第37話 戻れない視聴者

動画投稿サイトが急速に普及し、多くの人が「YouTuber」という職業に憧れる時代となった。日常の出来事や趣味の共有だけでなく、大がかりな企画やドキュメンタリー動画など、様々なジャンルが投稿され、再生回数が伸びればそれが収入に直結する。中には動画一本で莫大な利益を得る成功者もおり、誰でも一夜にしてスターになれる可能性が広がっていた。


***


涼もそんな夢に憧れる若者の一人だった。大学生の彼は授業の合間に動画を撮影し、編集して投稿する日々を送っていた。だが、登録者数は200人ほどで、再生回数も数百回に届くかどうか。バズることを期待して過激なチャレンジ動画や商品レビューを投稿してきたが、どれも思うように伸びなかった。


「どうすればみんなに見てもらえるんだ……」


ある日、涼はSNSで「心霊スポットで奇妙な現象が起きた」という話題を目にした。ツイートに添付された動画は不気味な映像が映し出されており、コメント欄には恐怖の体験談が溢れていた。その動画の再生回数が数十万回に達していることを見た涼は、心を決めた。


「これだ……俺も心霊動画で勝負してみよう。」


涼は地元で噂の心霊スポット「旧倉橋病院」を訪れることにした。すでに廃墟と化したその場所は、幽霊が出るという噂が絶えず、地元の若者の間で有名だった。


撮影当日、涼は友人に声をかけたが、誰もついてきてくれなかった。


「幽霊とかマジで無理だから。」


仕方なく一人でカメラを持ち、深夜の病院跡地に向かった。外観はすでにボロボロで、崩れかけた壁や割れた窓ガラスが不気味な雰囲気を醸し出していた。


「今日はここからお届けします。さて、幽霊に会えるかな?」


涼はカメラを回し、視聴者に向けて軽い挨拶をした。


***


アップロードされた涼の動画を視聴していた「影見」と名乗る視聴者は、薄暗い部屋の中で静かに椅子にもたれかかっていた。画面には、廃墟の病院内部を撮影した涼の動画が再生されている。


