Ep.2 這い寄る暗影

「っはははははは! なんだよそれ! バカだなーあゆむは!」


 住宅街には勇翔たちの楽しげな声が響き渡っていた。


 だが組木勇翔くみきゆうとは、やはり前村歩まえむらあゆむに格闘ゲームで勝つことはできなかった。


 ……にも関わらず、勇翔は落ち込んだ素振りを見せることもなく、それどころか学校を出た時よりも楽しそうに歩たちと会話を交わしていた。


「そんなバカ丸出しのテンションで言われても説得力ゼロないって。お前の賑やかすぎるオツムよりはマシだ」


「おぉん!? 言ったなオイ! おい、夏芽なつめもなんか言ってやれって――!」


「はぁ……本当に元気っすねー、センパイたち。ま、そういうとこ嫌いじゃないっすけど」


「あー? なんだよ、その言い方……」

「褒めてるんだか、貶してるんだか……なんだか引っ掛かるな……」


「褒めてるんすよ! まあ、それはともかく――」


 そんな中、夏芽は急に改まった様子で、わざとらしく咳払いをした。


「……あの、ちょっと真面目な話していいっすか?」


「急にどうしたんだ?」

「まさかお前、俺らに説教でもすんのか!?」


「いやいや、そんなわけないじゃないっすか! ただ、ちょっとセンパイたちのお耳に入れておきたいことがあって……」


「ほう?」

「……何か、重要なこと?」


「お二人にとっちゃ重要なコトかもしれないので、一応」


「ほほう」

「それなら、詳しく聞かせて」


「では、失礼して。……センパイたち、聞きました? あの~……赤城あかぎ先輩っているじゃないすか、校内でも超有名な……。――それであの人、最近また停学喰らったらしいんすよ」


