零夢調査局

ぎあまん

零夢調査局



「はい、こんばんは」


 銀色のジャケットの少女が見下ろしている。


「なんだ、あんた?」


 目を開けた私はそう問いかけた。

 ここは私の部屋、私のベッドの上……そのはずだ。

 家族はいない。

 一人暮らしのこの部屋に、なぜ、知らない少女がいる?


「強盗か? ここに金なんかないぞ」

「失礼な。こんなに可愛い強盗がいるものか」


 常夜灯の暗いオレンジ色の下だというのに、少女のジャケットは不自然に銀色を主張する。

 その上にある少女の顔は、年相応の可愛らしさを宿しているが、それよりも平板な瞳が妙に目を引いた。


「なら、なんだ?」

「零夢調査局だ。零夢発生を検知したのでやってきた。お前が発生源か?」

「……なにを言っている?」


 ゼロユメ?

 調査局?

 わからないが、役人だというのか?

 こんなよくて中学生ぐらいの少女が何を言っているのか。


「変な嘘はやめてくれ、いまなら警察を呼ばないから大人しく……」

「どうやって警察を呼ぶのさ?」


 挑発というにはあまりに気力のないその声に、私は枕元に置いてあるはずのスマホを取ろうとした。

 だが、そこにスマホはなかった。


 いや……。


 私は、どこで寝ているんだ?

 背中が痛い。

 下が硬い。

 常夜灯だと思っていたものが白い光に変わった。

 古臭い白熱球の光が目を刺す。

 オレンジ色の闇は嘘のように消えて、周囲は打ちっぱなしのコンクリートとなった。


「なんだ?」

「だから、ここは夢だよ」

「夢なら、消えてくれ」

「消えないよ。どうやらここはお前の夢じゃないみたいだから」

「なに?」

「邪悪な夢さ。どうやらお前は被疑者じゃないみたいだから、ここで大人しくしてな」


 少女は私から興味を失い、近づけていた顔を離した。

 この時点でようやく、私は少女にのしかかられていたのだと気付いた。

 見えていなかった少女の手で冷たい金属音がしたと思ったが、正体を確認する前に背中を向けられる。


「待ってくれ、どこに行くんだ?」


 ここはどこだ?

 少女が離れるとともに混乱が加速していく。

 起き上がり、少女を追いかける。

 狭苦しいコンクリートの部屋は錆びた鉄のドアで閉じられていたが、銀色のジャケットに導かれ、その向こう側へと飛び出す。


「おっさん、付いてきてもたすけてあげないよ」

「いや、君だって危ないだろう?」

「ははは、おもしろーい」


 少女の声は軽い。

 そして感情がない。

 平板な声は白熱球の白い光の下で反射する。

 出てきた場所はトンネルのような通路だった。

 煉瓦を積み上げられたような壁と天井、長い時間の経過を示すように角が削れて、色が澱んでいる。


 滴る水の音。


 振り返ると、出てきたはずの鉄のドアがない。

 どこまでもトンネルが続いている。


「なんなんだ、ここは?」

「だから、零夢。誰かの夢。もしかしたら、誰のものでもないかもしれない夢」

「夢なんて、そんなふざけた」

「別に信じなくてもいいよ。悪い夢だと思って、早く覚めるのを祈りな」


 振り返らない少女の後を付いていく。

 否定したところで、現状が変化するわけではない。

 これが悪い夢であるのなら、覚めてくれるのを待つしかない。

 しかし、一人になることを恐れて、自然と少女を追いかけていく。

 銀色のジャケットを目印に進む。

 トンネルはまっすぐに進んでいる。

 先は見えない。

 これほどに長いと、少しずつ曲がっていたとしても気付かないかもしれない。

 そうして、トンネルは円となって、私たちはずっと歩き続けることになったとしても……。


「……」


 少女の足が止まった。

 嫌な考えに囚われていた私はそれに気付かず、彼女にぶつかってしまう。


「ぶつかりおじさん?」

「いや、そんなつもりはない! すまない!」


 そんな悪名で呼んで欲しくはない。

 しかし、どうして足を止めたのか?

 前になにかがあるのか?

