(第11章) 初対面の人達
特別ご招待の日まで誰が来るのか気になって、ブログを覗いたりしたけど、誰もそのことには触れていなかった。まっ、誰も来なくても、それはそれで、くつろいでこようと思っていた。
当日、銭湯へ行くのにめかしこんでいくのもおかしいので、普段着で気楽に出かけることにした。出がけにリビングにいるロンに、「行ってくるよ。土産話を楽しみにしててくれよ」と声をかけたが、寝ているのか返事がなかった。ああは言ったが、一緒に行くのは無理なので、ふて寝でもしているのだろう。
外に出て、まずは深呼吸をした。冬の始まりの冷たい空気が、身体の中にスーッと入っていく。ちょっとした冒険でもするように心が高鳴っている。僕はプリントした地図を手に、招待された銭湯へと向かった。
地下鉄とバスを乗り継ぎ、バス停から煙突を目印に、住宅街を歩いていく。しばらくすると、神社仏閣のような宮造りの屋根が見えてきた。ブログの写真でも見た、あの建物だろう。目の前まで来ると、まるで古い寺のような造りで、圧巻の迫力である。
ネットで少し調べたのだが、東京ならではの「唐破風(からはふ)」様式というらしい。僕が子供の頃に行っていた銭湯と似ていた。
しばし見入っていると、「あの~、すみません」と若い女性の声がした。
振り返ると、二十代だろうか、髪の毛を後ろで結んだ小柄な女性が立っていた。周りに誰もいないので、どうやら僕に向かって発せられた言葉のようだ。
「えっ、何か? あっ、もしかして、ここのじいさん、いえ、ご主人から招待された方ではありませんか? 実は、僕もなんですよ。初めまして、佐々木と申します」
彼女はホッとしたように、「ええ、そうなんです。では、あなたも……。初めまして、私、田所直美と申します。どうしようかと迷ったんですが……。銭湯なんて行ったことがなかったので、珍しさもあって伺ったんです」と答えた。
「僕の年代では、珍しいというより、懐かしくて……。あの、違っていたらすみません。ブログを書かれている桃先生じゃないでしょうか。読ませていただいてましたよ」
僕は、つい興奮して声が大きくなっていた。ピンクのセーターに、ふわふわとした暖かそうなショール、花柄のロングスカート、ブログで見た桃先生の雰囲気にピッタリだ。
「あら、やだわ。恥ずかしい。おかしなものですね。色々な人に読まれていることを分かっているのに、あらためて口にされると照れます。ええ、保育士をしています」
「いや、そんな。僕なんてブログでは犬ですからねぇ。恥ずかしいなんてもんじゃないですよ」
「まっ、前世では立派なレスキュー犬だったんですけどね」と、心の中でつけ加えつつ言った。
「えっ、犬になり代わってブログを書かれているんですか」と桃先生はチャーミングな笑顔を見せた。僕のブログは見てないようだが、初対面での緊張がほぐれたようだ。ロンの効能は、こんな時にも活用できるんだな。
笑ったことを失礼だと感じたのか、彼女は「ここで立ち話もなんですから、とりあえず中に入りましょうか」と真顔になって、入口の方を見た。
「男湯」と書かれた引き戸には、
「本日は、貸し切りとなっております。
ブログにてご招待させていただいた方は、男湯の入口からお入りくださいませ。
ゆるりと温まって、日頃のお疲れを癒してください」
と毛筆で書かれた張り紙がしてあった。
僕は、昭和チックな戸をガラガラと音を立てて開けた。一歩足を踏み入れると、まるで子供の頃に戻ったような銭湯の風景が飛び込んできた。写真で見た通り、広々としていて、古いマッサージチェアや体重計もある。天井には、色あせたレトロな扇風機が、まるでオブジェのように首をもたげていた。
「あぁ」
ここでも懐かしさで、思わず声が漏れた。
「これが銭湯なんですね。テレビでは見たことあるけど……。なんだか、タイムマシーンで過去に旅してるみたい。それにしても、情緒がありますね」
桃先生は珍しそうに、隅々まで見渡している。
そこへ、ご主人らしき男性が現れた。
「どうも、どうも、ようこそおいでくださいました。主人の平松龍一郎といいます。みなからは、龍さんと呼ばれてますわ。さぁ、どうぞ履物を脱いでお上がりください」
これが銭湯のじいさんか。思ったより若々しい。風呂焚きは力仕事なのか、引き締まった筋肉に、ブログの写真で見た通り、深いシワは刻まれているが浅黒い精悍な顔立ちをしていた。グレーのスポーツシャツも似合っている。
