私は突き動かされる

 行く。コノトちゃん宅へ。


 ……けど、私は、コノトちゃんの自宅を知らなかった。だから、スマホで訊き出すことにした。

 幸いにも私は、連絡先なら知っている。向こうからこれでもかとおねだりされたので、すぐに折れて献上した記憶が、今となってはもう懐かしい。


 放課後。授業を終えると、すぐさま連絡を入れた。

 ……こんな時なのに、しっかり授業を律儀に全部受けるのかよっていうツッコミは、少々勘弁してください。

 あのですね、授業をですね、放り投げ出した後にですね、また元の日常に戻った際のアレコレが、ちょこっとだけ面倒になるかなと思いましたものでして……。

 この前の続きを考えたら、結構冷静に、理知的に判断できてますやんって言われても仕方ないとは思ってるんですけど、それはそうと、私は今もしっかり、ちゃんと怒ってますよ。ぐつぐつと煮え滾っていますよ。


 怒ることと、『平凡』の私を捨てることは同義ではないので、そこは悪しからず。誤解を抱かないように。ここテストに出ます。



 さて、コノトちゃんから返信が返ってくる。気の抜けるような通知音と、端末画面の上側にポップアップウィンドウが表示される。


『教えない』


 教えないか。

 まあここで、いいよ!教えてあげる!来て来て!なテンションの返事が来たら、そっちの方が私は困ってたかも。昨日のアレはなんだったのよ!ってなる、ちょっとしたホラーだよ。

 なので、そういう意味でこれは想定通り。だから。


『教えて』


 引いて駄目なら押す。ぐいぐいと押す。昔は、壊れたテレビは叩いて直していたらしい。先人の方々は根性論を機械にまで適応していたという解釈を私はする。それと比べたら、今の私のこの行動くらい、正常で、普通で、『平凡』だ。


『や』


 これも想定通り。


『行きたいから教えて』


『だめ』


『じゃあ高台で会いたい。この前の土曜日に行ったところ』


 会えるのなら家じゃなくてもいい、場所は問わない。


『会いたい気分じゃない』


『私は会いたい気分』


『それは良子ちゃんの勝手』


『私は良い子ちゃんじゃないからね』


 既読スルー。それなら、私は続ける。


『もし来ないなら今日から世界を滅ぼす為に色んなの企て始めるから、よろしく。私を止められるのはコノトちゃんだけ。使命を背負ったコノトちゃんだけ。私は高台に行ってるから、コノトちゃんが来なくても、待ってるから』



 そんなメッセージだけ押しつけて、私は直帰せず、そのままの足で高台の公園まで向かう。一応、家族には遅くなりそうとだけ、断りの連絡を入れとく。

 この日の小雨はまだ続いてる。だから、走ると道路の溝や窪み、罅割れに生まれた小さな水溜まりから飛散する水飛沫で、ローファーの中がそこそこ濡れる。もう既に、私の靴下は雨水を吸っちゃったもんで、足底の感触はまぁまぁ気持ち悪い。

 おまけに高台に登る道も泥でぐちゃぐちゃだった。やっぱ行くの辞めようかな……十中八九来なさそうだし……と囁く悪魔がいた。悪魔の私、クソ弱そう。なので片手で薙ぎ払って、意地でも進んだ。ただでさえ人がそんないない場所なのに、雨が降ってるとなれば物好きしか来ない。

 登る道、地肌を掠る風、絶え間なく聴こえる雨を弾く傘の音、寒さ、吐息、私の心臓音、それら総てが私を孤独だと揶揄う。こんなことして何の意味があるのか?計画を練って行動すればいいのに、思いつきでやって成功するわけがない。無謀。矮小。愚者。今日はちょっと五月蝿いな、私の中のクソ雑魚悪魔は。私の悪魔はどうせ『平凡』なんだから、『平凡』なことしか言えないんだ。何が恐ろしいものか。まだ私に詰め寄ってきた親衛隊諸君の方が怖かったわ。


 到着した公園は相変わらず詫び寂しい。おまけに、ここから見える景色も、霧状の雨のせいでぼやけて見えるし、色合いもとても心温まるものなんかではない。そんな場所で、私はたった一人で待つ。


 待つ。


 待つ。


 待った。


 さすがに暇すぎると思いスマホを開く。通知がないかを確認。私が送ったメッセージに対しては、コノトちゃんからは返事を送ってない。既読スルーだ。あるのは、家族からの遅くなり過ぎないようにねという定型文だけだ。スタンプで返す、OKと。


