【1】 藍良さん

「ぶぅ〜……てな感じで地獄だったよぉ〜」


 一時間どころか二時間もお母さんに怒られ続けた私は、今。

 家から徒歩五分のところにある大きな家の一室で……某卵のキャラクターみたいにぐでぇっと体から力を抜いて、この家の主人である夜佐野よさの藍良あいらさんを相手に愚痴っていた。


「それはそれは……勉強する時に、もう少し歴史に力を入れてみたらどう? どうせ咲夜ちゃんなら、他の教科は少し勉強したら出来るでしょう?」


 少し明るい茶髪を後ろで緩く三つ編みにして揺らしていて、焦茶の目を何かのプログラムが表示された画面に向けている白衣の彼は、AIの研究を専門にする研究者だ。

 ここは彼の自宅兼研究室らしい。


 口を尖らせてぐちぐちと言い続ける私は、藍良さんがこちらを見ないのはいつもの事としても……その言い分に更に口を尖らせて話す。


「他の教科が少し勉強したら出来るのはその通りだけどさぁ〜……藍良さん、知ってるでしょ〜? ……私が、歴史をどう頑張っても覚えられないってこと」


 そう。

 勉強をサボっている訳ではない。


 ただ……覚えられないのだ。

 壊滅的に。

 思考問題も、基礎部分が覚えられないのだから……当然ボロボロだ。


 理由は不明。

 でも、多分っていう理由はある。


「英語と現代国語はコミュニケーションツールとして必要。古文や漢文も昔の考え方や民族としてのルーツを学ぶ為に必要。数学も将来使う。地理は教養として最低限の名産品とか工業、それを主に担う地域については覚えないといけない。理科は自然や人工物の仕組みについて理解しておかないと命の危険につながる時がある」


 そこまで一気に話してしまってから、ぽつりと言う。


「でも歴史ってさ、必要? ……『歴史は繰り返す。だから学ぶのだ』っていう人もいるけど、文明が発達した今どうやったら鎌倉時代のことを繰り返せるのさ? 

 そもそも、戦争史ならともかく数百年前の人達の事を学んで何になるの?

 ……あと、歴史ってただの事実の羅列を見て時代覚えるだけでつまらない」


 ……それが多分、私が覚えられない理由だ。

 学ぶ意味がわからない。

 そして、面白くない。


 意味がわかれば、面白くなくても頑張って勉強する。

 面白ければ、意味がなくても勉強する。


 けれど……そのどちらも理由として使えないのなら。

 どうして覚えられよう。


 そう話していると、ふと影が差して机に突っ伏す私の前にコーヒーが置かれる。

 振り向くと、黒髪を短く刈っている黒目の背が高い男が片手を白衣のポケットに突っ込み……コーヒーを飲みながら、嫌味に笑っていた。


「わがままだな」


「うっさい。孔明こうめいには話してないし……この万年助手」


「黙れ。歴史が出来ないJCめ」


 男の名前は葛瀬くずせ孔明といって……藍良さんの助手だ。

 私とは、来るといつもこうやって喧嘩をする仲でもある。

 ……まぁ、コーヒーを淹れてくれるあたり一応歓迎してくれているらしいが。


 二人で睨み合っていると、休憩に入るのか藍良さんがメガネを白衣の胸ポケットにかけながら歩いて来た。


「う〜ん……まぁ確かに、わからないのは仕方ないよねぇ。考えてみると、僕は古文が散々だったし」


「だよねだよね!!」


 研究者としての能力はとても高いけど、どうにもポヤヤンとしている藍良さんは私にとって癒しだ。

 喧嘩を中断してコーヒーを飲みながら、なんとなく藍良さんの動きを目で追う。


 そんな私の行動に気づいていたのだろう。

 孔明からココアを受け取ってゆっくり飲んだ藍良さんは、カップ片手にもう一方の手の人差し指を立てて……私に向かって、お茶目に笑みを浮かべて見せた。


「でも、いつまでも逃げてはいられないでしょう? だから……そんな咲夜ちゃんに、僕と孔明から少し遅いクリスマスプレゼントをあげよう」


 そう、楽しげな声で言いながら。

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