第17話

「さ、こちらへ」

 伝太さんを背負った……いや状態で私に向けて両手を広げ、飯綱さまが仰った。

「ど、どうすれば……?」


 店を新しくなった錠前で施錠し、飯綱さまが術の守りを施してくださった、その後。

 お屋敷に帰るのは電車を使うのかと思っていたのだけど、家を出て少し歩いたところで長屋と長屋の間の、人目につきにくい小路に入った。

 そして屈んだ飯綱さまの背に慣れた様子で伝太さんがしがみつき、先程の会話に至る。

「今日は顕ヲさんもお疲れでしょうから、非常手段で帰ります」

「非常手段」

「……なんて言ってますけど、顕ヲさまと知り合ってから、旦那さまはほとんど毎日これで帰ってきてます。気にしないで平気ですよ」

 飯綱さまの肩に顎を乗せた伝太さんが笑う。

「これというのは……」

 どういう状態を求められているのかなんとなく想像がつくものの、もし間違っていたらあまりに居た堪れないのではないか。

「……失礼」

 一言つぶやき、飯綱さまが少し身を低くした、と思った時にはもう、横抱きに抱き上げられていた。

「エッ、ワッ、い、飯綱さま」

「非常手段です」

 言うが早いか、飯綱さまの足元から鈍い私でも感じるほどの強い術力が立ちのぼる。


「Seven league boots」


 流暢な英語らしき言葉を口にされ、ゆっくりと片足を上げる。

 すると周囲の家々がぐぐっと小さく、あるいは私たちが雲をくほど大きくなったかのように、辺りの景色が下の方へと消えていった。

 見渡せば、視界ははるか高い場所にあった。

 ……これって!

「七里靴だわ!」

「よくご存知で。つかまって」

「はい!」

 上げた片足を少し先に下ろす、それだけの間に、足元の街並みが吹き飛ぶように後ろに流れていった。

「着きましたよ」

 ふうと軽く息を吐いた飯綱さまが仰ると、既にほんのわずか前とは全く別の場所にいた。

「到着! ありがとうございます旦那さま」

 ひょいと跳ねるように降りた伝太さんの背後を見ると、素晴らしい枝ぶりの松や石組、小さなお池に石灯籠、奥に立派なお屋敷があった。この角度から見るのは初めてだけど、ここって。

