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 ルクレツィア――ルクレツィア・イーライとは、もともとはジークフリードの祖父にあたる前ロッドガルド王アゼクの後妻だった女性だ。

 そしてアゼクのぼつは、よりによって、義理のむすである現王ザグラスの妻におさまった。今も昔も、ねんれいを感じさせない、ようえんな美女だと伝え聞く。

 そしてルクレツィアは、現王に代わってほぼ権力をせんおうしている人物でもあった。早い話、ザグラス王はルクレツィアのあやつり人形であり、――今の王政は、ルクレツィアの思うがままなのだ。


「王太子とは名ばかりで、なんの力もない。俺が無事に次代になれるかもあやしい。いきなりそんな人間の婚約者になれと言われても、かんが強いのはわかるが――」

「いいえ、違いますけれど」


 ぎゃくてきな続きを、思わずさえぎり。考えるよりも先に、アリアの口は動いていた。


「恐れながら、ジークフリード殿下はなんの力もないわけではございません。むしろ、殿下ほど才もあり努力もしまず続けてこられた方でさえ、きょういられるような状況におありなのだと考えるべきではないでしょうか」

「……?」

「ルクレツィア妃殿下とのご関係については、外から得られる情報を整理する限りは、そもそも妃殿下の方から何かと殿下のぼうがいをされている印象です。ひと月ほど前、殿下がご自身の管理下にある商業特別区や軍組織について改革されようとした際など、妃殿下が特に理由なく殿下の案を見直すよう陛下に進言されたことも、陛下がその言いなりにジークフリード殿下の案を退しりぞけられたことも聞き及んでおります。事実であるなら、妃殿下の行為は、義理とはいえ殿下の母ぎみとして極めて不自然です。こうしたことはこれまでも多かったはず」


 今まで誰もをドン引かせてきた、絶え間なく矢を継ぐような早口長広舌を、惜しげもなくかいちんしていく。


「極めつきは大聖者猊下とのご関係です。ルクレツィア妃殿下は猊下と反目し合う仲であるとうかがっております。殿下は猊下の庇護下にあられた時期が長く、てきな親子のようなご関係だとも。そして、王室で今まで聖務を一手にになってこられた猊下のご動向が、最近全く伝わってきません。このことから、王宮では何か、おそらくはルクレツィア妃殿下の主導で、殿下や猊下の管理しきれない事態が進行しつつあるのではと――あっ」

 ――アリアが我に返った時には、ジークフリードはすっかりとされたように絶句していた。鮮やかな柘榴の虹彩が、呆然と見開かれている。

 なんとまあ、こんなけた表情でもかっこいいなんて眼福の極み、……ではなく!


「た、大変申し訳ございません……!」


 アリアは慌ててその場にひれした。といっても、椅子に腰掛けている姿勢だし、目の前にはテーブルがあるので、実際はかしの一枚板に額をめり込ませたと言った方が正しい。

「失礼いたしました。せんえつなことを申し上げました。お忘れいただければ」

「いや、……すごいなと感心していた。王宮の事情をよくあくしておいでだ」

「王宮全体の事情ではなくジークフリード殿下限定です」

「俺限定?」

「ハッ」


 余計なことを言った。


「お忘れください。お聞き流しください」

「いやさすがに聞き流しようもないんだが。俺限定、とは……?」


 だんだんその目がけんのんなものを帯びてくるので、アリアは下手へたを打ったとさとった。


(もしかして、ジークフリード殿下のことに精通しすぎて、ルクレツィア妃殿下の息のかかった不審人物だと疑われている?)


 ならば、それは誤解にも程がある。


「そっ、その、そうではなく……!」


 アリアは焦った。

 とにかくこのとんでもないかんちがいをかなければ。ついでに、当方は敵でなく、どっちかというと、というか確実に味方寄りの者ですとお伝えしなければ。

 はやる気持ちのまま、思わずアリアはさけんでいた。

「違うんです、ジークフリード殿下! わ、わた、私、……! あなた様を、昔からおしたいしているんです……!」

「え……」


 ――焦るあまり、とんでもないことを口走ったと気づいた時には、発言から十秒以上が経過していた。

 ジークフリードは、今度こそ完全に呆気に取られている。なんてことを言ってしまったのか。相手にしてみれば、みみに水にも程があるだろう。


(ま、まずい……)