 と、そこに光があった。

 先程までなかった、トンネルの出口だ。

 白い光がトンネルの向こうを見えなくさせている。


「ああ、出口が」


 消えたドアの件もある、景色が変化することへの驚きは飲み干すことにした。


「待った」


 ようやく見つけた出口に飛びつこうとする私を、少女の平板な声が止める。

 いつの間にか、彼女を追い越していた。

 振り返ると、冷たい目が私を見ている。


「本当に出ていくの?」

「なにを?」

「いや、いいんだけどさ。どうぞ」

「変なことを言わないで……」


 と、前を向いて、思った。

 おや、この出口、もうこんな近くにあるな?

 いや、そんなバカ……な?


 目が合った。

 出口と、目が合った。

 捻じ曲がった一つ目。

 三日月のように笑う唇。

 出口が私を見ている。

 その先を見せない光の中に目と口があって、私を見ている。


 ズルリと、近づいてくる。


「う、わ、あああああああああっ!」


 悲鳴。

 逃走。


「入らないんだ?」

「入れると思うのかい⁉︎」


 追いかけてくる少女の冷静な問いかけに怒鳴り、私たちは走り続ける。


「しかたない」


 少女が足を止め、ジャケットの中からなにかを取り出す。

 好奇心が足を止めさせ、それを見た。

 それは、銃だった。

 銃のようだった。

 銃口の部分がひどく大きく、黒いボディには怪しげな光のラインが刻まれ、銃把には何かのキャラクターキーホルダーが揺れていた。

 映画でいえばSFで登場しそうな形をしている。

 まさか、撃つのか?


「……」


 出口は近づいてくる。

 少女は銃の狙いを怪しげなそれに定め、引き金を……。


「あっ、これ違う」


 引かなかった。


「逃げよ。戦略的撤退。ゴー」

「なんなんだ!」


 ジャケットに銃を収めて少女は一転して逃走する。

 その足の速さに驚いた。

 若さというだけではない。

 先程までとは速さがまるで違う。


「待ってくれ!」


 置いていかれてはたまらない。

 必死で追いかけた。


 夢の中でも体力が尽きるのか。

 前に進む速度に足を動かす回転速度が追いつかなくなり、地面を滑った。

 転げたのなんて何年振りだ?


「痛そう。大丈夫〜」

「なんなんだ、君は」


 少女はすぐそばで私を見下ろしていた。


「さっきの銃は……なんで」

「まぁ、落ち着いて」


 荒い息で抗議もままならない私を、少女の言葉だけは宥めようとしている。

 声も表情、平板なままだけれど。


「この銃は、化け物を倒す銃じゃないんだ。だから、あれを撃っても意味がないわけ」

「そんな銃が」

「そんな銃だよ。ていうか、日本は銃にうるさいんだよ? 私みたいな可愛い子がなんでも殺せる銃なんて持てるわけないじゃん。ないじゃん?」


 知らないの? という風に首を傾げられて、私はなにも言えなくなった。

 ため息でなんとか思考の体勢を立て直し、背後を見る。

 あの化け物は追ってきていない。


「ここは……いや、零夢ってなんなんだ?」

「名前の通り、ゼロの夢」


 少女は遠くを見ながら話した。


「あるはずのない夢。あるはずのないモノの見る夢。ゼロからイチになろうとする悪夢。正夢になろうとする偽りの夢。それが零夢」

「意味がわからないよ、それでは」

「逆に聞くけれど、おじさんはどうしてここにいるの?」

「え?」

「ここは本当におじさんの夢? それとも迷い込んだの?」

「いや、わかるわけが」

「迷い込んだのだとしたら、零夢はおじさんに成り代わろうとしているということなんだけど?」

「どういうことだい?」

「私は調査局から送られてきた調査員だけど、おじさんは無関係な人だよね? だから、おじさんが狙われてるんだよ」

「そんな……」

「だとしたら、このトンネルのどこかにもう一人のおじさんがいるはずだからさ。探しに行こう」

「もう一人の私だって?」

「それを見つけられるのは、おじさんだけだよ」


 少女は断言する。

 零夢。

 入れ替わる現象。

 その対象は私?


