(第12章) いい湯だな
脱衣所で、パンツ一丁で扇風機の前で涼んでいると、龍さんが入ってきた。
「よかったら、この中の好きな物を出して飲んでくださいな。女性陣は、もう少し時間がかかるみたいですわ」と、備え付けの冷蔵庫に手をかけた。
おぉ、ビンのコーヒー牛乳がある。フルーツ牛乳、普通の牛乳もある。
「いや~、懐かしいでんなぁ。わいは、大阪にいた頃はビンボーやったさかい、飲まれへんかったんですわ。おおきに。いただきます」
天作さんも嬉しそうな顔をした。
(わいは、普通の白い牛乳がええなぁ。ノド渇いたんで、まずは潤いたいわ)
ロンまでが急かすように訴えてくる。仕方ないので、僕が率先して冷蔵庫のドアを開け、「天作さんは、どれにしますか?」と聞いた。
「ほんまは、コーヒー牛乳が飲みたいんですけどなぁ。甘いんで、牛乳にしときますわ」
なんと、ロンの希望通りではないか。
僕は、牛乳を天作さんに渡し、「せっかくですから、二人で腰に手をあてて、ぐぃっと飲みますか!」とビンの紙の蓋を開けた。
龍さんが「どうぞ、どうぞ。お好きな格好で召し上がってください。わし、いや、すんませんな、いつも、わしと言ってるもんで。食べる物を用意してきますんで、ゆっくりしててください」と出ていった。
それではと、おっさん二人、パンツ一丁で腰に手をあてて、ゴクゴクと一気飲みをした。
「美味いな。なぁ、ロン」と口にしてから、「あっ、いえ、天作さん」と言い直した。
「ロン? 飼い犬の名前でっか。よっぽど大事にされてるんですなぁ」と笑った。
「ええ、まぁ」と、はぐらかしていると、(ホンマ、風呂上がりの牛乳、習慣にしたいくらいや。わいも人間になりたいわ)と、その飼い犬であるロンが伝えてくる。やっかいだな。
そんなことより、女性陣が入ってくる前に、着替えを済ませないと。天作さんは、着替えてマッサージチェアに座っている。
(ええ気持ちや)
どうやら、ロンもマッサージを満喫しているようだ。ったく~。
しばらくすると、ピカピカのお肌をした三人の女性達が現れた。
「いいお湯だったわ。ビンのフルーツ牛乳なんて初めて。美味しかった。あら?」と桃先生は、ピンクの頬で楽しげに言い、天作さんの方を見た。
マッサージ中の天作さんは「あぁ、初めまして。そない美人さんばかりやと、照れますなぁ。わいは、野村天作といいますわ。よろしゅう」と、ホントに顔を赤らめていた。
女性達も、それぞれに名乗り、そして……どさくさに紛れ、(わいは、ロンいいます。壁ドンもマスターしてきましたんで、よろしゅう)と、おっさん犬も勝手に自己紹介していた。誰も聞いちゃあいないのだが……。
そこへ、ご主人と若い青年が「みなさん、お揃いですね。では、ちょっとテーブルに料理を並べますわ」と、隅に準備してあったテーブルを引っ張り出して、青年が運んできたワゴンから料理を並べ始めた。
女性達は、籐で編んだ長椅子や丸椅子を配置していった。僕と天作さんは邪魔にならないよう、少し離れて眺めているしかなかった。
あれよあれよという間に、宴の場は準備され、テーブルの真ん中には花まで飾られた。料理は、つまみ易いオードブルやサンドイッチ、それに和菓子や何種類かの飲み物が用意されていた。
「美味しそうね。お腹ペコペコなんだ」とダークヒロインが言うと、ご主人が「どうぞ、どうぞ。召し上がってください。まずは、お座りいただいて。あっ、それと今、手伝ってくれているのは、孫の海人といいます。ひと言、挨拶していきなさい」と青年を促した。
グラスを並べていた青年は手を止め、「では、ひと言だけ」と皆の方に顔を向けた。
