(第2章)   じじいの銭湯だより

ブログを始めてから十日が過ぎていた。

僕が会社から帰ると、「ブログを見せろ」と、ロンがワンワンうるさく吠えてくる。以前は庭で飼っていたのだが、いつのまにか大きな顔をして家の中にいる。

とりあえず、おっさん犬を宥め、晩飯と風呂を済ませてから、ブログを開くのが日課となった。今までに数回、ロンになり代わり、

『あなたのワンちゃんの心の友になりたいです。時には、お悩みあれば、相談に乗りますよ。ワンワン。』

とか、

『おっさん犬に話しかけてくださいね。お友達になりたいワン。』

などと、少々、僕の方が恥ずかしくなるような記事を更新した。

一応、人助けの意味も含めて、悩み相談などと書いたが、考えたら変な記事だ。それでも、ご縁があれば繋がるもんなのかな。

「今日こそは、可愛いワンちゃんを飼うてる人から、コメントが入ってるかもしれんでぇ」と、ロンはウキウキしながら画面を覗き込む。が、この一週間でコメントを書き込んでくれたのは、美穂だけである。

娘は、宇宙の使者?という、ロンの正体をなんとなく知っていて、夢の中で会話をしたこともある。

『ロン、たまにはパリまで飛んできて、夢の中に現れてよ。ヨシヨシしてあげるわよ。』

と、ハートマーク付きで書き込みをしてくれていた。

ロンは「嬉しくないわけではないけどな。やっぱ、まだ見ぬ、わいのパートナーと戯れたいわ」と、頭をもたげた。地球での使命など、そっちのけでがっかりしている。本人、いや本犬は、かなりブログに期待しているのだろう。

僕は、なぐさめるつもりで、「じゃあ、こっちから探しに行ってみるか。待ってるより、自ら動くんじゃなかったのか?」と、おっさん犬を元気づけた。

すると、「それも、そやな。しょげてる場合やない。ほな、早速、ワンちゃん飼うてる人を探そうや。よっしゃ、パパさん、明日は仕事休みやろ。こうなったら朝まで探すで~」と、がぜんロンはやる気になった。発情期ってやつなのかな。

仕方ない、この際だから恩を売っておくつもりで、「よし、僕も協力するよ」と腕まくりして応えた。よく考えると、なぜ飼い犬に恩を売っておく必要があるのか、分からなかったけど。

しかし、「犬を飼っている人」限定って、どうやってみつければいいんだ? え~い、片っ端から覗いていくか。

二時間近く、色んなブログを見ていると、さすがに疲れてきた。

「ちょっと休まないか?」

僕はコーヒーでも淹れようかと、立ち上がった。

「ほな、その間、わいがやってみるわ」

ずっと座卓の横で見ていたロンが、前足でキーボードを操作し始めた。二本足で器用に、つかまり立ちのような態勢になっている。

「なんだ、できるじゃないか。壊さないでくれよ」と僕はあくびをしながら、リビングを出た。

コーヒーで一息ついて戻ってみると、ロンが画面を凝視している。

「やっと、お気に入りのワンちゃんを飼っている人をみつけたのかい? よかったじゃないか……」

僕もそのブログを覗き込んだ。誰もいない時は、声に出して話しかけることにしている。

「おいおい、なんだかフリーズしてないか? しかも、ワンちゃんとは無縁のようだけど……」

「そうなんや、ここから動かんようになってしもうてな。おかしいな。なんとかしてや」

ロンは、人間のするしぐさのように首を捻った。

「壊れたんじゃないか。だから、言わんこっちゃない。どれどれ」

僕は、少し上から目線で言ってやった。いつも、飼い犬に見下されているような気がしているので、この時とばかりに、飼い主としての威厳を見せつけてみた。しかし、キーをあちこち押したり、マウスをカチカチとクリックしてみても、固まったままだ。

威厳もどこへやら、「う~ん、どうしたらいいんだ? いったい、このブログは何なんだ?」と僕は、おっさん犬のバカにしたような視線を後目に、あらためてそのページを見直してみた。タイトルは、『じじいの銭湯だより』で、ブログを始めて半年くらいである。どうやら、銭湯の宣伝っぽい。

