ちょっとサイコなイジメられっ子はアポカリプスな世界で『狂った悪魔』と呼ばれる

第001話 20XX年正月、地球は……

　正月の昼下がり、僕は庭で金属バットを振り続けていた。

　ひと振り、そしてまたひと振り。空気を切る音が響くだけの静かな時間。

　新年早々素振りとか野球部の鏡？

　残念ながら僕は野球部じゃないし、バットのスイングも横じゃなく縦だったりするんだけどさ。

　どうして縦なのか？　……話せば長くて暗い話になるけどいいの？

　まぁ一行で理由だけ言うなら……僕が小学校の高学年から中学にかけてイジメのターゲットにされていたから。

　イジメられていた要因なんて些細なことだ。

　背が低い、太っている、無表情、成績が良い、女みたいな名前。彼らにはそれだけで十分だった。

　僕の外見内面態度全部ひっくるめ、彼らにとっては「目障り」とイジメるには十分な動機だったらしい。

　とくに主犯格の赤城の性格は執念深く、そして執拗だった。

　授業中に物を投げられるなんてのは序の口で、弁当をゴミ箱に捨てられたり体育の授業で集団で押し倒されたりもした。

　教師に相談？　もちろんしたが……無駄だったにきまってるじゃん。

「原因はお前にもある」

　担任が言うにはクラスのムードメーカー的な赤木たちと比べ、何もしない僕みたいな陰キャはイジメられても仕方のない人間だったらしい。

　それじゃあ親に相談？　する気にもなれなかった。

　うちは母子家庭だったんだけど、再婚相手の親子、おじさんと僕と同級生のその娘が家に来てからは家の中ですら僕の居場所は無かったんだからさ。

　外面だけは良いそいつら。おじさんの機嫌次第で僕の食事を抜くなんて日常茶飯事。

　職場で気に入らないこと――自分より若い上司に注意でもされた日には理不尽な暴力を振るわれることも。

　まぁ再婚相手の子供、それも息子だからね？　……もしこれが娘だったら何をされていたことやら。

　今日だって両親と義妹は揃って親戚にあいさつ回り、僕は一人で留守番しながら素振り中ってわけだ。

　そんな環境で暮らしてた僕。頼る人間がいない子供って……どうなると思う？

　絶望して引きこもる？　それとも世を儚んで……自殺を選ぶ？

　幸いなことに（残念なことに？）僕はイジメられっ子にしては少し精神的に強かったらしい。

　身長が低くてイジメられる？

　ならば毎日牛乳を二リットル飲もう。

　太っているからイジメられる？

　ならば毎日朝晩ランニングをしよう。

　力が弱いからイジメられる？

　ならば毎日木刀……はないから金属バットで素振りをしよう。

　性格が暗いからイジメられる？

　……うん、これは変えようが無いか……。

『赤城の頭を叩き割る。

　あわよくば義父の頭も叩き割る』

　そればかりを夢見て毎日毎日汗だくで金属バットを振り続けた日々。

『でも……犯罪者にはなりたくないんだよなぁ……』

　そんなもやもやしていた僕の心にある夏の日陽が差した。

　おそらくキャンプそれともバーベキューでもするためであろう。

　ホームセンターでゲラゲラと楽しそうに笑いながらナイフを買う連中を見つけたのである。

『刃物を持ってる相手にイジメられ、身の危険を感じてついつい……』

　良し！　過剰防衛ってことで連中を○そう！

　それからは登校中、そして放課後と先回りするようにあいつらの前に現れる僕。

　……もちろん金属バットを持って。

　その時の僕はあいつらの頭を殴りつける自分を想像して、ついつい笑顔になってしまっていたことだろう。

　もちろん！　目的を見つけた僕はいつか訪れるその日のため、今までにもまして訓練に励んだ。

　……なのに、覚悟したその日から中学の卒業まで奴らが僕に絡んでくることは一度もなかった。

　むしろ親を同伴して僕の家に訪れ、それまでのことを土下座して謝られた。

　どうかこれ以上は追い詰めないでくれ、命だけは助けてくれと涙ながらに懇願された。

　えっ？　イジメられてたの……僕だよね？　ちょっと何を言ってるのかわからないんだけど……。

　イジメのなくなった日々。……とうしてか、イジメだけでなく友人もなくなっていたが。

　それでも、今もこうして毎日バットを振り続ける僕。

　あいつらの頭を叩き潰す。そんな妄想を繰り広げるだけで僕の脳内をアドレナリンが駆け巡る――。