「心霊スポット探検とか、典型的なバズ狙いだな。」


そう呟きながら、影見はスマホのコメント欄にこう書き込んだ。


「影が見えた気がする。」


コメントが表示され、次の瞬間、涼が動画の中で立ち止まるのが映った。


「え? 影? どこ……?」


カメラを持つ涼が周囲を見回す。だが、何も映っていない。ただ、揺れるカーテンと崩れかけた壁が画面の中に収まっているだけだった。


影見は首を傾げながらも、動画をそのまま再生し続けた。


次のシーンでは、涼が病院の奥の病室にたどり着く。部屋の中央にある古いベッドを撮影しながら、彼は不気味な雰囲気を語っていた。


「ここが一番やばいって噂されてる場所らしいんだよな。特にこのベッド……」


涼の声が画面越しに響く。その瞬間、影見の耳には妙な音が混じって聞こえた。


「……ザー……ザー……」


ノイズがかすかに響く。影見は思わず音量を上げたが、涼の様子からすると彼にはその音が聞こえていないようだった。


「やっぱ編集ミスか。安っぽい演出入れてんじゃん。」


そう思いながら、影見は再びコメント欄に書き込む。


「何か聞こえるぞ。」


画面の涼は、床を踏みしめる音とともに病室を歩き回る。そしてベッド脇の棚に近づいた瞬間、カメラが一瞬揺れた。


「おい、今の何だ?」


影見は再生を止め、映像を巻き戻した。棚の隅に、一瞬だけ何かの「手」が見えた気がしたのだ。


「……誰かいる?」


自分で問いかけておきながら、影見は寒気を覚えた。背後を確認するが、当然誰もいない。部屋は暗く静まり返り、画面の中でカメラを回し続ける涼の息遣いだけが響いている。


次のシーンでは、涼が廊下に戻り、別の部屋に向かう様子が映されていた。影見は画面を凝視しながらコメントを書き込んだ。


「後ろを気をつけろよ。」


涼が不意にカメラを振り返り、誰もいない廊下を映す。その映像に影見は息を飲んだ。


廊下の奥、カメラの端に黒い影が立っているのが見えたのだ。


「……ふざけるな。」


影見は再生を止め、もう一度巻き戻して確認する。しかし今度は、そこに影などなかった。ただの廊下が映るだけだった。


「気のせいか……」


影見は疲れたように首を振り、再生を再開した。だがその瞬間、画面の明るさが急に変わり、涼の顔が大きく映し出された。


「おい、どうなってんだ?」


涼の顔が画面に近づく。だが、彼の目はまるで画面の向こうを見つめているかのようだった。


「お前、見てるよな……?」


その言葉が響いた瞬間、影見はスマホを手放した。画面が暗転し、再生が止まったかと思うと、次の瞬間、彼の部屋の明かりが揺れた。


「な、なんだよ……」


影見は怯えながらスマホを拾い上げた。画面には涼の顔が映り続けている。そして彼の口が動き、こう囁いた。


「次は、お前の番だ。」


影見の全身から汗が噴き出す。その時、スマホのスピーカーから再びあのノイズが響き始めた――。


***


影見はスマホを床に投げ捨てた。だが、ノイズの音は止まらない。それどころか、部屋全体に響き渡るように音が大きくなっていく。


「ふざけんな……何なんだよこれ……!」


影見は手で耳を塞ぎながら部屋の四隅を見回した。部屋のどこにもスピーカーなどないはずなのに、音は四方八方から迫ってくるようだった。


「次は、お前の番だ。」


その言葉が再び耳に届いた瞬間、部屋の蛍光灯がパチンと音を立てて消えた。暗闇の中、影見は息を殺してじっとしたまま動けなかった。スマホの画面だけが薄暗く光り続け、再び涼の顔が映し出されている。


だが、そこに映る涼はもう普通ではなかった。顔は灰色にくすみ、目は見開かれたまま、口元には薄ら笑いが浮かんでいる。


「おい、やめろよ……」


影見が震えた声で呟くと、スマホの画面が急に暗転した。そして、涼の声ではない別の低い声が響いた。


「お前が見たものは、返さなければならない。」


「何を返すってんだよ!」


影見が叫ぶと、スマホの画面が再び明るくなった。そこには涼が歩いていた病院の廊下が映し出されていた。だが、涼の姿はどこにもない。代わりに、影見自身の姿がカメラの視界の隅に映り込んでいた。


「嘘だろ……こんなの、ありえない。」


影見はスマホを手に取り、慌てて動画を閉じようとした。しかし、どのボタンを押しても画面は変わらない。動画の中で、影見の姿が少しずつ廊下の中央に向かって進んでいくのが見えた。


「俺じゃない……なんで……」


その瞬間、スマホのカメラが起動し、影見自身の部屋の様子が映し出された。スマホの画面越しに見る自分の部屋の背景が、次第に変わっていく。そこには廃墟となった病院の壁が映っていた。


「嘘だ……ここにいるのは俺だろ……!」


影見は目を疑った。だが、画面に映るのは、もはや自分の部屋ではなかった。画面越しに病院の廊下が映し出され、その中で影見自身が歩いている。スマホの画面に触れてみても、そこに映る病院の光景は変わらない。


「助けて……誰か……」


影見が声を震わせた瞬間、スマホのスピーカーから涼の声が再び響いた。


「見てたよな……全部、見てたんだよな。」


画面の中で、影見の姿はどんどん廊下の奥へと進んでいった。そしてその先には、何かが待ち構えているような気配があった。暗闇の奥で何かが動いている。


影見が恐る恐る顔を近づけると、スマホの画面が急に真っ黒になり、ノイズの音だけが響いた。


ザー……ザー……


次の瞬間、画面に一瞬映し出されたのは、自分の後ろに立つ黒い影だった。


影見は振り向くことすらできず、その場で硬直した。部屋の中にいるはずの何かが近づいてくる気配がした。


影見の部屋からは誰の姿も見つからなかった。スマホだけが床に転がっており、画面には病院の廊下の映像が再生され続けていた。そして、その映像には、暗闇の中を彷徨う影見の姿が映し出されていた――。

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