「はは……」


 こんな私と入れ替わってなにが楽しいというのか。

 毎日毎日、起きて通勤して仕事して帰って寝て……起きて通勤して仕事して帰って寝て……その繰り返しを続けるだけのつまらない存在だ。

 結婚するタイミングを逃し、会社の中の人間関係は冷え切り、勝ち組派閥から弾かれて昇進は遠く、給料は寒い。

 笑った記憶はしばらくなく、楽しかった思い出はさらに遠い。

 人生の意味なんてものを考えるほどに若くはなれず、かといってその答えを手に入れたわけではない。

 いや、手に入れてしまったそれから目を逸らしたいから、考えようとしないだけか。


 見なければ、それはないと同じ。


 零の夢。


 まさに、いまの状況と同じか。


「は、はは……ねぇ、君、名前は?」

「うん? ごめんね。仕事中は肩書き以外の自己紹介はしないっていう決まりなんで」

「そうかい。は、はは……」


 君のような若い頃から、そんなつまらなそうな顔をするべきではないよ。

 若い頃しか、楽しいことなんてないんだから。


 もっと楽しく生きられれば……。


 あの時、ああしておけばなんて……後悔を久しぶりに。


 久しぶりに?


 いや……。


 いま、知ったのではないか?


 いま、私は私という人間を吸収しているのではないか?


 私の……名前は?


 私は……誰だ?


 あ、ああ……もしかして、私は……もしかして……。


「おっと」


 少女が足を止めて振り返る。

 嫌な予感で振り返れば、一つ目に三日月口の『出口』が近づいてきている。


「おじさん、逃げるよ」

「あいつは、なんなんだ」


 走る少女を追いかける。

 また走るのかと思ったが、疲労はすでになかった。

 こんなに簡単に疲れがなくなるなんて……さすがは夢だ。


「ここは零夢。で、取り込まれそうになっているおじさんの夢でもあるわけ」

「それで?」

「虚無と実存の衝突が生んだ火花。あれは、おじさんの夢が生んだ怪物だよ」

「なら、どうして追いかけてくるんだ!」

「私が異物だから? もしかしたらおじさんもそう思われているのかも」

「は、ははは」


 では、やはり私は、そうなのか?

 偽物なのか?

 零夢の生んだ、偽物の私なのか?

 そしていま、本当の私へとなろうとしているのか?

 そんなのは……。


「嫌だ」

「おじさん?」

「こんなのは嫌だ。なりたくない。私は……私は……消えたい」


 消えてしまいたい。

 こんな私は嫌だ。

 こんなものになるためにここにいるんじゃない。

 嫌だ。

 消える。

 私は、消えるんだ。


「お願いだ。いますぐ、その銃で私を撃ってくれ!」

「いや、おじさん」

「頼む! 私は、こんな人生を送りたくない。こんな人間になりたくない!」

「おじさん、後ろに来てるけど?」

「その銃なら私を殺せるんだろう? その方がいい。頼む!」

「あのさ……」


 少女があの銃を取った。

 ああ、その気になってくれたのだ。

 私は嬉しくて、その時を待つために目を閉じた。


 BANG!


 その音はとんでもなく大きく響いた。

 衝撃が私の左頬を叩き、耳の奥から甲高い音が鳴り続けている。

 頭の中がぐらんぐらんと揺れる中、背後で「ぐあっ」と声がした。


 振り返ると、『出口』に穴が空いていた。

 目の下部分と口の一部、そしてそれらを含む大きな円が生まれ、その向こうにでろでろとした内臓が覗き、引き裂かれていた。


「え?」


 どうして?

 その銃は、零夢にしか効かないと。


「あのさ、おじさん。嘘も方便って言葉知らないの?」

「え? あ……」

「零夢にしか効かない銃とか……そんな便利なものあるわけないよ」

「なっ、そんな……」

「おじさんが零夢じゃなかったら、私は人殺しをすることになるんだけど」

「……」

「おじさんは、私を殺人犯にしたいのかな?」

「いや、そんな……つもりは……」

「しっかりしろ、大人」

「ぐぅ……すいません」

「ほら、行こう。そいつは死なないから。やるだけ無駄だから撃たなかっただけ」

「あ、ああ……しかし」


 どこへ行けと?