「ああ……、あの人か。俺は同じ部活だから知ってたけど、勇翔は?」


「あー、アイツね。……んなこと知らなくていいし、関わりたくもねえって…………」


「まあ、それは違いないっすね……。でもセンパイ。あの人、停学中なのをいいことに、時々学校の近くをうろついてるのを見かけるって話があるんすよ」


「えっ……それは……」


「うっわあ…………だっっっっる。っていうかアイツ、停学になってばっかだな……あれだけ問題起こしといて、なんで退学になんねえんだよ?」


「いや~……詳しくは知らないっすけど、校長となんかあったみたいっす……」


「なんかってなんだよ」

「さあ……なんか、色々と? っすかね?」

「曖昧すぎねえ?」


「むしろ、夏芽ちゃんがその“なんか”まで知ってても怖いだろ。……なあ勇翔。とりあえず、この話は、もうここまでにしないか?」


「……ま、そうだな。話しててもいい気分しねえし」


「あたしも賛成っす。……てか、そろそろ四神代駅っすね。ここで解散しときます?」


「ああ、そうするか――」


 そんな賑やかな会話に彩られた帰り道の空気も、いつしか雲行きが怪しくなったところで、夏芽は解散を提案した。


 そして、勇翔がその提案を呑もうとした時――


「…………………っ!」


 ふと、妙に冷たい風が、勇翔たちを包み込むように吹き付けた。


「…………なんだ、今の?」


 それはただの突風ではなく、まるで彼らの恐怖心を煽ってくるような錯覚にすら陥る、怪しい風だった。


 その風に吹かれたことで、勇翔はたちまち悪寒に襲われた。


「…………え? どうしました、センパイ?」

「――勇翔?」


 だが、その感覚に陥ったのは勇翔だけのようだった。


 いきなり立ち止まり、不安げに辺りを見回す勇翔を不審がったのか、歩と夏芽は怪訝そうに彼の顔を覗き込んでいた。


「…………っ! ああいや、なんでもない! ほら、駅で解散するんだろ? 行こうぜ――」


 しかし勇翔は、自身が覚えた違和感を二人に話すこともなく、夏芽の提案通りに近くの駅へ向かおうとした。


 だが。

 その時だった。


 ――カツッ、カツッ。


 勇翔たちの背後から、突然足音がしたのだ。


「…………は?」


 その音に気づいた勇翔は、すぐさま後ろを振り返った。


 何せその足音は、まるで勇翔たちとの接触を狙いすましたかの如く、この路地を通りかかった瞬間に聞こえてきたのだ。


 その時点で、嫌な予感がした。

 硬いブーツの足音が、妙に重たく耳へ響く。


 ――カツッ、カツッ。


「な、なんか近づいてきてないっすか……?」

「えっ……!?」

 歩と夏芽もその音に気づき、思わず後方を振り向いた。


「おい……ふざけんなよ……」

「――まさか、後をつけてたのか…………?」


「いや、そんな…………さすがに……じゃない……っすか……?」


 勇翔たちは冷や汗を垂らしながら、遠方からこちらへ近づいてくる人物の姿を見つめていた。


 そして――。


「はっ、何だお前ら? バカみたいに群れて、いちいち騒ぎやがって。恥ずかしくねぇの?」


 その人物はこちらへ近づいてくるなり、勇翔たちに心ない言葉を投げかけていた。


「こいつ……ッ!」

「噂をすれば……っすね……」

赤城あかぎ先輩……!」


 当然、勇翔たちは気分を害した様子で、その人物と対峙していた。


 赤城あかぎと呼ばれたその少年は、何故か得意げな表情で、勇翔たちが通ってきた帰路のど真ん中に仁王立ちしていたのだ。


 奴はその名の通り、髪を赤く染めていた。


「ああ? んだよ前村、それに組木勇翔! ……せっかく会いに来てやったってのに、釣れねえなぁ?」

 赤城は明らかに勇翔たちへ目をつけていた。


「あたしはシカトっすか……」


「――なあ、いちいち反応しなくていいって。無視しようぜ、歩、夏芽」

「いや、でもな、勇翔……!」


「センパイの言う通りっすよ。さっさと帰りましょ? ……変な人にいちいち絡むと、後で疲れちゃいますよ、前村センパイ――」


「やめてくれ。頼むから、そんなこと言わないでくれ、夏芽ちゃん……!」


「えっ?」

「はぁ? 何言ってんだよ、歩――」


 赤城と対峙した瞬間、歩は異常なほどに取り乱していた。


 続いて、彼は赤城のことを無視してこの場を凌ごうとする勇翔たちを諫めた。


 夏芽と勇翔は同時に疑問の声を上げるが、歩は手でそれを制し、一人で赤城に近寄っていく。


 勇翔は二人が知り合いであることは知っていた。


 しかし勇翔は、歩がここまで嫌悪感を示して奴へ接していることまでは知らなかった。


「……先輩、やめてください。勇翔たちになんの用があるんですか」


