『私』は

 今の良子ちゃんがいる時代から、44年後の先。

 今の私がいるこの時代の風景と、あまり見た目の変化はさほど無い世界。


 世界自体の外観は、見映えはそう変わらずとも、それでも、内側に宿されている技術、世界のシステムは飛躍的に進歩した。

 蔓延る数々の問題も、完全解消はされずとも、一部は回復傾向へと向かい、中には完全クローズしたものもある。

 たとえば、人手不足。たとえば、食糧難。たとえば、エネルギー問題。枚挙に遑がない。

 このように、人類の頭脳によって『できること』は、確実に増えていた。

 明るい未来と言える。

 もう、過去へ戻りたいと願う者はいない。

 『今』の時代、スマホという携帯機器の存在しない生活を考えることができないのと、全く同じように。


 聴こえの良いことばかり羅列されているが、大きな問題が一つだけ、たった一つだけ、生じていた。



 それは、『死人』の増加。



 交通整備は『完成』し、乗り物による事故は空想で描かれるものと成り果てたはずなのに。

 医学も進歩し、一部の不治の病や、致死の病は完全に治療可能となったはずなのに。

 薬によって自殺因子は別因子へと転換可能となり、生命を自ら断つ個体は激減したはずなのに。


 『生命』は、淡々と『何かしら』によって奪われていった。


 原因は─────一切合切、『不明』。




 ─────発展した技術は、人の予測の範疇を越していたのだろう。当初の分析は、そういったものであった。飛躍故の、複雑化。カオス。ブラックボックス化。シンギュラリティ。


 現に、意味も無く、解析も不能に、人は次々に死んでいった。その死は、決して自然の摂理と呼べるものではなかった。『固形』による因果であれば、まだ対策は練ることができた。回避策なら、いくらでも作ることはできるだろう。人類の手元には、積み重ねてきた『技術』と『知識』というツールがあるのだから。


 しかし……見えないなら、聴こえないなら、触れないなら、全くの別だ。

 傾向も、何もかもが分からない。統計学によって得られるデータは、疎ら。神出鬼没。




 それが、私の生まれた世界。世界の孕む問題。


 私が、バイオテクノロジーによって『実波美 来乃人』という人工生命体として生まれた、全世界保全機関の諜報員として生きた世界の話。


 全世界保全機関は、この不可解な死を調査、および解決すべく設立された国際組織の名だ。

 本件の解決優先度は『最高』に位置する。事態の好転の為であれば、いかなる手段をも特例として認められた。各国が参加表明を示し、人類一丸となった。

 総ては、『世界平和』の名目の下。


 たとえ、その手段の過程に、『生命』の剥奪が前提として存在したとしても。

 法も、道徳も、倫理も、人の理、自然の摂理、総てを踏み倒すことを許された。咎める者はいなかった。必要経費としての処理と見做された。


 その過程の成果物が、私。実波美 来乃人。

 私は、人間の『品種改良』によって造られた人造人間だ。万事に即座対応可とすべく、人体に設定されたリミッターの幾つかが解除されている。

 もし一晩で高層ビルを壊せという命令があれば、単身で、素手で実行完了できる。

 処世術に関しても、多くの知識を埋め込まれた。教育ではない、文字通り、脳に電極を刺し込み、電気刺激を与えることでニューロンを操作し、擬似的かつ実用的な記憶を形成されている。

 全世界保全機関は私のことを『代理人』と呼んでいる。


 他にも私のような個体、『代理人』は何体も存在し、稼働している。

 たとえば、『常識』の裏を覗き込むようなこと。既に検証されている事象の、再検証。コロンブスの卵の再現。固定観念の分析と、解明。そして、創出。全数テストの完全化。


 それらを『組織』で実行した。


 それでも、解決に至る道は、遅々としていた。

 不可解な死は止まることを知らない。『代理人』の同僚も、上官もまた、不可解な死を遂げていった。

 しかし、手も足も止める理由は存在しない。続けなければ新陳代謝が滞る。常にPTSDし、次は次へと繋げていった。実行の限りを尽くした。可能性を飽きるまで食い、飽きてもなお食した。幾多の屍の山を築き上げながらも、その屍で埋立地を作り上げ、塔とし、天へと登る勢いで。




 ある日、人類は意表を突かれた。




 国際テロリストの単身台頭と、そして、その声明文だ。

 その声は全世界の電波へと乗り、人々の記憶の奥まで届けられた。




 「この世界を、『普通』にする」




 皴の深い、鷲のように鋭い双眸を宿す中年女性による宣言だった。



 その女は、浅川 良子と名乗った。


 経歴の一切が、不明。既に欠片一つ残さずに、消去されていた。それも、『念入り』にだ。故に、組織は時間軸干渉による調査に踏み切るも、成果は現れず、対処は依然として遅れ、受け身を選ばされ続けた。



 彼女の言葉。『普通』にする。


 その意図は、すぐに判明することとなる。


 確かに、世界は『普通』へと成り果て始めた。




 不可解な死が、加速化した。


 人も、人の生み出した文化も、人の作り出した叡智も、何もかもが、『死』へと急速した。


 増大するエントロピー。


 いや、爆増するエントロピーという表現が正しいのだろう。


 総てが、『無』へと還されていく。


 固まっていたものが、散り散りになっていく。『自然』な状態へと、変わっていく。果てていく。元来、物質はバラけている状態こそが『普通』の在り方であり、この世界でも、宇宙でも、『今』でもゆっくりと、その到達点へと向かっていっている。

