第2話 東国の少女
あかりは、わたしと目が合うとニコっとした。
綺麗な人だなぁ。
それがわたしの第一印象だった。
彼女は続ける。
「あなたの名前は?」
「わたしはイヴリン•ダージリン」
あかりは前のめりになって、わたしの顔を覗き込んだ。
「金色の髪に、青い瞳。イヴちゃん美形だね」
褒められたのは嬉しいが、わたしは今、それどころじゃない。
「あなた……あかりさん、わたしと一緒に行ってくれるの?」
「いいよ。あそこの森の魔物くらいなら、わたしでも大丈夫」
わたしは中腰になり、不安そうに座り込むナルさんの手を握った。
「ナルさん。ノルンちゃん探しは、わたしが行きます」
ナルさんは、わたしを気遣うような仕草をした。だが、アカリを見ると、口元に力を入れ、ためらいながらこう言った。
「イヴちゃん。くれぐれも気をつけてね。2人とも、お願いします……」
ナルさんは、星形のブローチを握りしめていた。ノルンちゃんにもらったものなのだろうか。
わたしは、あかりの方を向いた。
「じゃあ、森にいきましょうか」
すると、あかりは首を横に振った。
あかりが言うには、森に探しに行くにしても、やみくもに探すのではなく、当たりが欲しいとのことだった。
あかりは明るい性格で、ここまできた経緯を話してくれた。
「あかりちゃんは、落星の民なの?」
「うーん。そうなんだけど、その言い方は好きじゃないな。だって、天から降ってきた厄災みたいじゃない?」
いやぁ。
噂通りなら、そのまんまだと思うんですが……。
あかりは、後ろ歩きしながら続けた。
「わたしたち、実は他の世界から来たんだ。だから、天から降ってきた訳じゃないんだよ」
「え。それってどういう? っていうか、あかりちゃん。前を見ないとあぶな……」
ドンッ
あかりは何かにぶつかった。
それは、ここらでは見かけない顔の冒険者達だった。
真ん中の大男は、腕が丸太のように太く、頭頂部だけ残して剃り上げたような髪型をしている。後ろの2人は下品に笑っていた。
男はあかりを見下ろすと、舌なめずりして言った。
「おい。どこみて歩いて……って、上玉だな。おい、おまえら、今夜は楽しめそうだぞ」
後ろの2人は、ますます品のない顔になった。
あかりは、笑顔になるとお尻のあたりをパンパンと叩いた。
「ごめんなさーい。おにいさん。ちょっと教えて欲しいことがあるの」
すると、突然、誰かが、わたしのお尻と胸を鷲掴みにした。首元には冷たい感触がして、刃物を当てられているのが分かった。
さっきの2人の男達だった。いつの間にか、わたしの背後に回り込んだらしい。
「ひゃんっ」
わたしは思わず、変な声を出してしまった。
あかりは、わたしの胸とお尻と、刃物を順に見ると、顔色を変えた。
目は吊り上がり、さっきまでの美少女の雰囲気はない。眼光鋭い暗殺者のような顔だった。
あかりは声のトーンを下げていった。
「おい。手を離せ。イヴは私の物だ」
え。
わたしの物って。
あかりが言っていた他の世界って、もしかして……。そっちの世界の人?
わたし、初めては男の子がいいのだけれど……って、そんな話をしてる場合じゃないか。
あかりは、黒真珠のネックレスのようなものを取り出すと、右手を前に出し何かを唱え始めた。
「奉願 観世音菩薩、魂の音を以て、罪の
すると、ドスンと音がして、わたしの後ろに居た男達が無言で倒れた。
あかりは、短刀を抜くと、大男の喉元に突き上げるように当てる。
「アンタ。ノルンって子見なかった?」
大男は冷や汗を流しながら言った。
「あ、あのガキなら。森の方に行ったぜ。なんでも、薬草がどうとか」
すると、あかりはまた笑顔に戻った。
「ありがと。おにーさん。それで夜の相手がなんだって?」
「なんでもないっす……」
男は糸が切れた凧のように、その場にへたり込んだ。
あかりは、わたしの手を握ると、森に向かって歩き出した。さっきまでの怖い顔が嘘のような、可愛い顔に戻った。
「薬草だって。場所を絞り込めたね!!」
「ねぇ。あの人たち、死んじゃったの?」
あかりは舌を出した。
「殺してないよぅ。わたし、一応、神職だし。あの人達は、目覚めたら悪心が抜けて、良い人になるよ」
それって、洗脳なんじゃ。
それに、あの強さ……。
落星の民 やっぱりこえぇ。
ついでに、もう一つの気掛かりも聞いておこう。
「あの。さっき、イヴは私のみたいなこと言ってたけれど、それどういう……」
すると、あかりは上唇をペロッと舐めた。
私のウエストのあたりを掴んでグイッと上に持ち上げる。
「ん。言葉通りだよ。手付ってことで、キスしとく?」
「し、し、しないから……」
