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*****



 近日中とは言ったものの、まさか翌日に訪問してくるとは思わなかった。

 日差しのおだやかな午後である。修練場のかげで、白い雲がゆっくりと流れる青空をながめ上げていたアリアは、「すまない、待たせたか」と現れたジークフリードをり返る。


「いえ、私もつい先ほど参りましたところで……」


 とはいえ、建前上首を横に振ったものの、実際にはきんちょうしすぎて、約束をしてからずっとき時間はここでばかり過ごしていた。どうにも落ち着かず、昨晩いっすいもしていないことも伝えるつもりはない。

 むしろ単に落ち着かないというより、しょけい前夜のような心持ちだった。己がアリアの首におのを落とすしっこうにんになるとも知らないだろうジークフリード殿下には、目の下のクマの存在を察知されていないことを祈るばかりだ。

 昨日きのうの今日であいまみえるうるわしのごそんがんを、アリアは複雑な気持ちで眺めやった。


「わざわざご足労いただいて申し訳ございません」

「いや、こちらこそ。で、君の秘密というのは……?」

「まずはこちらを」


 情けなくうわりそうになる声を張り、努めて冷静に見えるように。アリアは、さくじつぐるままで借りてあらかじめ運んでおいた、大きな木箱を示した。本来のようとしては、市場やちゅうぼうなどで野菜や果物を入れるためのものだ。

 首を傾げる彼に、「危険物だとかんちがいされてるのかも」と思い至り、慌てて自分の手でかいふうする。いやまあ危険物は危険物かもしれないが。開封によってばくはつさんするのは、己の魂のみなので。

 ――中から出てきたのは、大量の冊子である。

 背表紙を天に向け、ミッチミチに隙間なくめられたそれらの本は、赤や黄、うすももや緑と、色とりどりの表紙がにじのように美しく。いちべつでは、聖典や聖務の関連物のようだろう。基本的に、一冊一冊はごく薄いけれど、たまにギョッと引くほどの分厚さのものも見受けられる。


「これは……?」


 かたまゆを上げ、訝しげな顔で箱の中の冊子をのぞき込むジークフリードに。まずアリアは大きく息を吸い、それをゆっくりき出すように、低く答えた。


「……本です」

「いやそれはわかるんだが……」

「…………失礼いたしました。こちらは、ロッドガルド大神殿の巫女や巫女見習いたちの間で、らくぶつとしてひそかに愛好されているしょせきたぐいで、つうしょううす聖典ほん』といいます」

「薄い聖典……」


 いかにもおごそかな口調で、ジークフリードが復唱してくれる。この時点でアリアは死にたくなった。


「さ、……最初にお断りしておきたいのですが。これらは全て有志による自費で、かつごくごくひそやかに刊行されているものです。もちろん市場に流通してはおりません」

「そうか。自費で書籍を……すごいな。さすが大神殿に使える聖職者とあって、みななんとも勉強熱心なことだ」

(ヒッ)


 やめてください感心したように頷かないでください。めてほしくて言ったんじゃないんです。あと熱心は熱心なんだろうけど熱の注ぎ先は断じて勉強にではありません。


「手に取ってみても問題ないか?」


 当然といえば当然だが、興味をそそられたらしいジークフリードからたずねられ、アリアは重苦しい息を吐き出しつつ頷いた。

 今の時点では、どうしてアリアがこんなっぱいものを口に詰められたような表情をしているのか、彼としては想像もつかないだろう。数秒後には嫌でもご理解いただけるだろうが。

 片手を挙げて「失敬」と断り、ジークフリードは冊子―― 『薄い聖典』をいくつか選ぶ。それから、じゅんりにざっと表紙に目を通し。

 ――固まった。

 当たり前だ。


(うっ)


 アリアは内心でうめく。もうシクシクと胃が痛い。


「……なん、だ? これは……『我、王子として生をけ』『ジークフリード戦記』『王太子殿下のゆうな日常』『ジークフリード・イーライへの愛に目覚めた行動派女官は、今日も王宮で大暴れする』『行け行けジークさまふんとう』『私は壁になりたい』……」

「やめて! 私を殺して! 海に捨ててぇ!」


 思わずぜっきょうする。

 不意打ちで題名を音読されて、うっかり落命しそうになったのだ。

 とつじょもんぜつしながら頭をかかえたアリアに、ジークフリードは赤い目を丸くしている。


「す、すまない。何か気にさわることをしたか」

「い、いいえ……も、も、申し訳ございません……こちらこそ大変に不敬な……発言をいたしました……」


 今のでだいぶ寿じゅみょうごと精神力を持っていかれ、息もえなアリアに、いささかあせった様子でジークが恐る恐る尋ねてくる。だいじょうです、断じてあなた様にはなんら罪などございません。

 しゅうしんが耐久度をかろやかに超えたせいで顔を上げられないアリアは、次いでパラパラ、と中身をめくる音も聞こえてきて、悲鳴を吞み込む。

 まさか。読まれている。薄い聖典を。目の前で。よりによって、ジークフリード・イーライそのひとに。

 終わった。何がって、人生が。


(ご、ごかんべんを……もう許して……)