　まぁそんな、ちょっとだけ仄暗い過去がある僕なのであるが。

　今日も今日とてバットの素振り。

　盆暮れ正月？　そんなの関係ないんだよ。

　……だって、もしもこの素振りを止めてしまったらまたイジメが始まるかもしれないんだからさ。　

　いつも通り、バットが風を切る音が庭に気持ちよく響く。

　そんな中楽しい時間を嘲るかのように、どこか遠くから異音――悲鳴のような叫び声が聞こえた気がした。

　というかした。

「……なんか妙に切迫した感じの声だな？　まぁ、どうでもいけど」

　だって、どうせ酔っ払った頭の悪い連中（つまり赤城みたいな奴）が騒いで喧嘩でもしてるだけだろうから。

　それで他人が怪我をしようが……他人だけでなく両親たちだってどうでもいい。

　あいつらの言い分では『すべては自己責任』らしいからね？

　うん、自分のことながらちょっとアレな人間だな僕。

　もしかしてらそのうち某中二病SSみたいなことを言い出してしまうかもしれない。好きな歴史上の有名人は織田信長だし。

　いや、信長って基本的に『普段は』いい人なんだよ？　例えるならDV系彼氏。

　てか声というか騒ぎがどんどん大きくなってきてないかこれ？

　間違いなくこっちに近づいてきてるよね？

　さすがにちょっと気になるんだけど。

　ブロック塀越しに庭から国道の方を覗き見る。

「……うん、別にこれと言って何も変わったことは」

　『何もない』と言おうとした時、それはいきなり起こった。

「ギャッ！」

　向かいの家のBBA……松山さんが何かに襲われたのである。

『緑色にぬらりと光る、犬のようなそして猿のような化け物』

　それがおばさんに飛びかかり――次の瞬間、血しぶきが宙を舞った。

「ケケッ！　クケケケッ！」

「ギャッ！？」

　おばさんに馬乗りになったそれ。

　全身が緑色で、湿ったような光沢のある肌。

　突き出た鼻先は鳥の嘴のように鋭く、おばさんを掴むヒョロ長い指の間には膜が張っている。

　丸い目がギョロつき、不気味に笑うようなそいつの表情が僕の脳裏に焼き付く。

「……何だ、あれ？　河童？」

　えっ？　隣人がいきなり『UMA（未確認生命体）』に襲われるとか……何だこれ？

　それもゾンビとかグールじゃなくて河童？　……河童？！？！

　あまりの意味の理解らなさに頭が追いつかずフリーズする僕。

　目の前ではそいつに跨がられ、押さえつけられた松山さんがジタバタと暴れるが……あっ、今度は喉元に食いつかれた。

　耳障りな悲鳴がそれで止み、濃厚な血の匂いが風に乗ってこちらまで漂ってくる。

「……何だこれ」

　リアリティのかけらもない、妖怪が隣人をむさぼり食うというその異常な映像。

　道の向こうから、さらにもう二匹――いや三匹の河童が現れ、松山さんの体……死体に飛びつきその体を貪り喰らう。

「……あっ」

　……そんな地獄絵図のような、現実味の無い現実を見つめていた僕と、その中の一匹の目が合った。

　そいつはニヤリと口を歪め、ヒョロ長い手足を曲げて力を貯めたかと思うと――

「どんな跳躍力してんだよ河童っ！？」

　三メートル以上も跳び上がり、うちの庭に飛び込んできた！

　……でも、僕の体は反射的に動いた。

　塀を飛び越えた河童が着地する――その瞬間、僕は両腕に力を込め、まるでそれが当たり前のことのように自然と、バットでそれを殴りつけていた。

　振り下ろしたバットは鈍い音を立てて河童の頭に直撃する。

　手のひらに響く振動と骨に伝わる鈍い痛み。

　バットを滑らせるヌルリとしたそいつの皮膚の感触が嫌悪感を誘うが気にしている暇はなかった。

「グギャッ！？」

　まさか狩る相手に反撃されるとは予想もしていなかったのだろう。

　そいつは驚きと痛みから声をあげて数回バウンドしながら庭を転がった。

　その場で立ち上がろうとする河童。

　……どうやらまだ息はあるみたいだ。でも、僕は躊躇なんてしない。

　だって、これまで何度も赤城を殴る自分を想像してきたのだから。

　次に何かしてくるようならあいつを――本当にやつを殴り殺してやると心に決めていたのだから。

　だから、襲いかかってくる河童……人間ですら無い化け物を殴ることに躊躇なんてするわけがない。

