32 関係の変化
マンハッタンペアとは、すぐに落ち合うことができた。
今日は大蜥蜴が闊歩するダンジョン内を、サクサク進んでいく。とりあえず虫じゃなくてよかった。先割れした舌を見るとヒュッてなるけど、まだギリ耐えられる。
香港ペアもジャンさんも、セーフティゾーン内のトイレで襲われている。女子トイレが鬼門であることを心配したスティーブさんが、断言した。
「安全が確認できるまでは、俺の目の届く範囲で用を足してもらう!」
「スティーブ、頼むからそれだけは勘弁してくれ……」
「亘もだからね? 自分は関係ないみたいな顔してないでよ?」
「は、俺も!? 見られながらするとかマジ勘弁!」
頭が痛むかのように額を押さえたジャンさんと半泣きの俺が繰り返し説得した結果、スティーブさんがスキルポイントを溜めまくり、入手しにくい防御魔法を覚えることになった。
「えー、必要?」
乗り気じゃない様子のスティーブさんに、必死で頼み込むジャンさん。そんなジャンさんを見るスティーブさんのどこか楽しそうな目は、好きな子をからかう男子のそれに見えたことはジャンさんには内緒だ。
ちなみにジャンさんの武器は、棘つきのメリケンサックと横から刃が飛び出すブーツ、とかなりの近距離タイプだ。もしかしたら、スティーブさんのボウガンとの対比なのかもしれない。
セーフティゾーンに着くまでの間になんとしてでもスキルポイントを得たいジャンさんのパンチと蹴りは、鬼気迫るものがあった。俺? 俺は龍之介に「やだやだ! 絶対やだ!」って言ったら、「亘の為に頑張らないとね!」と張り切って倒してくれた。
俺はイタリアペアとエンカウントした時の為にMPを温存しないとだったから、龍之介が俺の味方をしてくれなかったら詰んでいたかもしれない。龍之介が俺思いで本当よかった。
コメント欄はやっぱり例の名無し娘という垢の子が「この男女、マジで役立たずじゃん、龍くん可哀想」とコメントしてプチ炎上していたから、すぐに見るのをやめた。自分に明確な悪意を向けられるのをただ眺めるのは、精神衛生上良くないもんな。
ちなみに、男子トイレにだって個室はあるからそっちじゃ駄目なのかな、と途中で気付いた。だけど、なんか言い出せる雰囲気じゃないから言わないでおいた。
ということで、無事にセーフティゾーンに到着した俺たちは、トイレの前に立っていた。
「女子トイレに侵入なんて、何だか悪いことをしているみたいだね」
セーフティゾーンに入る直前でやっと防御魔法を覚えることができたスティーブさんが、完璧なウインクを投げて寄越す。手をひらひら振りながら、自分に防御魔法を掛けた状態で女子トイレの中に入っていった。
……暫く待っても、特に叫び声は聞こえてこない。個室のドアを開けているガコンバタンという音が、微かに響いてくるくらいだ。
やがてスティーブさんがひょいと顔を覗かせて、サムズアップする。誰もいなかったみたいだ。
「入って問題ないよ」
俺は手を叩いて喜んだ。何故なら、結構限界が近かったからだ。
「よっしゃ、スティーブさんありがと! もうさっきから漏れそうだったんだ!」
スティーブさんが「オウ、それは大変だ」と言って横にずれてくれたので、ダッシュで駆け込む。ジャンさんも俺の後をついてくると、二人とも個室に入った。
しばし、開放感に浸る。スッキリ出し切ったところで手を洗っていると、ジャンさんが鏡越しにチラチラと俺を見ながら近付いていた。
ピンときた。これは俺に何かを話したい時の仕草だ。
「……もしかして進展あった?」
「ど、どうして分かるんだ!?」
一瞬で顔が真っ赤になる。
「いやだって、滅茶苦茶分かりやすいし」
おかしい、ポーカーフェイスな筈なのに、とブツブツ呟いているジャンさんの首筋に、小さな痣のようなものを見つけた。
「え、ここって虫いるの? ジャンさん、首に刺されてるよ」
「えっ!」
咄嗟に手で隠すジャンさん。明らかに挙動不審で、目が泳ぎまくっている。……怪しい。上目遣いになると、じーっと見つめた。ジャンさんがソワソワしまくっているけど、逃す気は俺にはない。
「……教えてくれる?」
「く……っ」
ジャンさんは真っ赤になって往生際悪くまだ躊躇っていたけど、吐き出したいは吐き出したかったんだろう。あーとかうーとか唸った後、声を振るわせながらも教えてくれた。
「こ、これは……スティーブにつけられたものだ。虫刺されじゃない……」
「え? つけられたって? 引っ掻かれたとか?」
「いや、そうではなく……その、キスマーク……で……」