プロフィールの欄を読んでみることにした。


『東京の片隅で、じじいが番台に座ってる、古くからの風呂屋です。「富士の湯」といいます。わしの名前は、平松龍一郎。みなからは龍さんと呼ばれてます。たいして自慢することもない風呂屋ですが、あったかい湯船に浸かれば、少しは悩みも癒されるやも。遠い未来のことを思い悩んだところで仕方ない。まずは、のほほ~んと湯に浸かって、明日のことを考えてみちゃあ、どうです? いい湯だな、あははん。若い人は知らないかもしれませんな。たまには、さびれた銭湯も悪くないと思った方のご来店、お待ちしております。』


じいさんの写真がアップされていて、歳は七十歳くらいかな。あまりハッキリした写真ではなかった。

銭湯の写真も添付されていたので見てみると、かなり年代を感じさせるが、外観の造りは立派な瓦屋根で、なかなか趣がある。中に入れば、番台があり、脱衣所は広々としていそうだが古めかしい。積まれている衣類入れの竹カゴも、色が変わっている。少し綻びたマッサージチェアもあるようだ。なんだか、ビンのコーヒー牛乳を、裸のまま腰に手をあてて飲みたくなるような雰囲気だった。

大浴場は今どきの洗練されたスーパー銭湯とは、かなり見ための印象が違う。ところどころの壁の染み、目の前の色あせた大きな富士山の壁画、これぞ、銭湯~という雰囲気を醸しだしている。まあ、寂れ感は半端ないけど。でも、なぜか? 胸にこみ上げてくる懐かしさがある。

ロンは、いつものポジティブな発想で、「もしかしたら、ここにパートナーとのご縁があるかもしれへんなぁ」と考え込んでいる。

銭湯に、ロンのパートナーがねぇ。

「じゃあ、ウチから行けない距離でもないから、下調べにお客として風呂に入ってこようか?可愛いメス犬を飼ってたら、帰ってきてから教えてやるよ」

銭湯なんて、何十年ぶりだろう。子供の頃を思い出すな。たまには、妻の節子を誘ってのんびりしてくるか。僕は、なんだか楽しくなってきた。

「どうだい、なかなかの名案だろ?」と横を向くと、なんとこのおっさん犬もフリーズしていた。じーっと画面を見たまま動かない。

「おっ、おい、どうしたんだよ。おまえまで固まることはないじゃないか」

少し心配になって、僕はロンの体を揺さぶった。

すると、「ん、なんや、ビックリするやないかい。つい、寝てしもうたわ」と大きく伸びをした。

「なんだ、寝てたのか。で、さぁ、僕が銭湯に先に偵察に行ってこようか……」とロンに話しかけると、「寝てる間に考えとったんやけどな。まずは、コメントを書いている人のブログを見てみようや。現地に行くのはそれからや。もしかしたら、書き込みしてる人の中に、わいのパートナーがおるかもしれんでな。まぁ、とにかくそういうことや」と、あっけなく僕の意見は却下された。

「そういうことや」って言われても……。寝ている間に、宇宙のどこかに行ってたのか? それとも時空を超えて、未来に行ってきたのか? ロンは時々、不思議な言動で僕を驚かせることがある。

この銭湯に、何か秘密があるというのだろうか? そういやぁ、映画では銭湯と古代ローマが繋がってたな。あれは面白かった! って、現実にはありえない話だ。けど、ロンそのものが、ありえないわけだから、銭湯が遥か宇宙や未来の入り口だとしても不思議ではない。宇宙人が風呂に入ってたりしてな。

まっ、壮大な想像はこれくらいにして、コメント欄を見てみるか。そんなに何人も書き込んでいるわけではなさそうだ。画面を触ると、動いた。直ってるぞ。

二か月ほど前の『てんさく』という人の書き込みを読んでみることにした。

『懐かしいですわ。若い頃、大阪でお笑い芸人になろう思いまして、家を飛び出したことがあるんですわ。金ものうて、週に二回ほど風呂屋に行くのが楽しみで。ここは、なんや味のある雰囲気ですなぁ。一度、寄せてもらいますわ。』

関西弁のような言葉でコメントしてあった。

へぇ~、芸人さんになろうとしてたのか。でも、どうやら挫折したらしいな。僕があれこれ思考を巡らせていると、ロンの声がした。と、いってもテレパシーだけど。

「銭湯が宇宙の入り口かいな。ほんま、妄想するのが好きやな。ほな、『てんさく』いう人のブログを見に行ってみるか」

おっさん犬が、いつものとぼけた顔で伝えてきた。

「この人でいいんだな」とロンに確認してから、『てんさく』というURLをクリックした。

何かが始まりそうな予感に胸がざわついていた。

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