えいと・わんわんわん

 好きだと伝え合い両思いになった瞬間に、佐藤さんはガラッと変わった。


 いや、悪い意味ではなく、言葉の端々にも行動の一端にも甘さが多量に含まれるようになったという意味で、だ。


 恋愛初心者、もっと言えば愛情を受けることすら初心者な僕にとってみれば、この質と量の愛情は水に溺れるが如くで、それを受け止めきれなくて今回犬化したというわけだ。


 ストレスとはまた違った理由で犬化するだなんて知らなくて、僕もビックリした。が、それすらも許されない程に佐藤さんが狼狽えてしまい、逆に僕は冷静になれた。


 犬化した今、佐藤さんと会話する手立ては平仮名五十音表くらいなので、それを急いで持ってきて狼狽え続ける佐藤さんの手の中にポトリと落とす。


『お、ち、つ、い、て』


「でもサキちゃん、俺がグイグイ行き過ぎたから……それがストレスになってしまったんだろう? すまない」


『こ、ん、か、い、は、す、と、れ、す、じ、や、な、い』


「どういうことだ……?」


 それから何とかかんとか長々と言葉を指し示していき、一度に多量の愛情を受けて心身共にビックリしたのだと伝えた。


 すると佐藤さんもビックリ驚き、そして幾秒か考え込んだ後ニィーッコリと笑った。今までと何かが違う雰囲気のそれに、僕は反射的に逃亡しようとした。


 が、僕の手足なんて爪楊枝みたいなものだから軽々と佐藤さんに抱き抱えられてしまい、それはすぐに失敗した。


「そうかそうか。それなら、毎日のように与え続けたら、すぐに慣れるんじゃないか?」


 ひぃっ!? 佐藤さんの甘い声に胸焼けしながらも、怖いことを言われたような気がして身震いする。


 今の一瞬だけでもすごい甘苦しかったのに、それが毎日!? このままでは甘い愛情にドップリ漬けられてしまいそうで、僕は未知の事柄に恐怖した。


 イヤイヤと手足を伸ばして佐藤さんから距離を取ろうとするが、まあ、爪楊枝サイズの手足に出来ることなんてそうそう無くて。佐藤さんに軽々と抱き込まれた。


「大丈夫、大丈夫。人間とは慣れる生き物だから。ね?」


 有無を言わせずそう言い放った佐藤さんの笑みは、甘いを通り越してむしろ苦いように映った。





──楓真side


 愛情を知らぬこの子が、俺の与える愛に溺れていくサマを想像すると随分愉快な気分になる。


 俺にこんな一面があったことに内心驚いたが、嫌な気分ではない。むしろサキちゃんを目一杯可愛がれると分かって良かったと思う。


 まあ、本気でサキちゃんが嫌がっていたらやめる気ではいたが。しかしそうではなさそうだったからな。どんどん攻めていく所存だ。


 と、サキちゃんを優しく撫で回していると、ピンポンとインターフォンが鳴る。


 せっかく良いところだったのに。そう不貞腐れながらも画面を覗き誰が来たか確認する。


「やっほ~サキちゃ~ん、あ~け~て~」


 山葵田がそこには写っていた。……よし、居留守を使おう。


 そう決めて踵を返そうとすると、『わふ?』とサキちゃんに咎められる。副音声で『何故出ない?』と言われていそうだ。


「……致し方なし。」


 渋々嫌々玄関を開けると、驚いた表情を浮かべた山葵田がそこにはいた。


…………


「あり? サキちゃんまたポメったん?」


「わふ」


「……色々あって。」


 まさか山葵田に正直に全てを話すわけにもいかず──だって絶対面倒くさい。一から十まで全てを話せとか言いそうだし──、言葉を濁す。


 が、俺の隣に座っていたサキちゃんが五十音表を持ってきて言い訳を始めた。


『さ、と、う、さ、ん、は、わ、る、く、な、い』


『す、と、れ、す、が、げ、ん、い、ん、じ、や、な、い』


「え、サキちゃんどういうこと?」


 これ以上聞かれると、俺達の関係を話さなければ話として成り立たなくなると気がついたらしいサキちゃんは今更焦り始めた。


 ここまで正直に話しておいて、これ以上はどうやって話を濁すつもりなんだろうか。少し悪戯心が顔を出してしまい、助太刀せず黙っていることにした。


「え、サキちゃんそんなに慌ててどうしたん?」


 こいつはこいつで能天気に聞き迫ってくる。本当、能天気すぎて呆れてしまう。


 そもそも俺達の関係は、世間一般では『普通』と言えない。山葵田はそんな偏見で嫌な目をすることはないだろうが、あまり大っぴらにはできないだろう。


 だからこそこれは秘密にすべきであり、言葉を濁す必要がある。


 そんな気遣いを無意味にするように、山葵田はグイグイと『どうした』『何があった』と聞いてくる。少しは気を遣えないのか、とため息を吐いてしまうのも仕方がないだろう。


 サキちゃんはどうしたものかと前足を顎に当てて数秒考え、決意を固めたような表情に変わった。


『さ、と、う、さ、ん、と、り、よ、う、お、も、い、に、な、り、ま、し、た』


「え、マジか!」


 サキちゃーーん!? 何正直に全てをペロッと話しちゃうんだ!? さすがの山葵田でも顔が引き攣……


「良かったねぇ~!!!」


 らなかった。まるで自分のことのように喜んでいた。


 何ならサキちゃんの手を取ってブンブン振り回してる。まるで前からそれを知っていたかのような……


 あれ? もしかして本当にそうだったりするのか?


 そんな風に察してしまい、俺一人だけが置いていかれたような寂しい気持ちになってしまったのは秘密だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る