俺より大分背の高いジャンさんが、首まで真っ赤にして俯いてしまった。……キスマークは、さすがに俺も分かるぞ。キツく吸って鬱血させるやつだろ? 以前、バスケ部の三年男子たちが、練習終わりにふざけて付け合っていた場面に遭遇したことがあるからどうすればいいのか、どう見えるものかも知ってる。
ちなみにそこで、配信にコメントもくれる、元エースでモテ男のひいくんこと氷川が、ふざけて俺に付けようとした。すると滅多に怒らない龍之介が激怒して、スリーポイントシュートを百回決めるまで居残りさせたんだよな。懐かしー。
みんなに「ひいくん、相手は選べよ」と言われた氷川が、「わり。人のもんって興味あるじゃん?」という謎の返しをしてみんなにボコスカ蹴られていたことまで思い出したけど、あの時はみんなの中で俺の認識は「龍之介んちの子」なんだな、とちょっと複雑になったもんだ。
まあ、俺のことはいい。今はジャンさんの話だ。
「で、その進展って?」
「……ワタルはグイグイくるな」
指の隙間から、恨みがましい目で見られた。でもだって気になるし。
ジャンさんは観念したように溜息を吐くと、話してくれた。
「先日風呂で洗われた話まではしたな」
「うん」
「昨日、バックハグで寝るにあたり、前回手を繋いで寝る時に私の胸をさ、さ、触っていただろう、と写真と共に問い詰めた」
「お、ちゃんと聞いたんだ!」
ジャンさんの真夏の空のような青い目は、羞恥からか濡れているように見える。
「聞いた。そうしたら……」
「そうしたら?」
聞き返すと、ジャンさんは指の隙間から更に睨むように俺を見ながら、答えた。
「す、好きな相手が目の前で寝ていたから我慢できなかったんだよ、と軽い調子で……!」
「それって告白だよね?」
俺の言葉に、ジャンさんはパッと両手を顔から離す。
「そ、そうだよ! ずっと好意を持っていたと言われた! スティーブがバイなことは知っていたが、こんな面白味のない私が好かれていたなんて、普通は思わないじゃないか!」
スティーブさん、バイなのか。
「うんうん、それで?」
「わ、私の家は厳格で、同性の恋人などと両親に知られたら、親子の縁を切られるのは想像に難くない……! そもそも、私はヘテロだ。この性格のせいで長続きしたことはないが……」
ヘテロってなんだったっけ? と一瞬考えて、ホモセクシャルの反対、ヘテロセクシャルのことだと気付いた。要は異性が好きってことね、うん。
「私が家族を大切にしているのを知るジャンは、私を諦めようと上司の紹介を受けたと……!」
「そういうことだったんだ……」
もしも奇跡が起きて両思いになったとしても、スティーブさんはジャンさんから家族を奪えないと思ったんだろうな。ジャンさんが一番大切だから。
だから上司の紹介を受けることにした。それをジャンさんに話せなかったのはきっと、この間のようにあっさりと祝いの言葉を言われるのが嫌だったから――。
嫌だよな。普通に嫌だ。いつかは言わないといけないことでも先延ばしにしたい気持ちは、経験不足の俺にだって分かる。
だってそれは、失恋が確定する瞬間だから。
涙がポロリとジャンさんの瞳から零れ落ちた。
「私はスティーブのことは誰よりも信頼しているけど、そんなことはこれまで一度も考えたことがなかった! そう伝えたら、スティーブは『せめてダンジョンの中でだけは夢を見させてくれないか』と言われて、私は、私は……っ」
「はいって言っちゃったと」
「どうして分かるんだ!?」
目を真っ赤にして、ジャンさんが噛み付かんばかりの勢いで聞き返す。
「だってジャンさん、スティーブさんのことを嫌だって思ってる素振りがないもん」
「え……」
まるで、自分に言い聞かせているような気持ちでいた。だって、まるきり一緒だったから。
――そう、俺は龍之介が俺のことを好きなんじゃないかと気付いても、ちっとも嫌じゃなかった。抱き締められて寝ても、こそばゆいだけでひと欠片も嫌じゃなかったんだ。
「……いつリタイアしてしまうか分からないからお願いだと言われて、昨夜スティーブに身体を許した……」
「それは嫌だった?」
ジャンさんが、再び両手で顔を覆う。
「……嫌じゃなかったんだ。今もちっとも嫌じゃない、それが一番困っている……」
でも、私は男なんだ――。
ジャンさんが絞り出した震え声が、トイレの中に静かに木霊した。
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