「ざーんねん。イヴちゃんが可愛いから、からかっちゃっただけだよ。わたし、魂の色が見えるんだ。イヴちゃん。良い色してる。ね。ほんとは、最後に言うつもりだったんだけど、わたしと旅をしない?」
この人は何を言っているんだろう。
わたしは、スキル協会への斡旋もしてもらえないような役立たずで……。そんなわたしと旅をしたいって、なんのメリットが。
わたしは、貞操の危機を感じて半歩下がった。
「も、も、もしかして。わたしの身体が目的ですか?」
すると、あかりは文字通りお腹を抱えて爆笑した。
「イヴちゃんって、もしかして、自意識過剰系?」
わたしは、自分の顔が真っ赤になっているのを感じた。そりゃあ、リンちゃんも、ナオくんも可愛いっていってくれるし、多少の自信はあるけれど。
「別に違います……」
「あのね。わたしが言ってるのは……」
そこまで言って、あかりは言葉を止めた。
気づけば、すっかり森の中で、あたりは薄暗い。
その木立の向こう側を、大きな何かが横切った。あかりは短剣を構えて、前傾姿勢をとる。
空気がピリッと張り詰めた。
あかりは眉をひそめて言った。
「この辺りで、こんなのが出るって聞いてないんだけど……」
「わたしは何をすれば……」
「何もしなくていい。自分のことだけ守って」
木立の間から出てきた獣を見て、わたしは息が止まりそうになった。
それは、3メトラはありそうな大きな狼だった。狼は鼻筋に皺を寄せて、真っ赤に充血した瞳で私を睨みつけている。
大きく裂けた口からは、唾液を垂れ流している。
狼は呻き声をあげると、なぜか、あかりではなく、わたしに飛びかかってきた。
次の瞬間、獣はわたしの目の前にいた。
牙を剥き、今にもわたしの
わたしは、腰が抜けてしまい動けなかった。
わたし、ここで死ぬんだ。
何にもできずに。
何のために生まれたのかも分からずに。
こんな薄暗い森の中で死ぬんだ。
そう思ったら、とても悲しくなった。
わたしは、目を瞑って歯を食いしばった。
ガキンッ!!
……。
あれ?
わたしは、自分の顔に何かがかかって目を開けた。それは、真っ赤な液体。血飛沫だった。
目の前には、あかりが立ちはだかっていた。
左腕を狼に咬まれている。右手の短刀は、狼の左頬に突き立てられていたが、刃が通らなかったようだ。
狼はそのまま顔を左右に大きく振ると、あかりを左側に投げ飛ばした。あかりは、そのまま木に背中から打ち付けられて、呻き声をあげると、地面に落ちた。
狼の口には、食いちぎられたアカリの左腕が咥えられていた。
狼はボンッと腕を地面に捨てると、ギロリとこちらを見た。
……次はわたしの番だ。
わたしはその場から動けなくて、震えて、自分の歯と歯がガチガチと音を鳴らしているのを、ただ聞いていることしかできなかった。
「バケモノが。イヴから離れろ」
声の方を向くとあかりだった。
左肩から血を流しながら、ユラリと立っていた。足元に力はなかったが、あの巨漢と対峙した時のように、殺意に満ちた仄暗い目をしていた。
あかりは、小刀をもった右手で何かを空書すると、普段より一段低いトーンで詠唱しながらこちらに走ってくる。
「……願い奉る 三帰五戒を課されし夜叉神の娘よ 我が法力を喰らいて、調伏の毒刺となれ」
あかりの口にした言葉が、黒い文字になって流れ出して、あかりの周りを覆った。
文字たちは、あかりの短刀に流れ込む。
すると、刃が黒炎を纏った。
あかりは、右手を大きく振りかぶり、逆手でもった短刀を狼の顔面目掛けて切りつけた。
しかし、鈍い金属音がして、あかりの刃は弾かれた。
狼が左爪であかりを切り裂こうとする。
だが、あかりは弾かれた勢いで身体を反転していて、狼の爪は空を切った。
あかりは、反動を利用して、鳥が羽ばたくような動きで、背中側から狼の喉元に短刀を突き刺した。
直後、あかりの短刀の黒炎が狼に流れ込んだ。
狼は白目を剥き、ドスンという大きな音を立てて、呻きながら倒れた。
「よ……かった。イヴ。無事?」
あかりはそういうと、フラフラとわたしの前に倒れた。装束は血だらけで、きっと身体の血のほとんどが流れ出てしまったのではないか。
顔面は蒼白で、息も浅い。
わたしは、何故かは分からない。
だが、さっき会ったばかりのこの少女を失いたくないと思った。
まるで、長年の親友を失うかのように悲しかった。
だけれど、わたしには何もできない。
なんで、わたしは。
こんなに役立たずなのだろう。
目の前で息絶えようとしているこの子に、なにもしてあげることができない。
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