第15話

 翌日。

 朝早めに飯綱さまのお屋敷を出て、南狭間ビルヂングの鍵を不動産屋さんに返し、依頼主さんへの報告も済ませた。報酬はビルの様子を確認してから届けてくださる約束になった。

 出発前、飯綱さまは自動車で送らせると仰ったのだけれど、運転手つきの高級車でなんて分不相応もいいところ、電車と歩きでじゅうぶん。

 でも昨日の影響で具合を悪くしてはいけないから、というお言葉は受け入れて、伝太でんたさんに付き添いで来てもらったのだ。

 今は用事を全て片付け、二人で私の店へ向かっている。帰りは、お仕事を終えてから飯綱さまがうちに寄って、伝太さんと一緒にお帰りになる……そんな計画である。

「ところで、今更だけれど今日は天眼堂のお仕事はよかったのですか?」

 依頼主さんの家を出ててくてく歩く。強い日差しが頭のてっぺんを容赦なく焼いている。

「あの客捌きは、別に術遣いじゃなくて平気ですからね。やっさん……泰春のダンナや他の奉公人もいるんで」

 そう、昨夜の夕飯後に少し聞いたのだけれど、やはり伝太さんも術遣いなのだそうだ。

 浄晋尼じょうしんにさま、つまり三瑚さんごさまは、以前の過去視のお仕事の際に路上で暮らしていた伝太さんと出会い、術の才能を見出して後見することになさったのだとか。

「オレはその、学校も通ってなかったから、今まで読み書き算盤なんかを屋敷の皆んなに習ったりしてて。それが大体いいところになったんで、そろそろ天眼堂の手伝いよりも術遣いの修行に本腰入れる話も出てまして……」

 成程、確かに術を学ぶにはまず文字が読めなくてはならない。古来より先人の蓄積した智慧を知るため、古い文書を紐解くのは術遣いとして必須の技術だ。

「小さいのに偉いわねえ……」

 思わず漏らした言葉に、伝太さんがくるりとこちらを振り向いた。

「顕ヲさま、言ったでしょ。オレはなりはこんなだけど、もう十四なんで!」

 もちろん覚えている。

 術遣いの特性、不老長命。伝太さんも例に漏れず、力の発現した二年前から、極端に成長がゆっくりになったのだそうだ。

 とはいえ十四歳。齢四十の私からすると実子でもおかしくない年齢なので、まだまだ子供というところだ。まあ見た目については、私が二十歳くらいにしか見えないので、齢の離れた姉弟のような感じかしら。

「あーあ、術遣いって色々すげーのに、なんで見た目だけこんななんだろ!」

 早く大人らしくならないかなァ、なんてぼやきも、過去の自分も全く同じことを思ったので、ただただ微笑ましい。

「そういや顕ヲさま、昨日の話ですけど」

「はい?」

「さっきの不動産屋、あの妖と出くわしたのは四階で、三階までは異変がなかったって」

 ああ、昨夜は早く就寝するようにと言われて、その辺りの話を詳しくしていなかったわね。

「前日の聞き取りでは、確かにそう仰っていました。あの方は特に危害を加えられなかったという話だったので、下見くらいは一人でできるかと判断してしまって」

 実際はとんだ見込み違い、あわや命を落としかけたわけだ。

「ふうん……でもそりゃあ変な話じゃありませんか? オレみたいな見習いでもあの人より顕ヲさまの方が与し易いだなんて思わないし……」

 不動産屋さんには襲い掛からなかった妖が、私が行った時には一階へ自ら降りてきた。言われてみると違和感のある状況やも。

「何か理由があるって考えた方がいい気がするナァ。オレに思いつくのは、その……顕ヲさま、何か妙なもん身につけてますよね」

 ……妙なもの。

「もしかして、これかしら」

「アッ、それですそれ」

 取り出したのは、帯に挟んであった例の守り袋だ。飯綱さまが身につけておいた方が良いかも、と仰ったので、昨日家を出る際、久しぶりに持ち出したのだ。

「泰子ねえさんの言ってたとおり……見た目はお守りみたいだし、確かに顕ヲさまをを守る術も感じる」

 先日これを家の一階に持って降りた時、泰子さんはと言っていたっけ……

「ただそれ、術の要にはなにか良くないものが使われてる感じがするんですよね」

「良くないもの?」

「オレは術とか妖を視るの得意なんだけど……見鬼の術を使わないでもわかるのは、中のものを守る強い術がかかってて、それ自体が要になっているの気配も抑えてる、てとこかな?」

 何か、というけれどそれってつまり。

「気を悪くしないで欲しいんですが、多分、妖の体の一部が要に使われてると思います」

 魔術的な効果を持つ品物を作る場合、単に普通の道具に術込めをする以外に、そういった手法もあるのは承知している。

「ちゃんと術使って視ないとはっきり言えないけど、本当の目的は中身を守ることで、顕ヲさまを守ってるのはちょっとっぽい……」

 伝太さんは目を細めて守り袋に顔を近づけたり離したり、口調もだんだん独り言じみてきた。

「ついで……だから今まで私は何も気付かなかったのかしら」

「ウーン、断言はできませんねえ、今のところ。夕方に旦那さまが来てから、もっと詳しく視せてもらっても?」

 勿論異論はない。ひとまずもう家が近い、日差しも暑いし急ぎ向かうことにした。

 ところが私の店のある通りに入ると、何やら人が集まっていて、落ち着かない様子なのが遠目にもわかる。

「おいっ、帰ってきたぞ!」

 ふとこちらを振り向いたご近所の顔見知りのお爺さんが、大声で仰った。なんとよく見ると、人だかりは我が家、私の店の前にできているではないか。

「顕ヲちゃん! どこへ行ってたんだ、無事なのか!」

 騒ぎの中心にいたのは田島のご主人だった。

「おいお前、顕ヲちゃんだ、帰ってきた!」

 店の引き戸は開いていて、中から田島の奥さまが飛び出して来た。

「ああ、心配したのよ! 丸一日も、どうしていたの? 顕ヲちゃんのお店、ゆうべ泥棒に入られたのよ!」

 ええっ。

 

