(第8章)   桃先生の奮闘

今度こそ、可愛いメス犬を飼っているといいな。

まずは、プロフィールからだ。


『子供の頃から幼稚園の先生になるのが夢でした。念願叶って、保育士として、保育園で働いています。毎日、園児たちを相手に奮闘しています。追いかけっこだって、まだまだチビちゃんたちには負けないゾ! さてさて、桃組さんの一年、どんなことが起こるのやら。これから保育士になりたい人に向けて、今年から日記を公開することにしました。もちろん、どこの誰かは個人情報の流失になるのでナイショですよ! では、桃先生、頑張りま~す。』


なるほど、桃先生というのは、担当クラスの「もも組」ってことか。さくら組、うめ組とかあるのだろう。確かに、これだけじゃ、どこの保育園かは分からない。実物の写真はなかったけど、イラストの顔は、なかなかチャーミングである。保育士ってだけで、優しいイメージだ。

ロンも身を乗り出して、「なんや、普通っぽくて安心するな。さっきがキョーレツやったさかいに。フワフワした毛の真っ白な犬でも飼ってそうやないか。記事に書いてへんか? 壁ドンも、実践せんと練習の甲斐がないさかいにな」と、本気で壁ドンを実践する気だ。

壁といえば、保育園の先生らしく、ブログの壁紙も可愛らしい。ダークヒロインは、ロウソクの炎がゆらゆら揺れて不気味な壁紙だったが、こっちはチューリップとクローバーが踊っているイラストである。

記事を読んでいくと、春のお花見会から始まり、保育園での行事のことが主だった。五月の節句では、園児がハサミやノリを使って、一生懸命に兜を作っている様子が書かれていた。


『初めてハサミを使う子もいる。おっかなビックリ真剣な顔でハサミとにらめっこしているA子ちゃん。ほら、頑張って! 大丈夫よ。先生、ちゃんと見ているからね。B君は、おウチで使っているのかしら。上手だわ。子供は褒めてあげることが大切。「スゴイね~。上手よ。先生、ビックリしちゃった!」そう話しかけると、満面の笑み。今年の子供達も、み~んな可愛い。』


へぇ~、女の子も兜を作るんだなぁ。そういえば、子供達が小さな頃に新聞紙で作った記憶がある。

「パパは、何でもできるんだね!」

博の無邪気な笑顔が浮かぶ。あの頃は、ホント素直で一番可愛い時期だった。

「何をボーッとしとるんや。昔のことを思い出してたんか。わいも、新聞紙の兜を被せられ、前が見えんようになって大変やったわ。博君や美穂ちゃんに会いとうなるな」

なんだ、ロンだって家族で過ごしてた頃を思い出してるじゃないか。これでは、いつまでも進まないので、次の記事に移った。


『毎日、歌を歌う。私のオルガンに合わせて、子供達が一生懸命に歌う。大きな声でどなるように歌う子、恥ずかしそうにうつむいて歌う子、音が外れている子。天使の歌声が教室に響くわ。さぁ、次はお外で遊ぶ時間。ケガをしないように見守る。子供達にケガをさせることが一番怖い。ほらほら、ケンカしないで。子供は加減を知らないから、思いっきり叩いたり、突き飛ばすことがあるから困る。仲間外れになっている子をみつけて声をかけてみる。一人っ子だと、お友達と仲良くなるのに時間がかかったりする。子供同士の関わり方に慣れていないのだ。私がお友達になれそうなグループに連れて行き、「一緒に遊んであげてね」と声をかける。みんな仲良くしようね。』


大人でも、みんな仲良くというのは、なかなか難しいんだから、子供に言ったところで無理っていう気もするが……。

一人の子供の面倒でも大変なのに、幼稚園の先生も大変な仕事だなぁ。何十人もの子が、ギャンギャン騒ぎ出したら、ヒステリーを起こしたくなりそうだ。それにしても、幼稚園と保育園って、どう違うんだ? まっ、いいか。と思いつつ、次の記事を読むと……。


『もう、イヤになっちゃう。ウチの保育園では、働いているお母さんの為に給食制度を取っている。今日、給食の時間にトラブルが起こった。一人の子が隣の子のおかずを取ったのだ。取られた子も、また隣の子のおかずを取り、その子もまたと、連鎖して手づかみでおかずの取り合いになり大騒ぎ。子供達は、面白がってキャーキャー大声出すし、食べるどころではない。床に落ちたおかずを食べないように注意して、ベタベタになった手を洗っているうちに、給食の時間が過ぎてしまった。結局、おやつを多めに出してもらい、なんとかしのいだけど。園長先生から叱られるし、やってられない! 明日は、大人しく給食を食べてよね。』