「我が家の庭です。この術は足を下ろす場所に気をつけねばならないものですから」

「ありがとうございます……素晴らしいわ! 英国で習得なさったのですか?」

「ええ、あちらの魔術遣いとの技術交流がございまして」

 父の収集した資料にあったのを覚えている。御伽話や伝承のようなものだと思っていた。

「といっても、靴に術を込めておくのでは具合の悪いこともあるので、私は自分の足に都度、術をかける方法を用いています」

 もっと詳しくお聞きしたい……だってこれは本当にすごい術なんだもの。

「旦那さま、顕ヲさま! 早く入りましょうよ!」

 広いお庭のかなり先、玄関らしい方から伝太さんの声がする。

「……あとで良ければお教えしますよ。さ、我々も」

 まだ夢心地の私の手を取り、飯綱さまは屋敷の表へ向かう小路を歩き出した。


◇◇◇


「まあ、なんてこと。そんな災難に遭っていたなんて! わたくしを呼んでくれれば、犯罪現場などすぐ視てあげたのに」

 三瑚さんごさまが座卓の向こうで声を上げた。

 時間も遅かったのでまずはと夕食をいただいたのち。

 昨日と同じお座敷で、今私を取り巻いているいくつかの問題、検討するべき事がらを確認してみようとなったのだ。

「申し訳ございません。今既に私の店の過去視を予約しておりますから、さらに加えて天眼堂の正規の見料をお支払いする余裕は……」

「ウウン……そうね! そこで星四郎さんやわたくしと知己であることを利用しようなんて考えもしないのが顕ヲちゃんだものね」

「警察がきちんと仕事をするかは、私がしっかり見ておきますから」

 とこれは飯綱さま。

「ねえ星四郎さん、むしろ警察はこの件の捜査に力を入れざるを得ないのではない?」

「おそらくそうでしょう」

 どういうことかしら。今のところ何も盗られたものがないから、実質被害は錠前だけ、空き巣どころか侵入止まりとも言えるのに。

「巡査が誰とも知れぬ輩に術をかけられ、それが職務に影響を与えたとなれば、警察の威信に関わります。もうただの空き巣事件としては扱えないのですよ」

「成程……」

 鶫野つぐみの警部が熱心に対応してくださったのはそういうわけか。

「捜査の立ち合いって、一体どんなことするんでしょうね。店は開けてもその後ですか?」

 明日は伝太さんも、飯綱さまと一緒に来てくださることになっていた。

「そうですね。どのくらいかかるのやら……」

 このところ店は臨時休業が続いている。先日のご近所の妖退治の報酬がなければどうなっていたのか……アラ待って? そもそもその臨時休業の原因も妖退治だわ。

「なんだか堂々巡りで、自分がちっとも前に進めていない気がして参りました」

「……顕ヲさん、私への支払いは全ての借財がなくなったその後までお待ちしますからね」

 飯綱さまは私の心を読んだようなことを仰る。でもそれでは、一体何年先になるのか。

「あれ、昨日の退治の報酬があるんじゃあ?」

 結構、いい金額でしたよね? と伝太さんが膝立ちで座卓に身を乗り出す。

「アッ、そう、そのことを忘れていました。報酬自体は依頼主さんがあとで届けてくださるのですが、今回の件、実際あの妖は飯綱さまが調伏してくださったので」

「私は受け取りませんよ」

 先回りされた。

「ええ、飯綱さまならそう仰ると、さすがにわかって参りました。それで、これは元々の予定通りでもあるのでただのご報告なのですけど……今回の報酬は、まず浄晋尼じょうしんにさまの過去視の見料をお支払いします」

 昨日伝太さんから教えてもらった費用に、十分足りる。

「そしてですね、おそらく少々残る分がありそうなので、これを飯綱さまに立て替えていただいている隣家のお家賃にまわせるのではないかと」

 報酬は飯綱さまが稼いだようなものだが、飯綱さまのために使うことで相殺とさせてもらう、これでどうかしら。

 隣に座る飯綱さまの顔色は……アッこれはだめなやつだわ。眼鏡の奥の目が見えない。

「……繰り返しますが、隣家の家賃はいつになっても構いません。それより私の希望としては、顕ヲさんご自身の生活を整えていただきたい」

 そ、そんなに荒れておりますでしょうか……。

「まずきちんと食事をお摂りなさい。そして夜は遅くならないうちに就寝する。顕ヲさん貴女、このところ夜なべして商品への術込めをしているでしょう。お店の在庫が増えていませんか」

 ウッ、ばれている……

 お客さまがたくさん来るわけではないから在庫してもあまり意味がないのは承知だ。しかし何かせずにはいられなくて、つい毎夜作り溜めていたのだ。

「やはり……そうですね、考えていたことをお伝えしましょう」

 飯綱さまは姿勢を正して座り直した。

「昨日も少し言いましたが、お借りした帳簿を見た結果の話です。術込めをした品を売る商い自体は悪くありません。しかしご自分のお店で手ずから売るだけでは、返済を早められる状態にはならないでしょう」

 この指摘がまったく正しいのは、自分でも理解している。

「以前、魔術道具店は出入り禁止になっていると聞きました。これは確かですか?」

「そうですね。地方まで行けば分かりませんが、少なくとも東京を中心に近郊には話が回っているようです」

 そもそも魔術道具店はそんなに数があるわけではない。過去に自分で納品に行ける範囲は訪ねてみたが、どこからも断られていた。

「では、普通の商店はどうでしょう。例えばご近所の履物屋がありますね? 今はそこから仕入れて術込めをしてご自分の店に置いていらっしゃいますが、履物屋の方で売ってもらうのです」

 ……エエトそれは、可能なことだったかしら。店を開く時に調べた記憶はあるのだけど。

「術のかかった道具を売るためには、客に扱いを詳細に説明する義務が定められている他、登録が必要です。これはご存知ですね?」

 勿論知っている。私の店もきちんと魔術省から認可を受けている。

「この登録には二種類あります。まず、店そのものを指定した登録。こちらは法に触れる術や別途申請の必要な術以外は全て販売できる」

 私の店や魔術道具店はこれね。別途申請というのは、魅了の術の時に出している。

 ……アッ。思い出した。

「もう一つは販売品目ごとの登録。これは店自体を登録する必要はありません。一般の商店が申請を出し、認可を受けて店に置く。ただし商品一種ずつ別の申請となります」

「マァ、良いじゃない! 申請書類を作るところもこちらで代行してしまえば良いのよ」

 確かにそれが可能なら、相手にかける手間も減り、置いてもらえるかも知れない。そして数多ある、魔術と普段は関わりのない商店ならば、出入り禁止も影響しない。

「卸しの方へ比重を移せば、今までほど長時間店を開けておく必要はなくなります。その時間を別のことに使えるようになる」

「……ぜひ、やってみたいです」

 やる気が一気に盛り上がってきた。

 だってこれまで……数年前に卸しを断られてからは特に、借財を払い切るのは無理なのではないかと、心の奥では諦めていたのだ。

 もしどこかで躓いたら。体を壊すなどして商いができなくなったら。誰にも買ってもらえなくなったら。

 常にそんな不安がひっそりと私の中に横たわっていた。

「ただし私は卸先を探したり、商品を申請する部分は手伝うことができません。まさにその認可を行う側だからです。貴女が独力でやらねばならない」

「もちろんです、飯綱さま。やります。きっとやり遂げてみせます」

 借財も、飯綱さまに立て替えていただいているお金も、何としても全て返し終えなくては。

 

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