「大丈夫、おじさんは辿り着けるよ」


 平板な少女の声に引っ張られ、私は進み続ける。

 トンネルはずっと続く。


 トンネル……トンネルか。

 子供の頃、度胸試しに廃トンネルに入ったな。

 あのトンネルの壁が、そういえばこんな形だったか。


「嫌い、だったな」


 あの田舎も。

 あの田舎にいた同い年の連中も。

 父も、母も、祖父母たちも。

 みんな、嫌いだった。

 大学生になって田舎を出て、戻りたくない一心でいまの会社に入った。

 会社に入ってなにがしたいとか、大人になってなにがしたいとか……そういえば考えていなかったな。


「なんだ、なら、いまの状況は当然なのか」


 望んだままの未来だ。

 家族が嫌い。

 故郷が嫌い。

 だから逃げ出す。

 そして、それを成し遂げた後の自分自身の空虚さに恐怖して死を願うなんて……。

 なにもないのは自業自得か。


「それならさ」


 少女が口を挟んだ。

 物思いに耽っていると思っていたが、口に出してしまっていたのか。

 恥ずかしい。


「いまから探してもいいんじゃない?」

「え?」

「やりたいことなんて。別に一生涯の仕事とかじゃなくてもいいんじゃない? 趣味とか、ちょっと楽しいこととか、そういうもので」

「は、はは……なるほど。それもいいかもね」


 そうだな。

 そういうものさえもなかった。


 そうだ。

 あのトンネル。

 壁の一部が壊れて、トンネルみたいになっていて。

 度胸試しの二段階目でそこに入らないといけなくなって、そうしたら入り口が崩れて、あいつらは私を置いて逃げた。

 なんとか生還できたけれど、あいつらは私の危機を誰にも告げなかった。

 それであいつらが嫌いになった。

 田舎の力関係で強く出れなかった家族は泣き寝入りし、それで私は家族も嫌いになったんだった。


「そうだ、あの横穴」


 そう考えると、トンネルの一部が崩れて穴があらわれ、そこに寝ている私がいた。


「ああ、私だ」


 そこにいるのは、歪み一つない私だ。

 私のように歪んではいない。


「やはり、私の方が零夢だったんだね」

「さあ、どうかな?」


 そんなことを言っているけれど、少女の銃はすでに抜かれている。


「だって、彼はちゃんと人の姿だ。それに比べて私は……」


 自分の手を見る。

 ぐにゃりと歪み、曲がりくねり、手としての用をなすことなんてできそうもない。

 他の部分もそうだ。胴が横にくの字を描き、足は波打っている。

 もうこれは人間ではなく、なにか触手のようなものが人間の振りをしているのだとしか思えない。

 私は、バケモノだ。

 間違いなく。


「まぁ、それもいいさ。なら、未だ私にない希望が、彼の中にはあるのかもしれない」

「……」

「君の言葉が無駄になるかもしれないけれど、私の今の気分も彼に伝わればいいね」

「そう……いや、無理だよ」


 BANG!


「なっ!」

「消えるのはあっちだから」


 

少女の銃は寝ている彼に向けられ、そして放たれた。


「どうして?」

「入れ替わってるんだよ? なら、時間とともに人に近くなっている方が偽物に決まってるじゃん」

「あっ……」

「おじさん、ちょっと考えなしすぎない?」

「いや、それは……だって……」


 惨劇となった横穴の中には、人の残骸はなかった。

 地面が窪み、その周辺に銀色の液体と、それに混ざって小さな塊がいくつもあった。

 あれが、奴……零夢の名残なのか?


「じゃあね。おじさん。たすけたんだから元気に生きて」

「あ……ありがとう」

「うん」


 少女の言葉は最後まで平板だった。

 だけれど、そこに心がこもっていなかったわけではないのだと、いまさらながらに思う。


「いい子だったな」


 名前が聞けなかったのは、残念だ。



† † † †


朱鷺灯ときとう! 報告書まだか⁉︎」

「まだっす〜〜」

「早く出せよ」

「いまやってます〜〜」

「おいまさか、スマホで書いてんのか? PC使えよ」

「こっちの方が早いっす〜」

「もっとやる気出せよ!」

「これでマックスっす〜これ以上は課金が必要になります」

「うるせぇ!」

「は〜あ」


 報告書を送信し終わり、朱鷺灯楓はスマホをジャケットにしまった。


「それじゃ、あがりま〜す。おっつっす〜」

「ちゃんと挨拶しろ!」


 上司の小言をするりと聞き流し、楓は外へと出る。

 冷たい風が吹く街中には人がたくさんいる。

 みんなの表情なんて、よくわからない。

 この中にあのおじさんはいるのか。

 そしていまはどんな表情をしているのか。


「寒っ」


 吹き抜けた風にジャケットを引き寄せ、楓は帰途に着く。


「楽しい毎日だね」


 平板な声では、本気かどうかも判別できない。

 だが、その瞳は、成功を喜ぶように僅かに光を強めているようにも見えた。

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