第二章

2-1


「おはようアリア」

「おはようございますお引き取りください」


 ――ジークフリードは、有言実行の人だった。

 そこもかいしゃくいっする。が、かなうなら、自分と無関係のところで知りたい情報だった……なんてぜいたくなことを願うアリアである。

 今日も今日とて、これまで一度も入ったことすらなかったくせに、いい加減通い慣れてしまったひんしつに出向いたアリアを、あらかじめとうちゃくして待っていたらしいジークフリードががおむかえてくれた。そのほがらかなことといったら「お日様が空から落ちてきたんです?」とにんするほどだ。どうぞ天空のお住まいにおもどりください。

 貴賓室の広く切られた窓からは、朝陽がさんさんと差し込んできていた。そんな明るい場所で見るジークフリードは、改めて「これ日差しのせいだけじゃないな? もはや内側から発光しているのかな? そっかお日様ですもんねふくせん回収しちゃったなあ」とうなずくくらい、さわやかでまばゆい。あざやかなくれないひとみかがやきを帯び、いっそちょめいな画家の手になる絵画のよう。題は『いと高き君』とか『この世の光』あたり。

 かしの一枚板のテーブルには、手のつけられたけいせきのない香草茶のうつわが一つ。きょうおう


づかいを無下にしてしまって申し訳ないが、立場上、毒見なしに飲めないので……」と初日で断られていたらしいが、神官長がりずに続けているものだ。


(まあ、懲りないっていえばジークフリード殿下こそが『そう』だけども!)


 よりによって、あこがれの王太子自らだいしん殿でんまでおしいただくばかりか、どこの馬の骨とも知れない見習いごときをどかせるなどおそれ多い……だとか。

 おいそがしいところ時間をいていただいているのに、お応えできずに申し訳ない……などと、きょうしゅくしたのは最初だけで。アリアも、どうしてなかなかきもの太い人間だったらしい。よく考えれば、ひんみんくつ出のこんじょうたたき上げである。さもありなん。

 開口一番、「くお帰りください」を口でも顔でもふんでも全力で発するアリアに、ジークフリードは少ししょうしてみせた。


「君の事情を聞かせてもらわないことには、あきらめ切れないからな」

「そこをなんとかお引き取りください」

「お引き取りくださいがみたいになっているぞ。第一、そこをなんとかというのは、むしろ俺のセリフじゃないか?」

「なかなかネバネバとおねばりあそばされますね……」

「お粘……ざんしんな敬語の使い方だな」


 最初のお目通りから、もう一週間近くっている。彼は果たして、初日から三日にあげず大神殿をおとずれた。なんのために、なんて言うまでもない。アリアを説得するためだ。じょうだんではなかった。

 彼がやってくる時間帯は不規則で、朝だったり昼だったり、場合によっては日も落ちかけた夕方だったりする。要するに、王太子としてぼうきわめている政務の合間をって、わざわざ足を運んでくれているということなのだ。申し訳ないが過ぎる。

 一昨日おとといも来て、その翌日のおとないはなかったから諦めてもらえたのかと思いきや、二日後には元気に口説きにきたジークフリードに、もはやアリアは頭痛がしていた。

 ちなみに彼の日参が始まってこちら、同じテーブルにつくのを初めこそ固辞していたアリアだが、そうすると「俺だけというわけにはいかない」とジークフリードも席を立ってしまうため、今はもう諦めてさっさと座るようにしていた。それでも一応、すすめられるまでは意地でも立っていることにはしている。いろいろと根比べである。


「どうして私なんですか……」

「協力者として、君が一番ふさわしいと思ったからだ。確実に殿でんの影響下になく、俺を背中からつ危険が低く、かつ神力が強く聖術に通じた人間がしいと。り返しになってすまないが、婚約といってもけいやくじょうのもので構わない」


 いつの間にか向こうもだいぶ打ち解けてきて、アリアへの呼びかけも「あなた」から「君」に変わっている。そういうきょの近づき方もごえんりょ申し上げたいんですが。


「ありがとうございます見込みちがいですお引き取りください」

「つれないな」

「はい。つれませんとも。聖術であれば、巫女長の方が私よりも強いはずです」

おんとし五十をしたご婦人を聖女候補と言い張るのは難しいだろう。一応、名目としては未来の王妃になるべき存在なんだから。それに巫女長からは、生来持つ神力も、聖術の力と精度も、おのれよりも君が上だとおすみきをもらっている」

(巫女長様! 余計なことを!)


 まさかの裏切り。味方だと思っていたのに、背中から撃たれている。

 そこでふと、ジークフリードはやや困ったようにまゆじりを下げた。


「……事情をくわしく話せない以上、俺との婚約を、君が不安に思う気持ちはわかる」

(ヒィイ! 殿下の困り顔のりょく!)


