1-2 もうそんな苦労はさせない

 わがままだなんて、覚えがなかった。言われたことも、人生で初めてだった。


 わがままというカテゴリーに入る言動をしたとすれば、公爵家御用達の新作チョコレートがほしいと言ったくらいだ。

 侍女のシーナが告げ口でもしたのかな。一瞬そう思ったけれど、いつだって味方でいてくれるシーナがそんなことするはずはない。そして、わがままを言えるような人、私にはいない。婚約者のオスカー殿下にさえ、私は何一つプレゼントのリクエストをしたことがない。


 今思えば、「性悪令嬢」という私に関する噂が学園外にも広まっていたんだろう。それをお兄様はあえて「わがままをするな」と表現することで様子をうかがってくださったんだ。


〈セドリックお兄様は、お務めでご無理をなさいませんように〉


 でも、そんなことを知る由もない私は、「私のことは気にしないでご自分の心配をしてください」という旨の手紙を送り返した。


 王直属騎士団に勤めるお兄様は、激務だと聞いている。ほんとに文面通りを解釈してくださっても、かまわなかった。

 それから、お兄様から手紙は届かなかった。だから、やっぱり呑気な私は、お兄様からのヒントをただの生存確認のようなものだと勘違いしたままだった。


 そうして迎えた、公爵である私のお父様はもちろん、国王陛下も招いた卒業記念パーティー。


「ラリサ・アリアナ・シビリテル公爵令嬢、ここに婚約破棄を宣言する!」


 オスカー殿下はこう高らかに声を張り上げ、私にするどい視線を投げつけた。

 その横には、私じゃない女性がピッタリとくっついている。


 リリー・ソフィア・アストアルド男爵令嬢。

 一年前に学園に異例の編入生として入ってきた才媛だ。成績は常に一位の王太子殿下の次点であり、乗馬やダンスの授業でもその美しさ、そして可憐さは際立っていた。


 実は、こっそり憧れていた。

 雪のはかなさを思わせるような銀色の巻き髪が麗しく、その目は春の花を想わせるピンク色。ピンクダイヤモンドをはめこんだようなその瞳は、誰もがじっと見つめたくなるような輝きをもっていた。

 いつか私も、真正面から眺めてみたいと常日頃から願っていた。でも、こんな形でそれが叶ってしまうなんて。


 婚約破棄。

 婚約を取りやめる、ということ。

 私とは結婚できない、ということ。


 今日の彼女のドレスの色は、デザインはちがうものの私と同じ赤だった。パールやエメラルドをあしらった豪奢なネックレスをして、私よりも数段うまく着こなしている。


 いつの間にか楽団の音楽も止み、この場に集う全ての方々の目が私に注がれる。

 そういえばあのネックレス、見たことがある。

 たしか、王家に代々伝わる婚約者に贈られるもので、私は本の挿絵で見かけたことがあったので知っていた。

 ずっと、憧れていた。

 オスカー殿下が私の首にそっと着けてくださるその瞬間を、この八年間、待ち焦がれてた。

 そっか、あれは、もう私にくださらないのね。

 リリー様のものなのね。


 泣いてしまいたい。

 小さな子どもみたいに、ワンワン泣いて、走り去りたい。

 だって私、完璧に婚約を破棄されたんだから。

 だったら思うように暴れ回ってもいい気がした。


 でも、やめておいた。

 もしそうしたら、公爵家にも迷惑がかかる。それに、これまでの妃教育を全部無意味にしてしまう気がしたから。と思うものの、涙はもうまつ毛の際まで押し寄せていた。


 今日も当然エスコートしてくださるとばかり思っていた能天気な私は、準備を二時間も前に終わらせて自室でオスカー殿下を待っていた。けれどいつまで経っても誰も訪ねてこず、とうとうパーティー開始時間になってしまったので、私は一人で会場に赴いた。

 リホン王国の令嬢にとって、パーティーはエスコートしてくれるパートナーありきだ。


「ラリサ様、お一人でいらっしゃるなんてみっともない……」

「みじめね……」

「でも性悪令嬢だもの。いい気味だわ」


 あちこちから聞こえてくる言葉を、私の耳はご丁寧に一つもあますことなくとらえる。この数年、ずっと誰に対しても聞き役に徹してきたこともあり、私はどんな声も頭にしみこませることに長けていた。