 電源ボタンを押し、スリープモードにする。


 待つ。


 待つ。


 ポケットに手を突っ込んで、またスマホを取り出し、画面を見る。通知は無い。


 待つ。


 また見る。

 現代っ子の悪い癖。一回確認したスマホの内容を、ほんの少ししか時間を置いていないのにまた再確認したくなる。みんなみんなスマホ依存症なのだ。この私も。でも手に馴染むこの形が悪い。手放すと一気に、手持ち無沙汰になる。


 はあ。

 白い吐息が大気に溶け込んで消えていく。

 来ぬ人をまつほの浦の夕なぎに 焼くや藻塩の身もこがれつつ。

 ……いや、こう書くと私が想い人を待ってるみたいになるじゃんっ!コノトちゃんに対する気持ちは、そういうアレじゃないし!



「狡いよ、良子ちゃん」



 休題を勤しんでいる中、強制終了される鶴の一声が耳に届いた。

 私は体を横へ動かす。


「来てくれたね。ご足労おかけして申し訳ないよ、ありがとうね、コノトちゃん」


「お礼なんて言われたって、嬉しくともなんともないもん。あんなこと言われたら、私……来ちゃうよ」


「私を『憎悪』しているから?」


「…………」


「あのメッセージ送った理由、そこらへんのことが訊きたかったんだ。もっともっと他にも、色々とね。あ、でもコノトちゃんの『未来』についてとか、『使命』についてとか、そういう『非凡』な事柄に関してはあんまり訊くつもりは無いよ。別に訊かされたところで、私にできることなんてさ」


 一歩、私は近づく。


「─────コノトちゃんに殺されるか、殺されないか、その二択だけ。そうだよね」


「………………」


 やってきたコノトちゃんは、傘を差していなかったものだから、私の傘に入れてあげる。このままじゃ、流石に風邪を引いてしまうだろう。かの完璧超人であっても、人間は人間のはずだ、風邪菌に負けることだってあるんじゃない……かな……?だよね……?まぁ、仮に負けなくても、コノトちゃんの綺麗な、ウェーブがかったブラウンのロングヘアが雨水に濡らされているのをただ眺めるだけでいるのは、普通に気持ちが悪いから、これでいい。


 当のコノトちゃんはというと、今にも泣きだしそうなほど、顔をくしゃりと歪ませていた、僅かに顔を俯かせていた、唇を軽く巻き込んで噛みしめていた。


「……良子ちゃん、は……殺されたいの……?」


 おずおずとコノトちゃんは訊いた。


「ううん、幸いにもまだ私の身体はアポトーシスで満たされていないようだし、健康そのものだし、『未来』に何かしらの『希望』を抱いていてここで死ぬのはまだ早いだとかそういうわけではないけど、『普通』に、『当然』に、生きたいって思ってるよ」


「……何、それ、全然わかんないよ!死にたくないのに、私の前にこんな、堂々と現れるだなんて……それに、私を呼んだ理由も、他にもあるんでしょ!?『銃』を返す為でしょ!?私、まだ受け取りたくなんかないよ……!」


 コノトちゃんの瞳に、じんわりと涙が溢れ始める。悲痛な叫びだった。


「まだ『銃』の話は早いよ、コノトちゃん。私は、その段階まで行かない。足りないから、全然。コノトちゃんが私のことを分からないように、私にとっても、コノトちゃんが今何を考えて、何を目的に行動してて、最終的にどんな自分になろうとしているのかが分からないから。だから、進路希望調査だよ」


 コノトちゃんは沈黙し、眉を顰めながら、私を睨むように、じっと見る。コノトちゃんにこういう目を向けられるのは、初めてだ。そんな目で見られるとまるで、『世界』にとっての『敵』にでもされた気分になる。正義の総てがコノトちゃんにあり、その真逆にあるのがこの私、といったような錯覚すら覚える。そう植え付けられそうになる。まぁ、実際のところコノトちゃんの話によれば、『未来』の私はそういう立場らしいので、今そうなっているのも強ち間違っていないような気もするけど、でもやっぱり『今』の私は、『今』の私なので、『未来』の私だとか、そういう『非凡』なことは関係ないですね。