 それを彼女は早送りした。

 それが、彼女のテロ活動。

 エントロピーテロだ。



 やがて、組織は理解をする。


 これまでの不可解な死は総て、検証実験に過ぎなかったのだと。そして、サンプルはもう、集め終えたのだろう。検証が完了すれば、残すは『展開』あるのみ。

 かのテロリスト、浅川はそれをただ、忠実に実行した。


 組織は対処が、遅すぎたのだ。

 手を打つべきタイミングは一寸も無くとも、打たなければならなかった。


 しかし、諦めるのは早計。

 いかなる方法も、下らないものとして棄却することはない。


 そうして、『代理人』が他時間へと放たれることとなる。予め作成した掟など無かったことにするように。

 タイムパラドクスを恐れる段階には、もういない。むしろ、タイムパラドクスを複数回起こさなければ対処は厳しいまであるのかもしれない。

 巨大な蝶の群れによって、バタフライエフェクトを起こす為。

 全世界保全機関の使命を果たす為。

 『世界平和』の為。



 全時間軸における、浅川 良子の捜索、および暗殺命令が、下される。



 他の時間軸がどうなっているのかは、『今』では観測不能。

 ただ私は、任務を果たさなければならない。

 そうしなければ、ならなかった。

 私がやるのは、たったそれだけ。

 他を考える必要は、無い。


「………………」


 そうして私は、『今』に来た。それが経緯。


「……対象を見つけ、照準を定め、引き金を引く。シンプルな任務ね」


 手元の『銃』を見つめながら、そう呟く。


 それにしても、場当たりな仕事だと溜息が出ざるを得ない。浅川 良子なる人物の情報も、声明文の際のあの顔くらいしか無いのだから、難しいものだ。

 逆探知対策が施されていたのはまだ理解できるにしても、家族構成も、交友関係も不明というのがどうにも、得体が知れないが……。

 ただ……推定日本人であるが為に、この日本から調査を始めるというスタート地点があるのだけは助かる。

 地球全体を探せでも、まだ助かる。これが宇宙全域からの始点であれば、流石に途方も無い。

 潜入任務のイロハなら、既にマニュアルはインストール済み。あらゆる状況においても、ごく自然な対処が可能だ。


「この年数まで過去に遡ったことは無いけども、ここが……日本なのね」


 吹かれる涼風に、緩く撒かれた茶のロングヘアがたなびかれる。感傷的という程の気持ちではないにせよ、ノスタルジーの一種は抱く。

 在りし日の日本。『終わり』が訪れるとは、誰もが思ってもいなかったであろう頃。

 沈みゆく夕日すらも、そこに在るというだけで、大きな『価値』を感じる。


 この手に、総ての『生命』が掛かっている。

 『未来』が掛かっている。

 大義が、この身体を動かす燃料であり、核である。

 この生き方に疑問を抱くことなど無い。あればそれは背信行為に他ならない。

 真っ直ぐな、純粋な『正しさ』が、私。


 そして、『正しさ』を阻害するもの総てを、『憎悪』する。


 人々の命や、星の神秘を壊し尽くすからこその怨みではない。

 私の『正しさ』を妨げることにこそ、『憎悪』を抱く。


 私を、奪わないでほしい。


「浅川 良子……」


 怨敵を口にする。


 脳に刷り込み、叩き込む。既にインプットは実行済みだが、さらに上書きを実行する。


 彼女さえいなければ、いなくなれば、私の『正しさ』は失われることがない。


 私は、浅川 良子を『憎悪』する。



 一体彼女は、若かりし頃はどんな容姿をしているのだろうか。テロ活動宣誓の際の顔立ちを、そのまま若くした姿で合っているのだろうか。あの用意周到さだ、顔面に、身体に細工を施し、元の浅川 良子とは全く異なる人物となっている可能性だって、存在する。あらゆる可能性を考慮に入れる。

 『浅川 良子』という名前すら、偽名の可能性はある。むしろその方が確率として高い。実名によるテロ活動など行えば、足は着いて当然なのだから、そんなリスクを伴う人間は、よほど相応の力があるか、義侠心に突き動かされているか、気でも狂ってないと無理だ、無謀だ。勿論、変えていないというケースを棄却するには、楽天的過ぎる。全世界保全機関の活動は、全ケース検証することを是とする。喩えそれが、那由他の時間を要する行為だとしても。裏付けが存在したとしても。児戯の世迷言だとしても、『可能性』がそこにあるのならば、必ず触れる。それも一度だけではない、数度、数十度、数百度と、だ。


 想定は引き続き実行を続ける。『完了』は存在しない。同じことを明日もマルチタスクで行う。

 そして、同時並行で情報を仕入れる。小さなものも、大きなものも、分け隔てることなく。


「浅川 良子、浅川 良子、浅川 良子、浅川 良子、浅川 良子……」


 ぶつぶつと呟く。一先ずはフィールドワーク。この辺りの全域を目で、耳で、手で、味で、総ての情報で以って仕入れなければ─────。




「はい?なんですか?」




「─────ひゃあっ!?」




 私は、『銃』で撃たれた。

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