勇者にフラれた剣聖王女、婚活の旅に出る

遠野朝里

第1話 断罪された悪役令嬢は氷の騎士に溺愛される

「ごめん。俺、イリスとは付き合えない」


 乾いた夜風が、私の長い黒髪を揺らした。

 城の中庭には、私と彼の二人だけ。

 魔王討伐をねぎらう戦勝祝賀会の最中、私は意を決して彼をここへ連れ出した。

 今日で勇者パーティは解散。だから今日が、彼と共に過ごせる最後の日。


 彼の名はトト。

 我らがブレンディエ王国を脅かしていた魔王を討ち果たし、平和をもたらした勇者。


 澄んだ青い瞳は純粋さの証。

 豆だらけの手のひらはたゆまぬ鍛錬の証。

 傷だらけの体はくじけない心の証。

 困っている人を放っておけない、やさしく善良な心根。

 垢抜けた美男子とは言えない。癖のある茶髪はボサボサで、死闘をくぐり抜けた鎧は傷んでいるし、服の裾もすり切れている。赤い石をあしらった金色のサークレットが唯一のおしゃれと言えるが、それも魔力を帯びた防具だ。

 けれど、ふとした時に見せる表情はとても凛々しい。

 なにより惹かれたのは……卓越した剣の技と、洗練された魔法を操る、その強さ。

 私は生まれて初めて、私よりも強い男性と出会った。

 共に旅をするうちに、惹かれた。どうしようもなく。


「イリス! 俺、あのさ」


 トトがなにか言おうとしている。

 けれど、私の頭の中はぐちゃぐちゃで、喉は焼け付くようにヒリヒリして、全身が虚ろになって動かなくて、ただ、今すぐここから逃げ出したいという気持ちばかりがふくらんで……


「……ごめんなさい」

「イリス! 待って――……」


 トトの声は、風の音にかき消された。

 私は中庭を駆け抜けて塔の螺旋階段を駆け上がり、自室へと飛び込み扉を閉め、息を切らしてうずくまった。


 私、イリスディア・フィニレは、生まれて初めての恋に破れた。


     * * * * * 


「というわけで、ここより南方の渓谷にある戦士の村からは、優れた騎士や魔道士が幾人も輩出されました。それゆえに魔王軍に狙われ……」


 戦勝祝賀会から数ヶ月が過ぎた。

 うららかな午後の日が差し込む王族専用の学習室で、私は教育係のジュードの授業を受けている。

 多くの学者の中から抜擢されたジュードは、魔道具開発においては右に出る者のない天才で、私には過ぎた先生だ。


「ではイリスディア様、次の……」


 ジュードの授業はいつもわかりやすく、勉強が苦手な私のために心を砕いてくれているのが伝わってくる。


「えーっと、イリスディア様?」


 この国の民で一番多い特徴なき人ナーシとくらべて少しだけ長い耳は、彼が森の人エルフとナーシのハーフだから、らしい。


「イリスディア様!」

「はっ……!」


 珍しいジュードの大声に、私は我に返った。


「お疲れのようだ。少し、休憩にしましょうか」

「すみません……」

「頭を使うと疲れますから。特に今は、旅に出ておられた間のぶんも取り返そうと、詰め込み気味にやっていますしね」


 ジュードは縁なし眼鏡を外すと、理知的な黒い瞳を細めて私に微笑んだ。


「さあ、空気を入れかえてリフレッシュしましょう」

「はい……」


 私はすぐに立ち上がり、窓に手をかけた。少しでも体を動かしたかった。

 国を、政を、学ばなければならない。

 私はこのブレンディエ王国の王女。現国王サラーディオ・フィニレの一人娘だ。王族としての責務を果たすため、女王となるのに必要な知識を身につけねばならない。勉強が苦手だからなんて理由で逃げてはいられない。

 わかっている。

 けれど、どうしても、仲間とともに歩んだ旅路のようには心が躍らず、王都を去ったトトのことを思い出しては物思いにふける毎日を過ごし、あげく勉強中に集中を欠くありさま……