「まだ、みなさん、いらっしゃってないんですか? 今日は何人ほどお見えになるんでしょう。女性の方も来られると聞いたので安心してお邪魔したんですけど」
桃先生が、おずおずと龍さんに尋ねた。
「はい、女性の方は……あとお二人いらっしゃいます。ブログでのお名前が『保奈美』さんと、『リボンブタ』さんとおっしゃいます。全員で五名様でしょうかね。どうぞ座ってお待ちください。今、お茶を煎れてきます」
龍さんは、少々堅そうな籐の長椅子を勧めた。
ちょうどその時、戸がガラガラと開いて、グレーのコートを手にかけた六十代くらいの女性が顔を見せた。
あっ、この人が、保奈美さん? ちょっとイメージが違うけどな。優雅な奥様を想像していたのだが……。実際は、清楚な雰囲気ではあるが、茶色の上下という服装のせいか全体的に地味だった。
僕達を見ると、「あら」と小さく口に出し、会釈した。
「よくいらっしゃいました。どうぞ、どうぞ。自己紹介はみなさんが揃ったところでしていただくとして、まずは中に入ってお待ちください」
龍さんは、靴を揃えている保奈美さんに声をかけて、お茶を用意する為、奥に引っ込んだ。
そうは言っても、名前が分からないと話もできないので、それぞれに簡単に挨拶を交わした。ご婦人は、遠藤保奈美さんとおっしゃり、桃先生こと、田所直美さんと二人、女性同士で話がはずみ始めた。
なんとなく手持ちぶさたな僕は、脱衣所をウロウロと見学することにした。古いマッサージチェアは、無料で使えるみたいで、試しに座ってみることにした。ガタガタと音はするが、緊張していた体には心地よかった。
すると、また戸がガラガラと開き、若い女性が「ここでいいのかしら?」と首をかしげて入ってきた。
この人がリボンブタさん? いや、違うよなぁ。確か、絶世のブスとか書いてたはずだ。今、ここに現れた女性は、絶世の美女だったのだ。
「あの、ブログで招待されて伺ったんですけど……。結城里穂といいます。ご主人は?」と、これまた低音だが美しい声で話しかけられた。黒髪のショートカットが似合っている。ジーンズに皮ジャンを羽織り、手にはリュックとヘルメットを持っている。バイクで来たのだろうか。クールなイメージの彼女に見つめられると、ドキッとしてしまう。
「あぁ、今、ご主人はお茶を煎れに……。あの、僕は佐々木といいます」と、ドギマギしながら答えると、ちょうどご主人が戻ってきた。
「どうも、いらっしゃい。結城さんですか。これで女性陣は揃いましたな。実はもうおひと方、男性で野村さん、ブログ名は『てんさく』さんとおっしゃいますが、『出がけに転んでしまい、少し遅れます』と連絡がありました。おケガはないみたいですが、転んだひょうしにテーブルに乗ってた醤油のビンをかぶり、服が汚れたらしくて。もしよければ、お茶でいっぷくされたら、先にお風呂に入られてはどうでしょう。その内に、野村さんもいらっしゃるでしょうから。女性の方は、女風呂をどうぞ。わし、いえ、私の方からのご挨拶は、あらためて後ほどさせていただくことにします。では、ごゆっくり」と龍さんは、人数分のお茶を置いていった。
ブログでは、「わし」と書いていたからなぁ。さすがに若い美人の前では、ご主人も畏まっている感じだ。
お風呂と言われたが、女性の中に一人、もちろん、一緒に入るわけではないが落ち着かない。野村さん、早く来てくれないかな。
女性三人は、お茶を啜りながら世間話をしている。どうやら先ほどの美女は、やはりダークヒロインの『リボンブタ』さんみたいだ。ずいぶんブログのプロフィールとは違う。ホント、会ってみないと分からないもんだ。
三人がお茶を飲み干した頃、ダークヒロインが「それでは、お言葉に甘え、お風呂で汗を流しませんか? 汗を掻いてるのは私だけかしら? バイクで飛ばしてきたものだから」と、立ち上がった。
二人の女性も、彼女につられるように立ち上がり、「では、参りましょうか」と一番年上の保奈美さんが言った。
女性陣が女湯に移動し、一人になるとホッとした。なかなか、初対面の女性三人に囲まれるというシチュエーションはない。広々とした脱衣所で、僕は服を脱いだ。鍵のかかるロッカーに荷物を入れ、鍵の付いたゴムを手首にはめた。子供の頃、母から失くさないようにと注意された記憶が蘇る。
半透明のドアを開けると、目の中に巨大な富士山の姿が飛び込んできた。ところどころ色がはげ落ちてはいるが、日本の銭湯ならではの風景である。簡単に体を洗い、溢れそうな湯船に身を沈める。なんという贅沢。極楽だ~!
