(第3章)  新しい門出の祝い

「いつか、ここにもロボットが介入してくるのだろうか……」

海人は小さく声に出し、いつものように混んだエレベーターに乗り込んだ。

今日は、彼の退職の日である。

朝礼の時、「今日までご苦労さん。新しい出発だな。次の職場でも頑張ってくれ」と申しわけ程度の激励と、女子社員からの小さな花束を、海人は受け取った。

「お世話になりました」と、彼も形だけの挨拶を返す。

そして、次の瞬間には、何事もなかったように、誰もがいつもの業務に戻っていく。

少ない荷物をまとめていると、年下の同僚が、「ホントは、次の仕事なんて決まってないんだろ? 戦いに敗れたってことか」と、嘲笑うような顔で肩をポンと叩いた。女子社員達は、「明日から、雑用が回ってくるわねぇ」と、ヒソヒソ話をしている。

海人は紙袋ひとつ持ち、少しだけ頭を下げ、職場を後にした。

エレベーターを降りた一階のロビーで、山本課長に呼び止められた。

「今日だったな。お疲れさん。よく頑張ったなぁ。次の職場は決まっているのか? なんなら、俺でよければ力になるぞ」と、海人を気遣うように言った。

「わざわざ、ここで待っててくださったんですか。色々と気にかけていただいて、感謝しています。ありがとうございます。実は……僕にできるかどうか分かりませんけど、誘ってもらっている仕事があるんです。これから、佐竹さんの分の人生も、僕は生きてみようと思っています。山本課長、本当にお世話になりました」

海人は晴々とした表情で、深く頭を下げた。

「そうか。戦いは、これからだな。頑張れよ」

山本課長はニヤリと笑い、彼を見送った。

海人は外に出ると、後ろを振り返ることなく、駅への道を足早に歩きだした。

彼は、その足で保奈美の家に行くことになっていた。祖父と、保奈美の孫娘の栞も一緒に、退職祝いをしてくれることになっているのだ。

スマホの地図で探しながら、彼女の家に着くと、すでにみんな集まっていた。

海人がリビングに入るなり、「ご苦労さんだったなぁ。会社で何を言われてきたか知らんが、おまえの良さは、わしが一番よう分かっとる」と、龍一郎は孫を抱きしめた。

「よせよ。恥ずかしいじゃないか。じいさん、いつも晩飯を作ってくれてたのに、ちゃんと食べなくて悪かった。忙しい時間帯に、作ってたんだろ。これからは心配かけないようにするから……」

「そんなこと……。わしが死ぬまで、心配かけてもかまわんぞ」

その言葉に、今まで我慢してきた思いが噴き出したのか、「……辛かったんだ」と海人は初めて祖父に涙を見せ、しばらく肩を震わせ泣き続けた。

彼が落ち着いた頃、「さぁ、お腹も空いたでしょ。海人君の新しい門出のお祝いをしましょう。このローストビーフは、栞が作ったのよ。なんだか、最近、料理に目覚めたみたいで」と、保奈美さんが冷蔵庫からビールを取り出した。

テーブルには真っ赤なバラが飾られ、料理を盛った皿が並べられていた。

「美味しいといいんだけどな。海人さん、食べて、食べて。このシーザーサラダも私が作ったのよ」

栞が手早く、取り皿にサラダとローストビーフを乗せる。

「今は……まだ、前向きな私でいられるけど、チップを外したらどうなるのかなぁ? 自分でも予測不能なの。だから、今の内に海人さんに、アピールしとかなくちゃ」

「そうなんだね。その……チップは、いつ外すんだい? ローストビーフのお礼に、チップを外したら、何か欲しい物をプレゼントするよ。元々、僕も臆病者で、今だって、新しいことを始めるのは怖いんだよ。一緒に前に進もう」

海人はブログの写真のような、爽やかな笑顔を見せた。

「本当に? プレゼントくれるの? 嬉しい! チップを外す手術は、高校を卒業してからよ。それから一年くらいはリハビリになるのかな。手術……きっと、怖いって思うのが普通なんだと思う。でも、今の私、怖いという思いを封じ込めている気がする。チップを外して、ムチャクチャ落ち込んだりしたら、なぐさめてくれる? それなら、勇気が湧いてくるわ」

栞も屈託なく笑った。

「まぁ、この子ったら。チップを外したら、少しはおしとやかになるのかしら。龍さんは、お肉よりお魚がいいわよね。この鯛のカルパッチョは、私が作ったのよ。召し上がってみて。ワインも、日本酒も用意してあるから、今日はお祝いだから、飲みましょう」

孫娘の積極的な態度に負けじと、保奈美も龍一郎にあれこれ勧めた。

楽しい食事の時間を過ごし、デザートには、きんつばと日本茶が出てきた。

「これは、龍さんからのお土産よ。和菓子は、私の好物なの。嬉しいわ」

「いやぁ、若い人には、ケーキとかの方がよかったかな。わしは酒で充分ですわ」

龍一郎の顔は、ほんのり赤くなっていた。

海人は、自分を偽らなくてもいい人達と出会えたことを、心から喜んでいた。そして、聞こうと思っていたことを口にした。

「あの……。保奈美さん、僕はこれから何をすればいいんですか? まだ詳しいことは、何も聞いていませんけど……」

保奈美は、手に持っていた湯飲みを置き、「そうね。今、話しておいた方がいいわね。準備もあるでしょうから。実は、二年ほど、アメリカに渡ってほしいのよ……」と言った。

「えっ? アメリカですか?」

海人は思いもよらない話に、その先の言葉が出てこなかった。

「突然で驚いたかもしれないわね。実は、アメリカで、あなたに合う仕事のパートナーのアンドロイドを制作するつもりでいるの。海人君の性格から、今まで学んだ知識や技術、それと、これから学んでもらうAI操作の知識も含めて、あなたのデータをインプットし、仕事面で様々なサポートをしてくれる相棒よ。営業スキルもインプットしておけば、あなたの苦手とする接客面も強化できるでしょ。容姿や年齢も、あなたの希望を聞くわ。年下の方が、コミュニケーションが取りやすいかしら。ただ、女性にすると、栞が嫉妬しちゃうから、男性のアンドロイドにしましょうか。いずれ、あなたに未来型の環境デザイン会社の経営トップをお願いしたいと思っているわ。その為にもアメリカで学んできてほしいのよ。銭湯の隣、今住んでいる自宅を事務所に改装する予定でいるわ。まだまだ先の話ですけどね。一歩ずつ進んでいけばいいから、心配しないで。接客だけじゃなく、苦手な分野は、あなたの相棒がサポートしてくれるわ。あぁ、英語が話せないなら、とりあえず、通訳用のアンドロイドをつけるわね」

海人は「はぁ……。アンドロイドの方が、僕より社長に向いてるんじゃないですかね」としか、言えなかった。

「まぁ、それもいいかもしれないわね。でもね、人間としての海人君の力が必要なのよ。きっと、あなたも変わっていくわ。未来のことは分からない。けどね、今より幸せになっていくことを信じましょうよ。ねぇ」

保奈美は、龍一郎の方に顔を向けて、穏やかに微笑んだ。

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