「はあ」


 不出来な自分にため息をつきながら、私は窓を開けた。


「姫様、そんな暗い顔じゃ美人が台無しっすよ」

「うわぁっ!?」


 驚いて声を上げたのは私ではない。ジュードだ。開け放った窓の外に、逆さまの顔がにゅっと現れたのだ。


「失礼しますよ、っと」


 窓からするりと入ってきたのは、茶髪をかき上げた、砂色の装束の男性。


「ロビン、どうかしましたか」

「姫様にお届け物っす」

「私に?」

「ええ。ここに置いときますね」


 小包を机に置いたロビンを見て、ジュードは黒髪をくしゃっと掻いた。


「ロビン……せめて扉から入ってきてくれませんか? 心臓に悪いです」

「えー? 姫様は全然驚いてないけどな」

「私は、慣れていますから」


 ロビンはブレンディエ王国の密偵のひとりだ。神出鬼没な彼は、影ながら私を守る任務についているらしい。以前、「私に護衛など必要ありません」と言ったときには、「陛下からの勅命だから、逆らえないんすよ」と返された。


「イリスディア様、ロビンを甘やかさないでください。ただでさえ礼節をわきまえない奴なんですから」

「俺、礼儀作法習ったことないんすよね。ジュード先生、教えてくださーい」

「専門外です。僕は貴族じゃありませんので」


 二人は顔を合わせるといつも軽口をたたき合う。学者と密偵、立場は違うけれど、仲のいい友人同士なのだ。


「ところで、こちらはどなたから?」


 私はロビンが持ってきた小包を手にした。宛名も差出人の名前もない。包装もところどころがよれている。


「ニーナ様からです」

「えっ、ニーナから?」


 ニーナ――魔王討伐の旅を共にした仲間の一人で、卓越した治癒魔法の実力から聖女という二つ名で敬われているシスターだ。


「ニーナ様が城のそばでこれを持ったままうろうろしてらしたので、預かってきました」

「そうだったのですね」


 丁寧に封を開くと、中身は一冊の本と手紙だった。


『れんらく おくれた ごめん。会いたいな。イリスのともだち ニーナ より』


 拙い文面に驚いた。ニーナは私やトトよりも少し年上で、しかも物知りな女性だったから、どうにもギャップがある。

 本の表紙には、向かい合う二人の男女が描かれている。金髪の美しい女性と、銀髪の精悍な騎士だ。


「『断罪された悪役令嬢は氷の騎士に溺愛される』……」


 私が題名を読み上げると、ジュードが言う。


「ああ、城下で流行っている本ですね。僕も読みました」

「おもしろかったですか?」

「僕はそんなに……」

「おいおいジュード先生! 本は読めても空気は読めないんですか? 姫様、それはジュードの感想ですよ。姫様にとっては面白い物語かもしれません」


 被せ気味にまくしたてるロビンに、ジュードは肩をすくめた。


「僕はイリスディア様の質問に答えただけなんだけどなあ……」

「正しい答えが常に正しいとは限らないだろ?」

「ロビンは難しいことを言うのですね」

「ま、人生経験っすよ」

「経験って。あなたは僕より50は年下でしょう?」

「濃密なんだよ、俺の人生は。細く長く生きるエルフとは違ってね」


 私はジュードの耳を見た。エルフはナーシよりもずっと長命な種族だ。ハーフだというジュードも、ナーシとくらべれば遥かに長命なのだろう。ロビンは確か22歳だと聞いているので、ジュードは70歳を超えていることになる――傍目には、二人は同年代にしか見えないけれど。