 ビックリした、と言いたいところだったけど、どこかでこんな日が来る気がしていた。こう自分を客観視することで、なんとか途切れそうな意識を保った。

 だって私、王太子妃にとことん向いてないんだもん。でも、オスカー殿下のことを想うと胸がドキドキして、殿下との結婚生活を想像したら楽しくって、自分から婚約破棄は言い出せなかった。

 妃教育を乗り切れたのも、殿下のことが好きで、将来力になりたいと切に願っていたから。

 なのに、まさか私じゃない理由で婚約が破棄されるなんて。


「何とか言ってみたらどうだ」


 ポカンと開きそうな口をなんとかキュっと閉め直していると、オスカー殿下の低い声が飛んできた。そんな荒々しいおっしゃり方もできたんですね。初めてです。いつもの微笑みは、どこに置いてきてしまったのですか。


「理由をお聞かせくださいませんか?」


 久しぶりに殿下と交わす会話が、まさかこんなことだなんて。

 この質問の仕方でよかったかな。

 敬語、まちがってないかな。

 声の大きさは、これでよかったかな。

 アクセントはおかしくなかったかな。


「わからないのか?」


「はい、わかりかねます……」


 今の、「存じません」の方がよかったかな。


「数々のリリー嬢への嫌がらせ、知らないとは言わせないぞ」


 嫌がらせ?

 何のことだろう?


 会場がざわめき始めた。


「リリー嬢の制服に、汚水をぶちまけたではないか」


 オスカー殿下はそう言って、リリー様をギュっと抱き寄せた。


 「まく」じゃなくて、「ぶちまく」なのね。

 この表現は、王太子殿下には似つかわしくない気がして、首をかしげてしまった。

 というより、制服に汚水? 何のことだろう。


「学園の女子寮でのことだ。窓辺に制服をかけていたら、上階の貴女の部屋からバケツいっぱいの泥水が降ってきたと聞いたぞ」


 今度は反対側に首をもたげる私。

 何の話?


 上の階から汚い水が落ちてきたのは災難だっただろうけれど、そもそもなぜ窓辺に制服をかけていたんだろう。寮の窓はほとんどが出窓になっていて、洋服をかけるためのフックなんてなかったはず。そもそもクローゼットがあるのに、そんなところにわざわざかけていたなんて。


「制服をなぜそのような所に保管されていたのか、お聞かせ願えませんでしょうか?」


 というより、私の寮の部屋の下、リリー様だったんだ。ある意味、今日一番のビックリだ。


 見ると、私の問いにリリー様は顔を真っ赤にしている。


「制服を干すためです」


少し離れた場所にいる私にギリギリ聞こえるくらいの、小さな小さな声。


「リリー様の侍女が、そうしていた、ということでしょうか?」


 まだリリー様の顔から赤みは消えない。


「私が、かけておきましたのっ」


 そう言えば、日の光には殺菌作用があると本で読んだことがあったけれど、リリー様はそれを実践された、ということだろうか。


 シビリテル学園は、爵位などの地位は問わず実力主義の学校だ。これは裏口入学した私が絶対に言ってはいけないことだけれどね。というわけで、よほどの才能か、優秀な家庭教師を長期で雇えるほどの財力がある家でなければ入学することは難しいと言われている。なので、自然と生徒は上位貴族ばかりが集まっていた。


 入学を許可された生徒は、寮に自分の家から侍女や使用人を連れてくることができる。食事はカフェテリアを利用する人も多かったけれど、制服のメンテナンスなどの身の回りの世話はその者たちが担っていた。


「もうそんな苦労はさせない」


 オスカー殿下がリリー様の顔を覗き込むと、やっと彼女の目に輝きが戻った。つまり、リリー様には侍女がおらず、ご自身で身支度などをされていた、ということだろう。


 気にしたことなかったけれど、私の制服はいつもどんな風に管理されていたんだろう。洗い替えをを考慮して四セット用意しているとか、侍女のシーナが言っていたっけ。洗濯は、学園の外にあるクリーニング専門店に頼んでいて、その帰りによく平民のお菓子をこっそり買って帰ってきてくれた。

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お嬢様は言葉にうるさい!婚約破棄されたので語学教師になりました はるか @harukaharukaharuka

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