　バットを振り下ろし、その頭を何度も叩きつける。

　バットを振り下ろすたびに、脳裏に赤城の顔が浮かんで来る。

　もちろん、こんな化け物を殴るのとあいつらを殴るのは同じじゃない。

　そう思う一方で……抑えきれない興奮が胸を駆け抜けていく。

　ぐちゃりとした音とともに、河童の動きが止まった。

　侵入者を退治したというちょっとした安堵。でもその瞬間――

「クギャアッ！！」

　断末魔をあげた仲間の声を聞きつけたのか、松山さんを喰っていた残りの河童たちまでこちらに向かってきた。

「……マジかよ」

　僕はバットを握り直した。

　まったく、正月早々こんな事態になるなんて誰が想像できた？

　なんかもう……いろいろと最低だな。

　そう、最低なはずなのに……何故か広角を上げ、他の人に見せられない歪んだ笑顔で笑い声を上げる僕。

　……それから数分後。

　庭で座り込み、ハァハァと息を切らす。

「キツイ……マジキッツイ……

　これからはもっとランニングの距離を伸ばしてスタミナも増やさなきゃな……」

　一体自分は何を目指してるのかと思わなくもないが……気にしてはいけない。

　そんなへたり込んだ僕から少し離れたところには松山さんを食い殺し、僕に襲いかかってきた河童たち――合計四体の死骸が転がっている……はずだった。

「いや、死体どこいった！？」

　地面に倒れ込み、ほんの少し目を離した間に死体がまるで煙のように消え失せていた。

　庭に飛び散っていた青い血も、僕のジャージについたやつらの体液の痕跡すら跡形もなく消えている。

　そしてその代わりと言うべきか、地面に転がっているのは――

「……なんだあれ？　ビー玉？

　もしも宝石だったら大金持ちなんだけど」

　それは赤く透き通り、光を反射して妖しく輝く玉だった。

　僕は立ち上がり、足先でそれにツンと触れてみようとするも、

『ウーーーーーウーーーーーウーーーーー』

　不意に街中に響き渡った大きなサイレンの音に驚き、

『パキッ』

　ビクッとした僕は思わずその玉を踏み潰してしまう。

　足裏から伝わるのは思ったよりも柔らかい、卵の殻が割れたような感覚。

　そして、同時に頭の中に響く誰かの声。

『ガタロウの玉より力を吸収します』

「何それ怖い」

　思わず声を出してしまった。

「力を吸収って……妖怪の力なんか吸収して大丈夫なの？

　これ、急に頭頂部が禿げたりしないよね？」

　おかしな妄想をしてしまい、思わず頭の上を確認するが……頭頂部に変化は感じられない。

「えっと、これってもしかして……経験値的な何かなのかな？」

　疑問ではあるが者は試しである。

　転がっていた他の赤い玉も踏み潰す。

　そしてさらにもう一つ。

　三つ目を踏んだ瞬間血液が熱く沸騰し、筋肉が強張るような不思議な感覚。

「何だこれ……もしかしてレベルアップ？

　やっぱりこの玉って、経験値なのかな？」

　あれだけのことで自分が強くなったかもしれないという驚きと喜びの後で感じたのは嫌な予感。

　遠くからも聞こえる叫び声やガラスの割れる音――そう、暴れまわってているのはこの河童だけではないのだ。

　街全体が、もしかしたらこの国が、いや世界が何かに巻き込まれている。

「……騒ぎの感じからすると、こいつらって街中でも大量に暴れてるんだよな？

　だとしたら当然、僕以外にも河童を倒してる奴がいるだろうし……」

　そいつら全員が赤いビー玉を踏み潰すなんてことをしてるとも思えないけど。

　もしも暴力で全てを解決しようとするような人間、例えば赤城みたいな奴がこのことに気づいたら？

「うん、想像するだけで寒気がする」

　先程から鳴り響くサイレンの音は止むことはなく、近隣の騒ぎも静まることはなく。

　状況が悪化……河童に襲われている人間が増えているのは明白だろう。

「……今後のことを考えるなら」

　金属バットを握り直す僕。

　河童（ガタロウ）の力を吸収したからだろう、先程までよりその重さが軽く感じる。

「強く……誰にもイジメられないくらいに強く……

　やられたことは最低でも倍にして仕返しできるくらいには強く……」

　いつもバットを閉まっている庭の物置から他の武器になりそうなもの、長いバールのような物を探し出した後、気合いを入れて街へと走り出していく僕だった。