兼ねて、ある日、村の年寄りたちは兎らが来ている爺さんの家に押し入った。

 

「おいこら、タチの悪い兎どもめ。爺さんはもう充分お前んらに恩を返したはずだ。お前んらがやっとることは、醜い物乞いだぞ、この畜生が。

 もしまた見かけたら、タダじゃおかないからな。おらたちがお前んらの棲み家を叩き潰してやる」

 

 年寄りたちがこれ見よがしに担いだクワやスキに恐れ慄いて、兎らは文句を垂れながらも退散したそうな。

 

「爺さん、あんたももう、兎らあに食いもんなんかやったらいかん。ええな?」

 

 兎に恩を感じておった爺さんにも言い分はあったが、年寄りたちの真剣な説得に胸を打たれる思いじゃった。

 

 ところが、村人たちからの忠告にもかかわらず、兎らは村人が集会に出向いている隙を見計らって、爺さんの所へやってきた。爺さんも、今までずっと食べ物を与えてきたのに今更やめるなんて可哀想じゃ、とやっぱり野菜をやってしもうた。爺さんにとっては目の前におる者がすべてで、無視なんてできんかった。

 

 すると、集会の終わった年寄りたちが、爺さんがまた食べ物を無くしているのに気付いて爺さんを叱りつけた。

 

「もう餌をやるなと言っただろう、阿呆爺めが。兎が繁殖して、うちの畑が食い荒らされても構わんっちゅうんか? うん?」

 

 爺さんはこれまた目の前の年寄りたちに心をすべて支配された。ああ、怒っとる、どうしたらいいんじゃ、ああ、わしのせいで怒っとるのをどうしたら収められる?

 

 もうしない、と改めて誓って、年寄りたちは渋々帰って行った。爺さんはほっと安心したそうな。

 

 それでも兎らはやってくる。兎が来れば爺さんは食べ物をやらないわけにはいかん。そうして、爺さんは兎への恩と村人の善意との間で板挟みになってしもうたんじゃ。

 こんな時に婆さんがいてくれたらのう。爺さんは独りでうなだれた。良くしてくれた者は大事にせんといかん、その道徳を婆さんと一緒に守って、村人たちとも助け合って何とか生きてきたが、今じゃその道徳のせいで窮地に立たされておる。婆さんがいたら何と言うじゃろうか、早う会いに行きたい。

 

 もはや生気を失ったような爺さんが、それでも兎に食べ物をやっているのを見た年寄りたちは、ついに最後の手段を取ったんじゃ。

 

 ある朝、爺さんが起きて畑で収穫しようとすると、畑は一面すべて掘り返され、育った作物は粉々に砕かれておった。爺さんが呆然と立っていると、年寄りのうちのひとりが隣に寄って、

 

「こうでもせんと、爺さん、延々と兎に餌をやり続けるだろう? うちらにも迷惑がかかるんじゃ。あんたはこの村の害虫だよ、まったく。

 今度餌やったら、爺さんごと畑に埋めてやるからの」

 

 年寄りはそれだけ耳打ちすると立ち去ったそうな。爺さんは悲しくて、やる瀬なくて、膝から崩れ落ちた。しわしわの乾いた両手で、震える顔面を覆った。

 

 婆さん、婆さん、と縋るように呟いた。わしは婆さんとの別れが辛いだけじゃ。静かに死を悼んでおっただけじゃ。何故誰も彼も、最初は仲間のフリをして助けて、後になってわしを痛めつける? ただ婆さんの死を受け入れながら、ゆっくりとこの命を果てたいという願いが何故許されない?

 

 爺さんは何もかもが嫌になった。この村の住民、山の動物たちや自然、それらすべてをを形作った時間の累積も、何もかも。敵に思えたんじゃ。

 

 わしが悪いんじゃろうか、わしが誰にも彼にもええ顔をして、それが一番平和じゃとのんきにしておったのが、この地獄の源なのじゃろうか?

 

 爺さんはいまや自分の中にも、最も恐ろしい敵を作ってしもうた。それは爺さん自身の疑念や不信、怯えが膨張してできた影のようなものじゃった。

 

 それからというもの、爺さんは考えることに疲れ果て、昼夜を問わず徘徊し、たまに叫び声をあげ、道端の雑草や木の実を食べて、かろうじて生きておったそうな。そんな爺さんを、もう村人たちも相手にしなかった。

 ある日、目的もなくトボトボと彷徨い歩いていると、ズボボッ、と片足が沼に取られて動けなくなってしもうた。爺さんは最初こそ慌てたが、生き甲斐もないこの命、いつ尽きてもいいという気持ちになってそのままでいた。すると、何者かがドテドテッと走り寄ってきて、

 

「おいおい、お前、大丈夫か。ちょっと待ってろ。

 よっ、こい、しょっ! 

