てん・わんわんわん

 おやつとして差し出された一口サイズの果物。佐藤さんは桃だと言っていたな。そう言えば前世今世合わせても桃は食べたことは無かったかもしれない、とふと気がついた。


 何せ最低限生きていく上で、デザート的存在だった果物の優先度は低かった。だから食べたことは無かった。


 まあ、仮に以前食べていたとしても、佐藤さんに出会うまでは食に美味しさなんて求めていなかったから何を食べていたかすら思い出せない。


 あの時は最低限生きるために食べ物という異物を取り込む作業をしていただけに過ぎないのだから。


 だから美味しさを求める、という意味では初めて食べると言えそうだ。


 桃はどんな味なんだろう、と少し警戒しながら匂いを嗅ぎ──とても甘そうで良い匂いだった──、ハクリと食べた。


 こ、これは……!!


 カッと目を見開き、それの瑞々しい美味しさにまるで雷に打たれたような衝撃を受けた。


 桃、美味い!!!


 なんだこの美味しいものは! もっと食べる! と思っていたのに佐藤さんは手を引っ込めようとしていて、もうくれないのかと抗議する。


 桃、桃、桃!!!


「な、なんだ? ……もっと食べるのか?」


「キャン!!!!」


 桃がもっと食べられると思ったら嬉しくて、尻尾はぶん回し、なんならグルグルとその場で回ってそれを表現する。自分でもそれは止められなかった。


…………


 それからは『もう終わり』と言われるまで一心不乱に桃を食べ続けた。


「もう終わり。その姿で食べ過ぎは良くないからな。また明日。」


「クゥーン……」


 三食桃でも良いくらいには気に入った。だからストップをかけられて落ち込んでしまう。何なら尻尾と耳はダダ下がりである。


 どうも犬になると感情の制御が人間の時よりも難しいらしい。食べ過ぎが良くないという言い分も分かるが、それでもやっぱりもう少し食べたいという欲が勝つ。


 食い意地だなんだと言われようが知ったことではない。だって桃は美味しいのだから……!!


「人間に戻ればもう少し食べても良いかもしれないがな。」


「っ……!!」


 そう提案され、それなら一刻も早く人間の姿に戻らなければ、とワタワタと焦る。桃のため、桃のため!


 佐藤さんにもその焦りは悟られてしまったらしい。クスッと笑ってポンポンと頭を撫でられた。


「まあ、桃の旬は始まったばかりだし、焦ることはないさ。」


…………


 あれからも随分と構われ、夕飯も食べ、只今ブラッシングの最中。今日も佐藤さんのブラッシングの腕は素晴らしく、僕はその気持ち良さにテロンと溶けてしまう。


 食後ということもあり、眠気がものすごい。このまま眠れてしまいそうだ、だなんて考えながら、でも寝てしまってはこの素晴らしいブラッシング時間を堪能できないと眠気と戦う。


 何度寝落ちそうになったか。十を数えた辺りからはもう眠すぎて、その数すら数えられない状況になっていた。


 そして佐藤さんにもそれは気付かれていて。


「サキちゃん、眠っても良いんだからな。」


 佐藤さんのその穏やかな声が一押しとなり、スッと心地よい眠りへと誘われたのだった。






──楓真side


 サキちゃんの好物、桃。自分の脳内メモにそう書き残し、サキちゃんにブラッシングをかけながら今日一日を振り返る。


 今日はなんだか長かったような気がする。サキちゃんが書いた本を読み終え、サキちゃんの好意に喜びを感じ、それをお互いに伝え合って、突然やって来た山葵田にそれを報告して。あとはサキちゃんの好物が桃だと知ったこともか。


 これ全てが一日でなされたと考えると、随分濃い大変な一日だったとある意味感慨深い気持ちにすらなる。


 愛情を向ける対象がいること、そしてそれを認めてくれる第三者がいること。それらが揃うということは、とても幸せなことである。そう実感した日でもあった。


 まあ、他の誰からも認められなくてもサキちゃんが俺の隣にいてさえくれれば、俺は何も言うことはないがな。


「フッ……」


 と、サキちゃんへの執着を自覚すればするほど苦笑が漏れ出てしまう。俺はこんな人間だったのか、と。


 知らない自分を知ることは、存外面白いものだ。そう思えたのもやっぱりサキちゃんがいたからだった。


 ぷうぷう鼻息を鳴らしながら隣で眠るポメサキちゃんは大層可愛らしい。勿論今日も無音カメラで写真を撮りましたとも。


 スマホのアルバムにサキちゃんの写真が溜まるほど、サキちゃんとの生活が長くなっていくことを表しているようで。幸せが降り積もっていくような感覚が俺を満たす。


 この幸せが続くためなら、どんなことでも頑張れるような気がした。

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