 こう、黒い毛並みの気高く美しいおおかみが、今だけしょんぼりと耳を垂れているような。

「エッかわい……こんなにかっこいいのに……?」とときめいたが最後、反射的にうっかり言うことを聞いてしまいそうになる。聞かないが。


「だが、協力してもらうからには、君の身の安全は確保できるよう、あたう限り取り計らうと約束する。相応の額の謝礼も、当然出そう。それに、こちらの用件が解決だい、任を解くこともちかおう。それでも、やはり難しいだろうか……」


 ジークフリードから、何度目になるかわからないこうしょうをされ、アリアはますます困り果てた。ずっと聖女候補でいなくてもいい、短期で構わない。さる事情があって、どうしてもアリアの力が必要なだけで、それが終わればきちんと解放するから、と。


「……謝礼なんてりません」

 それだけは、かろうじて返しておく。しかし、そこで「! では、……」と身を乗り出そうとするのは、あわてて「ですが、そもそもお引き受けもできません」と押しとどめる。


(うう、どうしよう……)


 アリアはアリアで、こう申し出られた時から、迷いっぱなしだった。

 協力を取り付けるまで詳しいことを話せないというれ込みからして、彼の背景にあるのは、確実にやっかいごとではあるのだろう。おそらくは、ルクレツィア妃殿下がらみの。


(うーん。けどなあ……私の聖術が他の人よりすごいかというと、それは正直かなり疑問だし。私の得意なのって、結構地味で細かいやつばっかりというか。じょうと、聖気をたどってのものさがしくらい? 派手なちからわざはさほど大したことないし、本当は、私より適任がたくさんいるんじゃないかと思う……。でも、ジークフリード殿下が何か

い気持ちはあって……)


 もちろん、聖術の特性による力不足のねんについては説明してある。それでも「いや、問題ない。むしろ助かる」とのことで、彼は引かなかった。


(治癒や浄化や探索が役立つご用事なの? それとも都合上そうおっしゃってるだけ? わからない。ううーん……)


 何せ長年の憧れの人だ。

 彼をネタに、ずいぶんと楽しくしっぴつ活動を続けさせていただいた負い目もある。

 力になりたいかといえば、それはもうぜんしんぜんれいの「はい」だ。自分なんかでお役に立てますならば! という気持ちは、当然ながらある。

 しかし。


(やっぱり、いくら期間限定で契約上のものとはいっても、王太子妃候補になるのはさすがに無理!!)


 行く手をはばむのは、「お役に立ちたい」をしのぐ、あっとうてききょかん。これにきる。

 当然ながら、ジークフリードには問題などなく。全ての原因は、アリア自身にある。


(わ、私がいやなの……! だって、逆の立場で冷静に考えてみて? 自分の知らないところで、自分のことをさいり調べ上げて、すき情報を勝手にもうそうてんして、あれやこれや好き勝手すぎるお話を結構な本数書きつづった上に、それを印刷してゆうしょうどうはいに配っていたようなやつよ!? もし私がジークフリード殿下ご自身……いやそれはちょっとおこがましいから、育ての親の大聖者げい……も同じだし、えーとなんだろ……たとえば殿下の教育係だったり腹心の部下だったり、幼いころお世話していただったりお友達だったり、護衛めし使つかいだったり王宮内の通行人だったり、いやいやそんな厚かましいこと言わずに、殿下のお部屋の家具や壁や床やてんじょうだったりしたら、絶対にそんな気っ色悪い女を大切な人に近づけたくないわ!)


 脳内早口ここにきわまれり、である。


(いくら立場上だけのものだといっても、契約のまんりょうは、私との婚約が彼の輝かしい経歴に残ってしまうわけでしょ……? てんでしかないし申し訳なさすぎる……申し訳なさすぎて死んでしまう……)


 考えれば考えるほど恐ろしさで真っ青になるアリアの様子をいぶかしんだのか、ジークフリードがづかわしげに首をかしげる。


「どうした? 顔色が悪いが」

「生まれてきて申し訳ございません」

「本当にどうした!?」


 とつぜん深々と頭を下げるアリアに、ジークフリードはギョッとしたようだった。如何いかんとも答えがただまり込むと、彼は今度は苦笑する。


「アリア。この際、ほんで答えてほしい。……初日では『したってくれている』なんて言ってくれたが、……それは俺の手前、気をつかっただけで。実のところは、やはり不安を感じているんじゃないか?」

「えっ、と」


 アリアがこんわくしているうちに、だんだん話がおんな方に進んできた。

 ジークフリードはこのおよんで、アリアが仮にでも婚約をしぶるのは、今後己の立場がそこなわれたり、命の危険にさらされるせいだろうと思っているらしい。


つうに考えたらそうかもだけど!)