 ほら、抜けたぞ。足は怪我してないか?」

 

 助けてくれたのは、婆さんを殺した狸じゃった。爺さんが見間違えるはずもない、まさにあの、狸じゃった。狸のほうも爺さんの顔を見るや、あ、と勘づいていた。

 

「お前、おいらが兎のやつに痛い目に遭わされた時の爺さんだな? 川に沈められたはずのおいらが何故生きているのか、って顔してるな。うむ、教えてやろう」

 

 爺さんは燃え上がった怒りと復讐心のために顔じゅうを歪めたが、言葉の話し方を長い間忘れていたから、何も言えんかった。

 狸によれば、川に沈められた時もう終わったと諦めかけたが、一か八か無茶苦茶にもがいてみたら、人生で初めて泳げたのだそうな。川底をスイスイっと進んで向こう岸の森の入り口まで逃げたのさ、手土産にドジョウも捕まえてね、と狸は言った。

 

「でも、あの一件でおいらも反省したのさ。悪いことをすると必ず罰が下るんだってね。

 それからは清く生きているよ。自分で家を建てて、魚も獲るし、野菜だって育ててるさ」

 

 かつて苦悪の側にいた狸は更生し、正義の側に立っていた兎や村人は本性を現した。爺さんはもう何を信じ、何に憤ればいいのか分からんかった。

 

「ところでお前、随分とみすぼらしい格好をしているな。おいらが言うのも変だが、困ったことでもあったのか?」

 

 狸は丸い目を更に丸くして、屈託なく尋ねた。久しく触れることのなかった優しさに、爺さんはまた簡単に心を溶かされた。そして兎の横暴と村人の心変わりについて、洗いざらい話してしもうた。狸は黙って聞き終わると自分のことを語りだした。

 

「おいらはな、兎にとっちめられた後、山じゅうの動物たちから虐げられた。狸一族からも見放されたのさ。あいつは盗みを働き、誰でも欺いて、秩序を壊す害虫だってね。さすがのおいらでも、もう誰も助けてはくれないんだ、死ぬまで孤独なんだ、って誰もいない森を見回して絶望した。

 でもな、おいらも改心したのさ。独りでドジョウを獲って食べて、糞して、寝て。起きたらおいらの山菜畑の手入れして、他の動物に食べられないように必死に隠して。

 卑しい生き方だけどな、独りで生きてみて分かったよ。おいらが生きるのに本当に必要なのは、おいらだけだ、って。おいら自身を信じて生き方を作っていくしかない。迷ったら、おいらの心の声を聞くのさ」

 

 爺さんに伝えるというよりは、自分自身でそれを確認するような語り方じゃった。爺さんは聞きながら狸と婆さんを重ねた。爺さんが迷った時、婆さんはいつも隣で足元の少し先を照らしてくれた。そんな婆さんが狸に乗り移って、続きの人生を送っとるんじゃないかとさえ思った。

 爺さんは疲れ切った足をバタつかせて、上半身だけで思いっきり狸に抱きついた。おう、おう、と泣いた。

 

「ば、ば、婆、婆さん……!」

「おい、お前、やめろって! 耄碌しやがって、気持ちわりい。第一、おれは婆さんを殺したんだぞ」

 

 爺さんはそれも気にしなかった。婆さんがいた過去のことは、もう充分、心の中で整理がついていた。前を向く時が来ておった。

 

 爺さんは狸に、お互い思いもよらなかった申し出をした。たまにうちに来てくれ、と言うんじゃ。狸はきっと何かの罠だと疑ったが、育てた山菜を持って恐る恐る訪ねると、爺さんは喜んで歓迎した。爺さんは少しずつ、畑を元の姿に戻していった。狸もそれを手伝ったそうな。

 

 最大の敵であるはずの狸と一緒に暮らすようになった爺さんを、村人や兎らはついに気が触れたかと訝しがった。しかし爺さんは一切、やつらの言葉に心の居場所を与えなかったんじゃ。そして、自分が新たに作り上げた生活を信じて、幸せに暮らしたそうな。

 めでたし、めでたし。

 



 これで村に伝わる話も終わりじゃ。だから、わしらの村では『どんなに落ちぶれても己を信じること』というんが、この昔ばなしの教訓になっておる。未だに村人は、狸をわしらを導く存在として、神のように大切にし、兎は群れて厚かましい生き物と忌み嫌う。

 

 しかしなあ、爺さんと狸が、村人たちも寄せ付けずに暮らしたんなら、誰がこの話を伝えたんじゃろうな。そりゃあ誰にも分からん。

 

 実は、村には爺さんと婆さんと狸が一緒に入ったと言われる墓が今もあるんじゃ。一度、見に来るといい。

 その墓石には、こんな主旨の言葉が刻まれておる。

 

『無二の幸せを知った爺さんと婆さん、

 それを授けた狸、ここに眠る。

 狸を信ずる者には等しく幸せが訪れるだろう』

 

 ちなみに、兎一族の墓もある。村人はちっとも寄りつかんがな。そっちの墓石が伝えているのは、こんなことじゃ。

 

『知恵者のでっちあげに欺かれてはいけない。

 語り継がれる歴史が常に真実とは限らない。

 それはいつも誰かの思惑を映す』

 

 この昔ばなしのもう一つの教訓は『死人に口なし』ということじゃろうな。もしかしたら、あんたの知ってる昔ばなしも、誰かの都合の良いように書き換えられているかもしれんから、よく注意することじゃ。

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