 今の自分は、絶対に気持ち悪い女だ。

 しゃくめいしなければ。ええと、どうしよう。どうすれば。

 びついて回らない思考の歯車を、アリアが力ずくでグイグイ押しているうちに、ジークフリードの方がいち早く平静を取り戻してくれたようだ。


「……? それは……ありがとう、と言っていいんだろうか。アリア」

「……」


 はいともいいえとも答えかね、とりあえずアリアは真顔でちんもくした。実際は、さっきまでの無表情が運よくり付いたままだっただけ、なのだが。

 この反応の示すところを、ジークフリードは自分なりに解釈したらしい。しばらく視線をめぐらせ、ためらいがちに尋ねてきた。


「しかし、こんなことを聞いては失礼かもしれないが。俺はあなたと、昔どこかで会っていただろうか? 言われてみれば……見覚えがあるような……?」


 まあそう考えるものよなという、当然の疑問である。

 面識もない相手を慕うだなんだと、考えにくいのも道理だ。おうこう貴族なら政略結婚の相手としょうぞうを送り合うそうだが、アリアと彼は当然そんなあいだがらではない。うそをつくわけにもいかないので、アリアはこれもきっぱり断言する。


「いいえ聖典と天地神明にちかって全くいっさいがっさいひと目たりともお会いしておりません」

「やたらはっきり否定するんだな。そうか……いや、待ってくれ。だが、だとすれば不思議だ。どういう経緯いきさつかはわからないが、あなたが俺を慕ってくれているということなら、普通は求婚を受けてくれるものじゃないだろうか」


 ごもっともだ。でも違います。アリアは再びきっぱりと手を横に振る。


「いいえ! 慕うといっても、その『慕う』ではございませんので」

「では、どういう意味の『慕う』か聞いても?」

「はい。とても素敵で素晴らしい方であると思っている、お人柄もご容姿も何もかも大変好ましいと感じ、ありていに言えば大好きである、なんならしんすいしておりますという意味の『慕う』です」

「……? それだと俺の知る『慕う』と、同じ意味に思えるんだが。なんにせよ、好きだと言ってくれるならなおさら

「だからその『好き』じゃないんですって!!」

「なるほどわからん」


 そりゃそうだ。

 アリアは顔を両手で覆いたくなった。実際は身じろぎもできず固まっているに過ぎない。


「とにかく、殿下がお考えの『好き』と私の『好き』は似て非なるどころか、天と地、土くれとこんごうせき、全く別の次元に在するものでございますので! 求婚はお受けできませんし、私は聖女候補になるつもりはございません。お引き取りいただければ幸いです」

「……いや、なっとくしかねるな」


 得意の早口でまとめて話を切り上げようともくんだアリアだが、ジークフリードの方も、そうはとんがおろさなかった。


「先ほどまでは、王宮のきんきょううとく、神殿しか知らないはずのあなたを政争の場に巻き込むのはしのびないと、半ばあきらめようと思っていたのだが。俺の事情をそこまで熟知していて、おまけに『慕う』や『大好き』『心酔』とまで言われているのにこうまで拒絶されるのは、正直こちらとしても心の整理がつかない」

「そこはどうにかがんってください」

「頑張……いや、あなたを諦めるためにく労力があるなら、別のところに割り当てる」

(わあ、そのセリフとてもグッと来ますね、次作に使っていいですか?)


 ではなく。

 ――確かに、憧れの人が使うセリフとして素晴らしいけれども。相手が自分だというのは、違う、断じてそうじゃない!


「今日のところは、あなたのようせい通り引き上げよう。だが、諦めるつもりはないし、納得できる理由を聞かせてもらうまでは、しばらくここにかよってかせてもらう」

「は」

「そういうわけで、よろしく頼む」


 ごくに、かつ、極めて紳士的に。

 ジークフリードは真顔で告げると、アリアに向かって一礼した。そして、「手間をとらせて申し訳なかった」と丁寧に断り、席を立つ。

 軽やかに、コツコツと、こうしつくつおとが遠ざかっていったあと。戸口のところで、何やら神官長や巫女長と彼がひと言ふた言わしている気配がした。受け答える二人の狼狽うろたえようからして、おそらく今後の予定を伝えたのだろう。

 それにしても、なんだって? しばらくここに通って、口説かせてもらう……?

 ここで「誰を?」なんて、もんに過ぎる。


(はい? え、ま、待って、何)


 ――照れる、なんていう生やさしいものではない。

 しばらく固まったあと、アリアは赤くなるより青くなった。むしろ、全身から血の気が総員で引き去った。


(とんでもないことになってしまった……!)


 いと身分尊きおんかたを前に、お見送りもせずご無礼を働いてしまった……という常識的なこうかいもあるが、そんなのは些細なことだ。

 どうしよう。どうしてこんなことに。

 改めて、アリアはテーブルに突っした。


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