 それはアリアに関しては、てんでけんとうちがいな心配なのだ。


「そもそもこちらの事情を全く明かさずに、何が起こるかわからない王宮まで、とりあえず信じてついてきてくれというのが、どんなに不誠実な話かは理解しているつもりだ。安全が確保できるようはいりょするという俺の言葉も、信じ切れない気持ちはわかる」

「いえ、その」

「君が、将来をしょくぼうされている巫女見習いだというのは聞いている。だとすればなおさら、俺のようなかげりの見えるかんきょうにある人間のはんりょ候補として、王宮に行かなければらないと聞けば、お先真っ暗だとか、冗談ではないと思うのが自然だろうから……」

「それは断じて違います」


 だんだんちょうじみた調子になっていくジークフリードに、アリアはにぎこぶしで応戦した。


「翳りごとき、いかほどのものでしょう。かんきょうなんかで殿下の輝きがうすれるわけもなく、お立場を思えば不誠実だなんて感じようがありません。そもそもジークフリード殿下の伴侶候補という身分に、不満なんて出ようはずがございません!」

「え? ……は、はあ、そうなのか?」

「そうです! この大神殿だけでも、殿下の無事とせいえいと健康と幸福を祈

いのり、『ジークフリード殿下が日々美味おいしいご飯を食べられますように』とか『ジークフリード殿下がなやみなく毎晩ふかふかのとんでぐっすりねむれているだけで幸せ』とか『ジークフリード殿下に仲良しのお友達がたくさんできたらうれしい』と心から願う巫女や巫女見習いが、どれほどたくさんいることか!」

「願いの方向性が親のそれだが?」


 気遣いは痛みるが、と彼はやや引いた様子で付け加えた。

 全て『名もなき様』の作品群に寄せられた、熱心な読者たちの感想である。新刊を出すと、しばしば寄進入れ箱にとくめいでお手紙が入っているのだ。


「ですから! その殿下から、かりそめでも期間限定でも結婚を申し込まれて、嫌なわけがないじゃないですか!」

「そうか、じゃあ婚約」

「無理です」

「どうなっているんだ!?」

「断じて嫌じゃないんです! 嫌じゃないけど! 無理なんです!」


 伝われ。

 たましいごとしぼり出すような声で、必死にアリアはうったえた。嫌なわけがあるか。ただただ、無理だしダメなんです。


「……そこまでかたくなだと、俺もさすがに、なっとくできる理由がほしい」


 いい加減、かんだいなジークフリードでもごうやしているようだった。


「もし君が、自分の立場や安全を気にして断るなら、こちらも理解が及ぶ。だが、それは違うそうじゃないか。謝礼が足りないのなら、色をつけることはもちろんできるが、そもそも謝礼はいらないと言う。俺はどうすれば、君にきゅうこんを受けてもらえるんだ?」


 どうしてもこうしても受けられませんので諦めてください、と言い張りたいのだが。相手の気持ちもわかりすぎるほどわかるだけに、アリアはにっちもさっちも行かなくなってしまった。


(ううう……!)


 本当は、このめいじょうがたい現状についての打開策を、だれかに相談しておきたい。

 悲しいことにアリアの交友関係は極めてはくだが、幸い、ゆいいつの友人にして大親友と呼べる存在の同期がいる。何か悩みごとがあれば一も二もなく彼女に真っ先に相談するのが常のアリアだが、あいにくその親友は、ここ一カ月ほど、上役の巫女の聖務に付き従って地方じゅんこうに出てしまっていた。


「私自身が! 聖女候補になるには、あまりに不適切な不届き者だからです……!」

「? このところ君に接してきた限りは、そうは思えないんだが」

「表から見えないだけです。かくされた一面がございますので」

「隠された一面?」


 なんのこっちゃという顔をしている彼に、アリアは一度、ぎゅっと目を閉じた。


(ええい、いくらなんでもこのままじゃ殿下に申し訳なさすぎるわ。かくなる上は、私もかくを決めるしかない)


 本当は、そうぜつに話したくない。

 が、自分一人の内なる理由だけで、ここまで憧れの人に散々な不義理を働いてきたのだ。きちんと筋を通すのが人間というものだろう。背に腹は代えられない――


「……では、恐れながら。殿下にお願いがございます」

「願い?」

「はい。近日中でご都合よい時に、私の術をかくにんするために使った修練場までお越しいただけますか。護衛の方は、お近くでいったん止まっていただけたら嬉しいですが、難しければどうはんでも構いません。――私の秘密をお見せいたします」


 それが一番、手っ取り早くげんめつしていただけると思います、との続きは、口に出さず心中のみにとどめておいた。

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