女湯から、「そちらはお一人で貸し切りですね。銭湯って、こんなに気持ちいいんですね」と、桃先生が声をかけてきた。エコーがかかって、声が響く。
「本当ですね。こんな機会はめったにないですよ」と僕も返事をした。
昔は、家族や恋人同士などで、「もう出るぞ~」「まだ、もう少し」と声をかけ合っていたな。女湯からは、女性達の話し声が聞こえている。
湯船から上がり、体と頭を念入りに洗い、もう一度ゆっくり湯に浸かろうと思っていると、ガラガラと半透明のドアが開いた。短髪にガニ股のおじさんが、前を手ぬぐいで隠して入ってきた。
「おぅ、おたくがロンさんでっか。わいは、野村天作いいます。よろしゅう頼みますわ」と、その男は真っ裸で挨拶してきた。
ロンさんですか?って……。あっ、そうか。僕は『癒しのおっさん犬』だった。ということは、僕のブログを見ていてくれたってことか。
そういえば、女性達からは、僕のブログのことはスルーされていた気がする。ブログに足跡を残しておいたのに、見てくれてなかったのか? それとも……犬になり代わってブログを書いている中年男に引いてたのか?
「犬になり代わってブログを書くとは、オモロイ人やなと思うてたんですわ。飼い犬の嫁さん探しでっか。わいも、ついこの前までは婚活してたんですけどな。まっ、身の上話は、これからちゅうことで」と、体を洗い始めた。
僕は、のぼせないよう風呂椅子に腰かけた。
「読まれていたとは、お恥ずかしいです。男一人だったんで、お待ちしてました。転んだそうで、おケガは大丈夫なんですか?」
頭を洗っている野村さん、いや、やっぱり天作さんの方がしっくりくるな。天作さんに話しかけると、シャワーで泡を流している最中なのに、(たいしたことあらへん。それにしても、これが銭湯ちゅうところか。早う、湯船に浸かりたいわ)と聞こえた。
えっ? 聞こえたというより、伝わった……。もしかして、ありえないよな。いや、あいつのことだから分からないぞ。
僕は心の中で、「おい、ロンなのか? なんで、おまえがここにいるんだよ」と語りかけてみた。天作さんは、まだシャワーを浴びている。
(そうや、わいや。師匠の声も忘れたんか? いやな、天ちゃんとは通じるご縁があってな。前世での繋がりの繋がりちゅうか……。その縁があったさかい、わりとたやすく意識の中に入れたわ。まっ、ちょっと体の方は抵抗されたんで転んでしもうたけどな)
「え~! そんなことって。それに、師匠じゃないぞ。相棒だ。そもそも、ロンの声といっても、いつもテレパシーじゃないか」
僕は、つい声に出してしまった。実際は、相棒でもなく、飼い犬なんだけど。
「どうかしはったんですか?」
頭を洗い終わった天作さんが、不思議そうな顔をしている。
「あっ、いえ、あの、なんかヘンな感じはしませんか? いえ、転んでどこか打たれたとか?」
僕は、取り繕うように聞いてみた。
「そうですなぁ。時々、自分の意識が遠のくような気はしますが、元々、ボーッとしてますさかいに。そんなもんでっしゃろ。ほな、湯船に浸からせてもらいますわ」と、ザブンと音を立てて、風呂に入った。
「あ~、ええ湯ですな。極楽、極楽」
目をつぶる天作さんの声に重なるように、(ほんまや。ええ湯やなぁ。広うて、気持ちええわ。ウチの風呂にも、パパさんと一心同体で、今度入らせてぇな)とロンがしゃべる。と、いうか、テレパシーで伝えてくる。
パニックになりそうだったが、僕が声に出して、おっさん犬に話しかけるわけにはいかない。しかし、色んな方法を考えるもんだな。けど、まぁ、いつものことでもある。
せっかくの機会を無駄にしたくないので、僕も湯に入ることにした。二人、いや、二人と一匹で、のんびりとした時を過ごし、しばし、ロンも静かにしていた。
「なんや、食べ物まで用意してくれはってるみたいですな。まぁ、わいは糖尿病なんで、あまりいただけませんけどな。ほな、そろそろ出ましょうか」
天作さんが、入ってきた時と同じように手ぬぐいで前を隠して、出口に向かった。僕は、隠したところで、どうせ二人だけなのにと思いつつ、彼の後に続いた。
その背中から、(わいもハラ減ったわ。人間の食べ物、楽しみやなぁ)というロンの声がした。実際に聞こえたわけではないけど、エコーでもかかっているかのように、僕の心には響いていた。
やれやれ、これからどうなるんだろう? 不思議ワールドに突入なのか? 僕は、パンツを履きながら、ちょっとワクワクしてきた。なんだかんだと言いつつ、ロンが来てくれたことで心強くもなっていたのだ。
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