◇◇◇


「ですから何度も言いますように、昨夜彼女が家を空けたのは妖退治の仕事で危機に陥ったことによる、予期せぬ出来事です。それを何です、空き巣は狂言ですって?」

 飯綱さまは穏やかな口調であるものの、威圧感を隠そうともしないで仰った。

 丸一日空ける羽目になった我が家に帰った早々、ご近所の皆さまから昨夜泥棒に侵入されたと聞かされたのち。

 既に到着し、家を見分していた巡査からなぜか高圧的な聞き取りをされていたところに、飯綱さまがいらっしゃった。どうやら伝太さんが、最前に後にしてきた妖退治の依頼人さん宅へ駆け戻り、電話を借りて魔術省に連絡してくださったのだ。

 飯綱さまには、二日にわたって私のためにお仕事を抜けさせてしまい大変心苦しい……のだが、この巡査、なぜかはじめから、空き巣は狂言で、私が家を空けたのも仕込みの一環であると疑って聞かない。飯綱さまが間に入ることでようやくこちらの話に耳を傾けてくれたのだ。

 小娘の言うことなどと軽んじられるのは慣れているが、それにしても様子がおかしいように思う。

「全く埒があかない。良いですか、私の見立てでは、この件は何らかの術か妖が関わっています。署に戻って、専門の者を派遣してもらいなさい。私は魔術省法務寮の飯綱星四郎です。この名刺を出せば話が通るはずだ」

「ま、魔術省?!」

 ついに飯綱さまがお立場を明かされて、巡査が怯んだ。しどろもどろになりながら、結局「応援を呼ぶ」と言って店を出てゆく。

 つまりまた後で来られるのでしょうけど……それまで家の物には触らない方が良いのかしら。

「旦那さま、今の巡査、なんか変な術がまとわりついてたように見えましたよ」

 箪笥の陰から伝太さんが顔を出す。

「あら……様子がおかしかったのはそのため?」

「やはりか」

 何か考え込むお顔で店の戸口を見ていた飯綱さまが振り返る。

「勝手に人様を視るのは良くないんで、視えちまった範囲ですけど」

「……戻ってきたら視てみなさい。許可する」

 い、いいのかしら……

「顕ヲさん、ご心痛お察し致しますが、物には手をつけず、お家の様子だけ見ましょう。少なくとも一階はそこまでひどく荒らされてはないようですが」

 確認する間もなく巡査による尋問めいたやり取りになったので、家がどうなっているのかまだ見てもいなかったのだ。

 そして飯綱さまがいてくださるお陰か、驚きはしているものの、さほど恐怖を感じることもなく今に至る。

「そうですね……確かに引き出しは開いてますけど、店のものは盗られてはいないのかしら」

 土間の陳列棚代わりの箪笥には、いつもは商品の在庫を入れている。引き出しが勢いよく開けられたのか、中身が寄ったり倒れたりはしているものの、減っている感じはしない。

「お店の売り上げはどうです?」

「実は、お金はたいした金額じゃあないので全て持ち歩いていて……」

 今この瞬間も、懐の財布の中に全財産があるのだ。

「な、成程……不用心だが今回は幸いしたと」

 その後も、座敷を見ても店と似た様子で、物色した形跡はあるものの、盗まれてはいないのがわかった。

「あとは二階ですが、一階よりさらに物がないのでどうでしょう……」

 飯綱さまと伝太さんを手招いて階段を上がる。

「ああ、ここもそんなには」

 文机の上の父母の位牌は倒れているが、ちゃんとそこにある。着る物を入れている長持が開いていて、しかし中は触れた形跡もなかった。

「本当に、盗られたものはないのですか?」

「そもそも、この家の家財のおおむねは、飯綱さまが借りてくださったお隣に移しております。なので何か盗られたとして気付かないとは思えなくて」

「あ、そうだ。隣は入られてませんよ。旦那さまの術の守りも破られてない」

「伝太さん、見てきてくださったの?」

「電話借りて戻った時にちょっと。近所の人とも話しましたが、このお店の錠前が壊されてるのを朝、履物屋の奥さんが見つけたとか。昨日顕ヲさまが一日留守してたのを気にして見にきてくれたらしいですねぇ」

 ご心配おかけしてしまったかしら。もし昨日の段階で丸一日帰らないとわかっていたら、田島の奥さまには言付けたのだけど。

「顕ヲちゃーん、いいかしら」

 噂をすれば、一階から田島の奥さまの声がする。

「はいはい、只今」

 飯綱さまと伝太さんを残して降りると、土間の入り口に立つ田島の奥さまの後ろに誰かいるのが見えた。

「あら、耶麻井さま!」

 今日も洒落たお召し物でご立派な様子だけど……なんだか、お顔の色が優れないわね?



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る