「目的は……話した、でしょ……私は……良子ちゃんを暗殺する為だけに……」


「そっちじゃないよ。そういうことじゃない。私が知りたいのは、世界を救うだとか、私を暗殺しなければならないとか、そういう理由があったのに、どうして今の今まで殺さなかったのか。ああ、まぁそこは……私に惚れてるからで、全然もう予想はできそうなものだけど、でもコノトちゃんの口から伝えることに意味があるし、あとは……その先。そういう、殺せない理由があった上で、どうして『真実』なんてものを私に話したのか?もしコノトちゃんが話した『真実』っていうのが本当のことなのだとしても、そうじゃなくても、『着地点』が分からないんだ。結局のところ私視点では、そこが全然分かんない。どこを目指してコノトちゃんは私に色んなことを伝えたのか、どうなりたいのか、このままお互いにモヤモヤさせた状態にすることそのものが目的なのか?夏休みの宿題を最終日まで白紙のままにしているだけなのか、それならどうするつもりなのか、私は、コノトちゃんの口から説明してほしい」


 オブラートになんて包み込んで伝えることはしない。ていうか私は、そんな器用なことはできない。もう、ズバッと訊いてやるって決めたんだから、私はそうする。


「そん、なの……」


 コノトちゃんの震える声。


「そんなのっ……!私も、わかんないよ……!全然わかんないよ!私だって、自分が何をしているのか、よくわかってないんだもん!私は……私は!『組織人』だから……!『組織』の人間だから……!!だから、だから!『組織』のルールに従うことこそが、私の総てで……私の生き方で!ずっとそうしてきたのに!突然、急に、おかしなことを始めるんだもん……!突然変異を疑って、自分の細胞組織を調べたのに、特殊な結果は得られなかったし!薬物とか幻覚とかを疑って何度も『対応策』を講じたけど、それでもやっぱり異変は無いって結果が得られるだけだったし……!私は!良子ちゃんを殺さなくちゃいけないのに!殺したくないって、思ってる自分がいて……!そんな自分が、自分のことなのに……!!何者なのかがわかんなくて!どうしたら、いいのか……わかんないよう……!わかんない!わかんないよ!良子ちゃん!助けてよ……!!お願い!何か私に変なことをしてるなら、解いてよ!洗脳も、改変も、全部全部解いてよお!!!」


「そんなの……」


 ……私は、『平凡』代表として、彼女の言葉を払おうとした。

 そんなの知らないよ、私のせいにしないでよって、伝えようとしたのに。


 ……喉で、引っかかる。つっかえる。出てこない。私の、言葉が。抵抗を、している。私の脳が、心が。出すんじゃないって。


「……そんなの……」


 ……胸が、いきなり苦しみ始めた。

 なんなんだよ、これ。

 ……切ないって、こういうことを言うの?

 嘘だ。私にそういう感情が出てくるなんて、突拍子も無さすぎる。

 私は、『恋』だとか、『愛』だとか、そんなものとは程遠い『平凡』な人間なのに。


 ─────どうしようもなく、『痛い』。


「………………」


 黙してしまう。


 ……五月蠅い。この雨の音が、今はなんだかすごく五月蠅い。集中をさせろ。

 イライラしそう、してきた。


 ……。


 ……なんか……私は、ここからコノトちゃんに『どうしたいか』を訊くのが、億劫になってきた。嫌になってきた。

 さっきは地雷なんて踏んで上等だろ、破壊しまくってやるって意気込んだくせに、このザマだ。

 私は、もう慙愧に堪えない。忸怩たる思いだ。

 私は、私は、ああ、そうか。そうだ。




 コノトちゃんを傷つけて、ショックを受けてる。




 ばっかみたい。



 私は、沈痛。コノトちゃんは大泣き。


 ああ、クソ……。



「……ねぇっ」


 コノトちゃんが、涙混じりに私を見つめる。もう、睨んでいるそれじゃない。

 ……縋っている。そんな瞳。


「ねぇ、良子ちゃん」


「………………」


「……私、さ……もう…………いい、かな、て」


 ……いい、って、何がだよ。


「もう、いいんじゃ……ないかな……って」


 だから、何が……。



「ねぇ……良子ちゃん」


 だから、何。



 コノトちゃんは、泣きながら微笑んだ。気丈に、という表現がきっと、正しい、か?

 いや……これは……。




「─────私を、撃って……殺して」

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