次の日も記事を書いていた。

『今日は、食べる前に、「静かに食べなさい」と言い聞かせ、給食の時間中、目を光らせていた。昨日も最初に問題起こしたC子ちゃん、なぜだか人の分のおかずが気になるようだ。二十五人もいると、いろいろな子がいる。毎年のように、二人か三人は問題児がいるものだ。個性的といえばいいのか、みんなと違う行動をしたがったり、乱暴を働いたり、時には病的に神経質な子もいたりする。あまりに手に負えない場合は、園長先生と相談して父兄面談をすることになる。発達障害など、専門的な治療が必要になってくることもあるからだ。ここだけの話、園長先生は、とにかく園の責任になっては困ると思っている。それも仕方ないことだと思う。子供達は可愛いけど、一生責任を持つわけではない。ドライに考えないと、こっちが参ってしまう。』


『今日、やんちゃ坊主のD君が、友達に「ウチのママ、強いんだぞぉ~。パパをやっつけちゃうんだ。昨日なんて、パンチくらわしてたんだ。パパ、土下座してた」と夫婦喧嘩の様子を大きな声でしゃべっているので、困ってしまった。子供達は、家庭のことを悪気なく話す。つい笑ってしまったり、時には、「そういうことはしゃべらないのよ」と注意することもある。素直といえば素直なんだけど、土下座してたなんて聞くと、その子のパパが迎えに来た時、どんな顔をすればいいのやら。』


なるほど、子供は正直だからなぁ。博や美穂も、ウチの家族のことを話してたのかな? 土下座したことはないと思うけど。

それにしても、記事を続けて読んでいっても、犬を飼っているという話は出てこない。子供達の世話で精一杯で、家に帰ってペットの面倒をみるという余裕がないのかな。遠足やら季節の行事、とにかく園児達のことばかりだった。桃先生は教育熱心な方なのだろう。

「おい、ロン。今回もパートナーは、いそうにないなぁ。まだ読むのかい?」

ロンに聞いてみると、「保育園の先生ちゅうのも、気は遣うし、体力がいるんやなぁ。子供らと走り回ったり、抱っこしたり。わいも園児になりたいわ。もう少し読んでみよか」とロンは、パソコンに顔を近づけた。

どうやら、ロンは優しい先生にヨシヨシされたいようだ。そういやぁ、以前にも、美穂の中学の同級生だった永遠さんという女性に、一目惚れしたんだったな。散歩の途中で出会い、飛びかかろうとして大変だった。

毎度のことながら、振られたけど。前世が人間だったせいか、時々、人間の女性に惚れてしまうから困ったもんだ。

永遠さんの名前を出したからか、「久しぶりに永遠さんにもヨシヨシしてもらいたわ。モテるオスは大変や」と、おっさん犬は、しら~っと言う。

「おいおい、モテてないぞ。おまえが惚れっぽいだけだ。まったく、都合のいいように記憶をすり替えるんだから、しょうがないな。それじゃ、続きを読んでみるよ」


『隣のクラスの新人先生、急に辞めちゃうらしい。理由を聞いてみると、園児のアレルギーに気づかず、給食のプリンで、子供が発作を起こしたとのこと。確か、卵アレルギーの子供には別のデザートが用意されていたはずなんだけど。新人の先生は、一人一人の子供の体質を、まだ全部把握できていなかったのだろう。園長先生と、親御さんから責められ、精神的に参ってしまったみたいだ。気の毒といえば、気の毒だけど……。けっこう夢を見て保育士になり、現実の厳しさを知って退職してしまうケースもあるのだ。毎日、可愛い天使と遊んでるだけで仕事になるっていうわけではない。行事があれば遅くまで残業もあるし、ちょっとしたケガでも大きな問題になりかねない。今は、一人っ子も増えているし、大切に育てられているので、保護者からの要望も多い。隣のクラス、次が決まるまで補佐の先生が一人だけになるので、何かと手伝うことになりそう。私も自分のクラスだけでヘトヘトなんだけどな。』


それからは、『今日も疲れた~。』という記事が続いた。ひと月後に新しい先生が来て、隣のクラスも、どうやら落ち着いたようだ。

やれやれ、ご苦労様なことだ。

そのまま読んでいくと、お泊まり保育のことが書いてあった。


『明日は、お泊まり保育の日。それこそ気の抜けない一日だ。夜中に、一人は泣き出す子がいて、一人泣けば、みんな家が恋しくなって泣き出したりする。あまりに泣き止まない場合は、家の人に迎えに来てもらう。無事に過ぎますように!』