 しばらくその場に、無言でページを繰る音だけがひびいた。

 アリアは再び死にたくなった。というより、なんならここに来た時からずっと死にたい。いっそ天からいきなりやりが降ってきて、自分だけにちょくげきしないかなと願ってもみた。だったが。


「ええと、…………すまん。念のため確認させてほしいんだが。これに登場する『ジークフリード・イーライ』というのは……俺、か……?」

「……」


 今度こそ何も答えられず、アリアは両手で顔をおおった。

 の鳴くような声で「さようでございます……」と返事ができたのは、たっぷり数十秒はかんかくいてからだろうか。


「すまん。ええと、これらが俺についての本だとすると、なぜ君が……? というより巫女たちや巫女見習いたちは、一体どういうけいで」

「それはですね!!」


 そこからはもう、やけっぱちだった。

 いっそ全てを吹っ切ってすがすがしいここにさえなったアリアは、得意のとうはやくちちょうこうぜつを、ここぞとばかり存分に発揮した。

 自分がこうした『薄い聖典』小説の書き手で、しかも大手の題目になってきた「ジークフリードもの」のがんのような存在であること。

 日々ジークフリード王太子殿下の情報を、目を皿に耳をシーツのように広げらしながら収集し、その全てをネタにへんかんして、くうの「わたしのかんがえたさいきょうのジークフリードでんか」のきょもう情熱他諸々を、思う存分にげん稿こうめんにぶつけてきたこと。

 あまつさえ、ねつぞうもうそう五十割の小説を書き綴るのみならず、それを大量に印刷し、同輩から対価を得ては配ってきたこと……。

 結構な勢いで読まれているおかげで、現在は「ジークフリードもの」の読み手ばかりでなく書き手も増え、ここにある本のうち三十冊程度は自分が刊行したが、他は別作家が書いたもののしゅうしゅうぶつであることまで。ちなみに、そうほう合わせて二百冊はくだらない。

 最初はあっに取られて聞いていたジークフリードの目がちゅうから点になったあたりで、アリアはバッと勢いよく顔を下向けた。そこから先は、こわすぎて視線を上げられていない。


「私、今までこれだけあなたでらちな妄想を繰り返してきたんです! いえ、妄想ですませるどころか出力して印刷までかけて銀貨一枚ではんしておりました。これを一冊でも読んだら、いくらあなたが心が広いお方でも、私に失望どころか絶望して、二度と顔も見たくなくなるはずです!」

「……そうか」

「い、以上です……」


 話をくくったあと、痛々しいちんもくが場に落ちた。

(終わった。死んだ。しょけいだ。むしろ殺してください……)


 ジークフリードは黙っている。せいじゃくが、針となってアリアをさいなんだ。

 ――が。


「ええと……総合すると、だ」


 しばらくして、沈黙を破ったのは彼の方だった。


「君は、会ったことのない俺について想像した内容で小説を執筆し、はんばいしてきた、と」

「恐れながら殿下。販売ではなく頒布です」

「……どう違うんだ? まあ、とりあえず続けよう。……あー、頒布してきたと。ただ、一応はちまたした事実をしたきにした内容もあり、その分野の書き手では、ひとかどの地位を得ていると。君が、俺のことにやたら詳しかった理由に、やっと得心がいった」

「はい……」

「例の『慕っている』発言については」

「わーすごーいかっこいい的な、こう、主に憧れとかすうはいとかそっち方面です」

「なるほどな……」


 答えを聞いたジークフリードは、口元に手をやり、目をせた。とても絵になる構図だが、何がどう「なるほどな」なのか。怖すぎる。何より、できたらそのに持たれた薄い聖典を、いったん離していただけるとありがたいです。心臓に悪いので。

 彼はそのまま何ごとかしばらく思案したのち、「……よし」と頷いた。

 魂が燃え尽きたアリアの方は半ばサラサラと砂になりかけていたが、相手が問題を理解してくれたものと思い、じゃっかんホッとする。


「おわかりいただけましたか。では、改めて求婚は取り下げていただいて、こんな気色悪い女などではなく、ぜひ別の問題ない巫女か巫女見習いを選び直していただけたらと」


 口早に言いつのったところで、「いや」と力強くさえぎられて、アリアは目をしばたたく。


「君への求婚は取り下げない」

「はい?」

「聖女候補アリアセラ。……改めて、君に願おう」


 そして、ぼうとうのセリフに戻るわけである。


「君が、今まで会ったことも話したこともない俺について一方的な妄想をめぐらせて書きつづったという小説本三十冊、あとは他作家の手になる作品群の蒐集物、合わせて締めて二百冊。全部読み切っても俺が君に幻滅しなかったら、この求婚を受けてくれるか?」

 ――と。


「本気ですか!?」


 思わずアリアがさけんでしまったのも無理からぬ話である。ただし、残った理性でかろうじてこれだけは付け足した。


「後生ですから、他作家さまを巻き込むのは勘弁していただけませんか……」

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