(第5章) 想像を超えた話
「ありがとうございます。それでは、続けさせていただきます。あの、みなさん、マイクロチップというものはご存知でしょうか? アメリカでは、実際に手に埋め込み、企業のセキュリティシステムや、本人の認証システムなどで使用されています。その内、鍵やカード、現金さえ持たなくてもいい時代が来るといわれています」
「あぁ、それなら僕も知ってるよ。人体に埋め込むなんて、どうかと思ったけどね。でも、まだ日本では聞いたことがないな。もしかして、そのチップとやらを、体のどこかに埋め込んだっていうことなのか?」
海人君が珍しく口を挟んだ。彼は最初の怒りを通り越し、ことの流れに興味が出てきたようだ。
龍さんは、そんな孫の様子を見守っている。
保奈美さんは、海人君の問いに、「ええ、頭の中に……」と答えた。
「頭? どういうことなんだ? 医療用として、体の機能の一部に使用したということなのか? 頭の骨を支えるとか?」
「いいえ、骨は関係ありません。人間の思考や感情を操作するチップそのものを埋め込んだのです」
「なんだって! 人工知能は、心を持たないんだろ。そんなことが可能なのか!」
「私達は、人の意識や思考、感情など、男女や年齢の差だけではなく、ありとあらゆる視点からデータを集めました。それを、使用する人間の本来持つ人格とミックスさせ、目的に合わせたオリジナルのマイクロチップを作り、脳のある部分に埋め込むことに成功したのです。一般的な産業ロボットとは別の部門として研究を続けてきました」
「まさか! それを実際に埋め込んだ人間が実在しているってことか? もしそうなら、人としてのモラルはどうなんだよ!」
海人君と保奈美さんのやりとりを、みんなは無言で聞き入っていた。もしかして、彼女が派遣したという人達が、そうなのだろうか? ロンは、どこまで知っていたんだよ?
(そないな研究をしとるちゅうのは知っとったけどな。実は、メリーちゃんも、そうなんや。そやから、特別な能力を持っとったんやなぁ)
ロンは少し寂しそうだった。
そうだったのか。ロンは天然だからなぁ。
「私達は研究は続けていましたが、実際に使用するつもりはありませんでした。おっしゃる通り、モラルの問題がありますから。けれど……」
保奈美さんが、その先を言い淀んだ時、「私のせいなんでしょ。そのことは、私から話すわ」と、栞ちゃんが祖母の言葉を継いだ。
彼女が、なんだか一気に大人びて見えた。
「私、私……。生まれた時、未熟児で、身体機能も言葉を発するのも、人より遅かったの。小学校に上がる頃、なんとか意思を伝えるくらいには、しゃべれるようになったわ。でも、吃音で……。まだ気を遣うことを知らないクラスの子達は、素直に、そんな私を見て笑ったの。意地が悪いとか、そんなんじゃないのよ。ただ、普通に笑った。一生懸命にお友達になりたくて、話そう話そうとすればするほど、みんなに笑われたわ。小学二年になった頃、少しずつ人をからかう快感を知った子達に、今度は嘲笑われるようになったの。悪気があるとか、それは分からなかったんだけど。ただ、イヤな感じがしたのを、なんとなく覚えてる。人が怖いと思った。私は、少しずつしゃべらなくなっていった。段々と普通じゃない子供になっていくことを、一番悲しんだのはママだったわ。私を抱きしめては、『ごめんね。私のせいで』と泣いていた。おばあちゃんは、そんなママを見ていられなかったのよね。家族で何度も何度も話し合い、完成させたマイクロチップを、私に合わせ、ポジティブ思考で年齢と共に成長していける思考、感情などをインプットして、私の頭に埋め込んだ。その後、体に異常が起こらないか、常に検査され、二度ほど修正の為に再手術したわ。チップの取り外し手術は、三回までなのよね。私は、あと一回だけ。そうよね、おばあちゃん」
祖母の保奈美さんは「そうよ」と答え、その先を続けた。
「この子にマイクロチップを埋め込む時、家族で決めたことがありました。自分の意思で物事が決められる年齢になったら、このままチップを埋め込んだままの人生を歩んでいくのか、取り外して、本来の自分で生きることを選択するのか、栞に決めさせようと……。それが、来年、高校を卒業する時なんです。栞には、小学校の高学年の時に話してあります。ポジティブ思考の時に聞かされても、それほど深刻に悩むことはないと分かっていましたから。でも、このチップを外してしまったら、栞がどうなってしまうのか……。それを考えると、このままでいいのではと、そう思うこともあるんです」
保奈美さんは、栞ちゃんの肩に優しく手を乗せた。
「パパも『チップを外すな』と言ってるわ。『パパに可愛く甘える娘』というデータでも入れたのかな。ママの為にも、このままの方がいいとは思う。でも、でもね、本気で泣いたり、傷ついたりする自分も感じてみたいの。今の私、あのアンドロイドと同じなんだもの。これで、生きてるっていえるのかなぁ。私、正直、どうしたらいいのか分からない。考えてはみるけど、落ち込めないの。友達は胸が痛くなることがあるって言うんだけど、それがどういうことなのか……私には分からない。ここは泣く場面という時には、一応、涙は出てくるんだけどね。けど、自分が本当に幸せなのか、どうなのかも分からないの。おかしいでしょ。人間のまま、変わった子と言われてた頃とも違う感覚なのよ。こんなに普通なのに、どこか変だよなぁ~って、心の奥で声がするの。まだ時間があるから、最後の最後の日まで考えてみようと思う。半分、本当の自分、半分、アンドロイドの自分で……」
保奈美さんは孫娘の告白に耐え切れなくなって、栞ちゃんから視線を外した。
「私も……。あの時の選択が正しかったのかどうか、ずっと悩み続けてきたわ。母親として、娘の初美が苦しむ姿を見たくなかったの。ごめんね。おばあちゃん、栞が、どんな選択をしても、あなたの幸せを願っているわ」
栞ちゃんは保奈美さんに抱きついた。しかし、それも、彼女の本心なのか、データの判断によるものなのか、僕は少々戸惑っていた。
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