「あァ? ……前村ァ。そりゃお前、決まってンだろ?」


「…………っ!」


 そんな歩の発言に対して、赤城は不気味な笑みを浮かべていた。

 対して歩は、赤城の発言に息を呑んでいた。


「なあ組木勇翔。……お前。今日の朝、何してた?」


「…………は? 急になんの話だよ――」


「この動画に映ってんのは誰だって話をしてンだよ!」


 そしてスマホを取り出し、ある動画を勇翔たちの目の前に突きつけたのだ。


「お前っ――――!」


「は…………っ!?」

「えっ…………!?」


 勇翔が反応すると同時に、歩と夏芽も揃って驚愕の声を上げる。

 それは、勇翔が少女を助けた時の動画だった。


 否。

 といってもそれは、勇翔から見た話だ。


 観衆から見た勇翔の行動は、全く違うものとして彼らの目に映っていたのだから。

 事実……その動画には、蓋を開けたペールから何かを引っこぬく“変な仕草”を披露する勇翔の姿しか映っていなかった。


 しかし、そこまでは勇翔の予想通りだった。

 確かに勇翔はこの状況を恐れて、この動画を撮った観衆たちに向かって、「撮った動画はネットに上げないで」と伝えはした。


 が。


 撮った動画をネットに上げるなと本人に注意されたからといって、バカ正直にアップロードすることを躊躇する観衆など、いないだろう。


 何せ、相手は勝手に人の行動を撮ってアップする連中だ。


 これだけ奇怪なパフォーマンスを披露する高校生を動画に収めておいて、スマホのフォルダの中で腐らせておくのは勿体ない。

 当然、多くの観衆がそう考えたのだろう。


 結果、彼らはSNSにこの動画を投稿した。

 そこまではいい。


 だが、勇翔は一つ誤算していた。

 それは、この動画が瞬く間に世界中の人々に広がったことだ。


 その証拠が、赤城が勇翔の目の前に突きつけている動画の詳細だ。


 再生数も、ハートも、コメントの量も。

 動画の詳細欄に小さく表記されたそれらは、全てとんでもない数字を記録していた。


 〈再生数:1.2M/いいね:180k/コメント: 24k〉


 ――と、いった風に。


 結果、勇翔の奇行だけが一人歩きし、映像の知名度だけが上がっていたのだ。


 本人からすれば、迷惑なことこの上なかった。


「ギャハハッ! なぁ組木勇翔! お前、なんでこんなバカみたいなことしてんだよ!?」


 赤城はそんな勇翔を嘲笑い、侮蔑の表情に満ちた顔をぐいと彼の眼前に近づけた。


 ……が、そんな悪意を前にしてもなお、勇翔は思考をやめなかった。


 今朝、勇翔が助けた少女は、「この人たちには、一人で喋って変な挙動ばっかりしてるキミしか見えてない」と言っていた。


 だから、恐らく……本来あの少女は、人間に見えてはいけない存在なのだろう。


 事実、彼女は自身のことを『人外』だと言っていた。


 少女に触れた時に感じた、あの冷たい感触だって謎のままだった。


 一体、彼女は何者なのだろうか。


 ……いや。

 今はそれよりも、考えるべきことがある。


 とりあえず、まずはこいつを黙らせないといけない。


 赤城はおかしい。


 でも、朝に出会った少女の方がもっと不可解で、人間に見えないと自称する分、おかしいだろう。


 こいつは、人間である分まだマシだ。


 だから……


 勇翔は自身にそう言い聞かせた後、自分たちに悪意を振り撒こうと動画を突きつける赤城に再び立ち向かっていた。


「お前のオツムじゃ、俺が何やってるか一生分かりっこねえよ。これは俺にとって大切なことだから、行動したんだよ。……それだけのことだ」


「あァ?」


「おい、勇翔!」

「センパイ!?」


「はッ、こんなんが『大切なこと』かよ。……んなくだらねぇモンなら、こうやってネットで笑い者にしてやるのが妥当だよなァ!?」


 しかし、そんな勇翔の覚悟を踏みにじるように、赤城は変わらず勇翔を嘲笑ってばかりいた。


「バカが、笑いたいなら笑え。……けどよ、それならお前、そのツラ一回ぐらいは殴られたって文句言えねえわな?」


 だからか、勇翔は無謀にも赤城を挑発した。


「おーおー! カッコいいねぇ! いいぜ!? やってみろよ! ……お前のパンチなんか効かねェからよ」


 対する赤城は、そんな挑発や暴力沙汰に慣れているからか、ドスの効いた声で威嚇してきた。


「おい、やめろ! 勇翔!」

「ダメですってセンパイ! 危ないっすよ!?」


「うるせえ! いちいち止めにくんな!」


 また、そこで歩たちが止めに入るも、勇翔は二人の声を遮るように叫んだ。


「おー、怖ッ! ……ほら、来いよ」

「そんなに死にてぇならやってやんよ!」