『あ~、疲れた。ここに書くべきかどうか……。ちょっと迷う。いつも近くの子の給食のおかずを取って困らせるC子ちゃん、着替えの時に見てしまったけど、右腕に青アザがあった。背中にはひっかいたような傷が薄く残っていて、本人に聞いてみると、「転んだの」と答えた。思わず補佐の先生と顔を見合わせてしまった。もしかして虐待? まさか。今まで受け持ったクラスでは一度もなかったことだ。給食のおかずを取るのも、食べさせてもらってないからだろうか。確か、母子家庭のはずだけれど。このままにしといていいのだろうか? 明日、園長先生に相談してみよう。』


え~、虐待だって! 大変なことじゃないか。

ロンの方を見ると、「小さな子供や動物の虐待は、本人が対処できへんさかいに、切ないな。どないしたんやろ。続きを読んでみよか」と促した。


『今日、園長先生にC子ちゃんのことを相談してみた。私はC子ちゃんのことが心配だったのだが、園長先生は園の問題になることが心配のようだった。「そう。でも、薄く残った傷ぐらいじゃ、ハッキリと虐待とは言えないでしょ。あなたは知らなかったかもしれないけど、今までも、虐待やネグレクトの問題は起こっていたの。一度、専門の人と相談して対処したら、園の責任も問われて大変だったわ。担任だった先生は辞めちゃうし。あなたも辞めたくないでしょ。とにかく、無事に卒園させてちょうだい。ここを出てしまえば関係なくなるから。お母さんを責めて、逆恨みされて訴えられても困るわ。とにかく、穏便に対処して。もし、本当に……そういう人なら、尚更、何をするか分からないから気をつけてね。それでも、何か気になるなら、自分で判断しないで私に任せてちょうだい。いいわね」園長先生の、ひと言ひと言が胸に重くのしかかった。正直、がっかりもした。でも、園長先生の言われることも分かる。私だって、揉め事は困る。けど、このままでいいのかしら。』


『C子ちゃんに、「朝ご飯を食べた?」と聞いてみたら首を振った。本当はいけないんだけど、私が残業でお腹が空いた時に食べるお菓子を食べさせてしまった。他の先生にみつかったら、園長先生に言いつけられる。ほとんどの先生が、園長先生側だ。これっきりにしよう。』


それからも、わざわざパンを用意して食べさせたりしていることが書いてあった。


『このままではいけない。C子ちゃんに聞いても、黙り込むだけだった。お母さんに、それとなく尋ねても、「しつけはしてます。ウチのことに口は出さないで」とだけ。それ以上は聞けない。でも、またアザをみつけてしまった。このままでいいのだろうか。いけないとは思う。けど、私も当初から頑張ってきたこの園を辞めたくはない。私は、普通に子供達と関わり、普通に小学校に送り出す。それを仕事にしている、一人の保育士。そう、先生なのよね。今まで、そこまで考えたことがなかったけど……。もう一度、園長先生に相談してみよう。』

桃先生は悩んでいるみたいだった。

書き込みも、

『何とかしなさいよ。先生でしょ。』

『お母さんと、もっと深く話しあうべきよ。』

『児童相談所に、すぐ知らせなさい!』

『園の名前を出しなさい。』

など、痛烈な意見が多かった。

ブログというのは、つい独り言の日記のように書いてしまうが、見えないところでたくさんの人が見ているのだ。桃先生も、そのことに気づいたのか、それ以降は記事を更新してなかった。

園長先生に相談して、どうなったのだろう? 解決の方向に向かっているならいいけど、なんとなく、そうではない気がした。もし、解決できそうなら続きを書いているのではないだろうか?

「ロン、こっちまで心配になってしまうな。とはいえ、僕達にできることはないんだよな」

僕は、前足で耳を掻いているロンに問いかけた。

「そやなぁ。ブログの世界やから、さすがにわいかて、手も足も出せんわ。また、記事を更新するかもしれへんさかい。しばらくたったら、覗いてみようや」

ロンも心配しているようだ。

「そうするか。それに、可愛いメス犬もいないみたいだし。今回も、残念だけど空振りってことだな」

僕もロンも、ちょっと気が滅入ったまま、とりあえず今日のブログ散策は、ここまでにした。


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