「平松海人といいます。僕の勧めで、祖父がブログを始めました。実は、この銭湯もあと一年ほどで閉鎖の予定です。それで、まぁ、少しでも人に来ていただければという気持ちで、ブログを勧めました。詳しいことは、祖父の方から話すと思います。今日のことは、祖父が張り切って企画しましたので、みなさんに来ていただけて感謝しています。僕は裏方なので、支度が済んだら引っ込みます。楽しんでってくださいね。では、あまり長くなってもいけないので、このへんで失礼します」
お孫さんは短い挨拶をすると、軽く頭を下げた。
今どきのアクティブな若者というブログでのイメージとは違い、実際は、イケメンといえなくはないが、素朴な雰囲気だった。それに、どちらかというと人見知りのような感じもした。実際に会ってみないと分からないものだ。
ご主人の厚意に甘えて、まずはお腹を満たそうということで、それぞれに食べることに専念した。気づくと、海人君はいなくなっていた。ご主人が、飲み物を女性に勧めたり、一生懸命に接待している。
天作さんに、「食べられる物はありますか?」と声をかけてみると、「気を使ってもらったみたいで、わいでも食べられる物を用意してくれてますわ。玄米煎餅、美味いですわ。ありがたいこっちゃ」と、頬張っていた。
(ほんまに、人間の食べ物もウマイのう)
これは、ロンの声だ。味をしめて、人間に憑依するクセがつかなければいいんだけど。
僕も、サンドイッチをいただいたが、どこかから取り寄せたのだろうか、なかなかの味だ。和菓子の豆大福も美味そうだ。
天作さんは、湯上がり美人に声をかける勇気もないのか、ひたすら食べている。ロンの方は、(もうそろそろ、べっぴんさんと話でもしたらええのに)と、モンモンとしているが、意思の主導権は天作さんの方にあるようだ。
一時間ほど会食した後、「それぞれ簡単な自己紹介や、世間話はされたみたいですな。せっかくブログで繋がったご縁なので、もう少し深い話もできたらと思いますけど、どうですか? わしもブログを読ませていただいて、気になっていたこともありますんで。ここだけの話ということで、日頃、心に溜めている思いなんかを吐き出して、スッキリするというのもいいんじゃないでしょうかね」と、ご主人が切り出した。
「えっ? 初対面の人に、そんな話できないわ」と桃先生が、顔をひきつらせた。
そりゃあ、そうだ。銭湯のじいさん、いきなり何を言いだすのかと思えば……。まぁ、僕も、桃先生の虐待の件は気になっているから、気持ちは分かるけど。
すると、保奈美さんが「確かに、初めて会った人に話せないこともありますよね。どうでしょう。話したい人だけでも話してもらうというのは……。いっそ知らない関係だからこそ、言えるってこともありますでしょう」と、助け船を出した。
「わいは、聞いてもらってもええですわ。しょうもない話ですけどな」と、さっきまで引っ込み思案だった天作さんが、積極的な意見を述べた。
どうやら、ロンが内側から後押ししているようだ。(そうや、その調子や)とか言っている。
「それでは、話したい人だけ、話すということにしますか。それならいいですかね。わしも、実は聞いてもらいたいんですわ」と龍さんは、どうしても「語り合う場」に誘導したいようだ。どうやら、自分のことを誰かに聞いてもらいたいってことのようだ。
「たいした話はできないですが、飼い犬の話など聞いてもらいたいです。ちょっと変わった奴なんですよ」と僕も賛成した。
結局、桃先生とダークヒロインは「聞くだけなら」ということで、「風呂屋の座談会」が開かれることとなった。
(せっかくの場や、わいのことも、素晴らしい犬やとアピールしといてぇな)とロンが意気揚々と伝えてくる。素晴らしいって言ったところでなぁ。まっ、どこでロンのパートナーに繋がるか分からないから、飼い主としては、いっちょ頑張るか……。
テーブルを少し脇に寄せて、みんなが話しやすいように椅子も並べ替えられた。
さてさて、どんなことが聞けるのやら……。
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