「じゃ、もう勉強は終わりにして、読書のほうがいーんじゃないっすか? その本読んでおかないと、ニーナ様に返事できないでしょ」

「それもそうですね。ではイリスディア様、今日はここまでにしましょう」

「ですが、それでは……」


 何もかも中途半端だ。私はぼーっとしていてジュードの話を全然聞いていなかったし、ここで授業を終えてしまってはジュードに申し訳ない。


「ロビンに授業を邪魔されてしまいましたから」


 ジュードは私ではなくロビンをちらと見た。ロビンは心外だと言わんばかりの顔をして肩をすくめた。


「ジュード先生のほうこそ、俺がちょっかいかけたくならないように気をつけてくださいよ?」

「はいはい」

「はいは一回でしょ」

「はいはい。ではイリスディア様、また明日」


 二人は私に小さく頭を下げ、軽口をたたきあいながら出ていった。

 学習室には、私と本だけが残された。


(二人に気を遣わせてしまった……)


 魔王討伐を成し旅を終えてから、私は一度も城の外に出ていない。気持ちが塞いでしまっている。旅に出る前には、こんな気持ちになることなどなかった。

 剣を振るうしか能のない私だけれど、せめて周りの人たちに心配をかけないようにしたいのに。


 机の上に残された本にそっと触れる。

 ニーナ、共に魔王討伐を成した大切な仲間。元気にしているだろうか。


「どんなお話なのでしょうか……」


 私は椅子に座り、『断罪された悪役令嬢は氷の騎士に溺愛される』の表紙を開いた。

 今の私に、恋物語を楽しむことができるのだろうか……


     * * * * * 


 ページをめくる手が止まらなかった。

 主人公である侯爵家の気高き令嬢は、冤罪で〝悪役〟に仕立て上げられた。婚約者であった第二王子も彼女を助けてはくれず、婚約は破棄。令嬢は国外追放の憂き目に遭う。

 令嬢は彼女を信じるわずかな人々と共に隣国に身を潜めるが、断罪事件以降じわじわと権勢を削がれる本国の父を助けるため、そして自らの冤罪を晴らすために真の悪を探し出すと決め、動き出す。

 その過程で、令嬢は隣国の騎士に命を救われる。その騎士こそ、圧倒的な強さと怜悧な美貌、そして冷酷さゆえに〝氷の騎士〟とあだ名される人物だった。

 氷の騎士は、令嬢のひたむきさと心の清らかさに惹かれていき、令嬢もまた、冷酷と噂されていた氷の騎士の熱い愛に触れ惹かれていく。


 私は、強く心を動かされた文章をもう一度読み上げた。


「すべてのことには意味がある……」


 氷の騎士は、令嬢にこう告げる。


「あなたに辛く苦しい運命を与えた神に、私は感謝している。あなたが我が国に落ち延びてこなければ、私はあなたに出会えなかった。あなたと第二王子が破局していなければ、私はあなたに愛を告げることさえ許されなかった」


――ニーナは、どうしてこの本をくれたのだろう。

 令嬢の破滅が幸福を掴むための試練だったのなら、私がトトに拒絶されたことにも何か意味がある……ニーナはそう言いたいのだろうか。


 氷の騎士は、さらに続ける。


「あなたという光が外の世界へ放たれたのを、見逃さなくてよかった」


 外の世界へ出た令嬢は、新たな運命をたぐり寄せた……

 私の視線は、窓の外へ向いた。もう日はとっぷりと暮れていて、夜空には煌々と輝く満月があった。


「城下に凄腕のイケメンがいるらしいですよ」


 驚いて振り向くと、ロビンがいた。いつの間に。


「銀の鎧を身につけた、銀髪の男らしいっす。噂になるくらい腕が立つってんなら、釣書のボンボンたちよりは骨があるんじゃないっすかね」

「……」

「ま、読み終わったんなら、そろそろ食堂に。夕食のお時間ですよ」


 ロビンは学習室を出て行った――窓から。


「強い殿方が、町に……」


 私はこの国で一番の剣士だ。13歳のとき、当時の騎士団長との試合で勝ってしまった。

 そんな私よりも強い殿方は、これまでは、トトだけだった。

 もしも本当に、その方が私より強いのなら……会ってみたい。

 

 あの戦勝祝賀会の日以来、初めて、私は「外に出たい」と思った。

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