 勇翔はもう後に引けなくなっていた。

 かたや赤城の方も興が乗ってきたのか、その表情は喜色に歪んでいた。


「はッ! 殺したこともねぇクセにイキってんじゃねえッ!」

「うるせえっ!」


 そんな一触即発のピリついた空気を割り、まるで闘いのゴングを鳴らすかの如く、勇翔は赤城へ拳を振りかぶっていた。


 それを見た赤城も、嬉々として拳を構えた。


「――やめろっ!!」


 だが。


 そんな二人の争いを止めるべく、普段は温厚で怒った表情なんか滅多に見せなかった歩が、鬼気迫る表情で怒声を上げた。


 勇翔は反射的に動きを止め、歩の方へ目を向けた。


「頼むから、やめてくれよ……っ。ねえ、やめましょうよ、赤城先輩…………そういう暴力行為はやめるようにって、散々言われてるでしょ……!」


 しかし歩はそんな大声を出したことを後悔している様子で、声を震わせながらも、赤城へ抗議していた。


 歩はひどく怯えた様子で赤城と接していた。


「歩……!」


 歩の表情を見た勇翔はようやく我に返り、自身の行いを悔いた。


 しかし勇翔が反省している間も、地獄のような空気は続く。


「あァ? ジャマすんじゃねェよ、前村」


 歩が争いを止めたことで赤城は舌打ちし、鋭く彼を睨みつけた。


「……先輩、お願いします。ここは俺の顔に免じて、許してやってくれませんか? 勇翔だって、悪気はなかったと思うんです……っ」


 一方で歩は必死に言葉を紡ぐが、その声は弱々しく、今にも裏返りそうなほどに擦れていた。


「はぁ? バカ言うんじゃねぇ! ケンカ吹っ掛けてきたのはアイツからだろうが! こいつは俺がブッ潰すって、もう決まってんだよ!」


「……………!」


 だが、赤城は苛立たしげに指をポキポキと鳴らすばかりで、取り付く島もない。


「うっわ、マジすかこの人。最初にセンパイのこと煽ったのは自分なのに、それを棚に上げるって……」


 そんな赤城との会話のあまりの手応えのなさに、夏芽は思わず小声で呟いた。

 しかし、その失言を赤城が聞き逃すはずもなかった。


「あァ? ……てめェ、今なんつった? 調子乗ってんじゃねぇぞ、イモ女……」


「ひッ…………!」


 赤城は片眉を鋭く吊り上げ、低く唸るように夏芽を威嚇していた。


「やめろ! 毎回誰かにキレねぇと気が済まねぇのかよ! いちいち絡んでくんな! このクソ野郎!」


「てめェ……ッ!!」


 しかし、赤城の怒りの矛先が完全に夏芽の方へ向き切る前に、勇翔は再び赤城を挑発した。


「お前……っ! 何してるんだよ勇翔! 馬鹿な真似はやめろ! なんで――」

「バカじゃねえよ! いいから逃げるぞっ!」


 が、勇翔も考えなしにそんな暴言を吐いたわけではない。


 勇翔はいよいよ、相手が対話不能な人間であることに気付き始めていた。

 だから勇翔は、いっそ退散する選択肢を取ったのだ。


 そう。話が通じない相手に時間を割く余裕はない。


「なっ!?」

「うぇっ!?」


 勇翔は歩と夏芽の腕を掴み、先ほどまで彼らが向かっていた“四神代駅”がある方向へ走りだしていた。


「…………ッ、てめェらあああああああああッ!! もう我慢ならねぇ…………ッ! 絶対ぜッッてェブッッッッ殺してやらァッ!!」


 赤城はそんな勇翔の行動に逆上し、野生動物らしく咆哮を上げて全力で追ってきた。


「ちょっ、センパイ! 痛いっすよ!」

「文句は後だ、夏芽! 今は走れっ!」


 隣でわーきゃーと喚く夏芽を宥めながら、勇翔は彼女の腕を引っ張って必死で逃げる。


「ここで散らばれ!」


 そして。

 勇翔は道が十字路に差し掛かったタイミングで、息を切らしながら叫んだ。


「バラけて、少しでもアイツを撒く確率を上げるんだ!」


「え、ちょっ、そんな――」


「…………っ」


「いいから!」


 戸惑う夏芽と、不安げにこちらを見つめる歩の手を放して、勇翔は彼女らを一喝した。


「夏芽は左、歩は右! 俺は真っすぐ行く! 頼んだぞ、お前ら!」


「……わかった!」

「…………っ、はい!」


 そして、勇翔の指示に歩が短く応え、夏芽も小さく頷くと、彼らは一斉に別方向へ逃げ出した。


「待ちやがれ組木勇翔ォッ!! 逃げんじゃねェ!!!」


 ――それを追う赤城の咆哮が、後方で大きく木霊する。


 異常なまでの殺気に満ちた赤城の怒声が、勇翔の逃走本能を突き動かすように響き渡る。


 赤城は迷わず勇翔が逃げた方向へ向かっていた。


  ――Ep.2 【這い寄る暗影】



――――――――――――――――――――――


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